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最前線から一人生還。片腕喪失でも赤貧でも!──水木しげるの幸福哲学

ほんまにオレはアホやろか
(著:水木 しげる)
2016.08.12
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稀代の語り部・水木しげるさんのメジャー漫画誌デビューまでの半生をしるした自伝です。とびっきり愉快で、楽しく、嬉しそうに、でも遠くを見つめながら私たちに語りかけてくれる水木さんの姿が浮かんできます。

水木さんといえば、なにより“妖怪世界の語り部”として世界一です。私たちが生きている世界のすぐ横にある“妖怪の世界”、その世界の豊さ、素晴らしさを水木さんは情感のあふれる語り口で教えてくれました。

語り部として水木さんにはもう一つ、語り続けなければならないものがありました。それは、あの戦争・戦場(それも最前線)を体験した一人として、戦争の悲惨さを語り続け、「けっして戦争をしてはならない」ということでした。『貸本戦記漫画集シリーズ』『昭和史』そして『20世紀の狂気 ヒットラー』も、あの戦争を繰り返してはならないという強い思いで書かれたものでした。

この自伝のいたるところに水木さんのその思いが強く感じられます。
──体を丈夫にして、戦場で死んでもらおうというコンタンなのだ。死ぬために健康になるということほど、アホらしいことはまたとないだろう。──

──だまって戦死するのがリッパな若者とされた。命令には忠実、不言実行で質問なんかしてはいけないのだ。(略)新聞やラジオでもエライ人たちが訓話をやった。スパルタでは、母親が生きて帰るなといったとか、国のために死ねるのは若人の特権だとかいうのだ。──

逆立ちした、トンデモない妄言です。でもこれらの言葉が最近では声高に聞こえてきています。
「自分の国を守るためには、血を流す覚悟をしなければならないのです」
「靖国神社というのは不戦の誓いをするところではなくて、『祖国に何かあれば後に続きます』と誓うところでないといけないんです」
「国民の生活が大事なんて政治は間違っていると思います」
このような発言をしてきた人が今、防衛大臣になっています。
水木さんが聞いたら、「こりゃ何処の国の話だ?」と首をかしげるのではないでしょうか。

最前線からたった一人で5日間さまよった後、生還した体験(死の彷徨と書かれています)、そこには想像を絶した戦場体験がしるされています。彷徨中にマラリアにかかり苦しんでいるところに敵機の爆撃。水木さんは大けがを負い片腕を失ってしまいます。それを読むと、戦争とはいかなるものか、決して美化できるものではありません。ましてや「戦争は人間の霊魂進化にとって最高の宗教的行事」などということであるはずがありません。

過酷な体験をユーモア交えて語るところに水木さんの大きさを感じます。悲壮感や勇壮感をもって戦争を語ることがかえって薄っぺらに、嘘くさく思えてくるほどです。しかも水木さんの冷静な目は戦争を起こし、支えたのが軍人や政治家だけではないことを見抜いていました。町はこのようだったのです……。
──新聞や雑誌は軍人や軍隊の賛美でうまっている。まちはゲンコツ体操や防火演習ばかりだ。夜中になれば灯火管制で、うかうか電燈もつけられない。繁華街の催し物といえが千人針ばかりだ。(略)映画は『西住戦車長伝』といったものばかり。──

「若者たちは、まるで全国民におどかされて死におもむいているようなものだった」と。

いたずらに国民を煽(あお)り立て、戦意を昂揚させようとする人びと、歓声の中、出征する兵士たち……。水木さんは見送る行列を見つめながらこう思っていました……。
──見送りの人の中には、彼らの妻や幼い子どもの姿が見え、そして、それは、彼らが見る最後の姿なのかもしれない。政治だの社会だの、あまりわからなかった当時のぼく(現在でもよく分からない)だが、この残酷さの一点だけでも戦争に疑問を抱かせるのに充分だった。あの出征兵士の姿は、ほんの数年、未来の自分自身の姿でもあるのだから。──

考えてみれば水木さんが語り続けた妖怪たちはけっして好戦的ではありませんでした。好戦的で、欲望にまみれていたのは人間たちだったのです。
──物を生産しない原始的なものとか、よく変人、奇人たちがやっているへんてこだが、優雅なくらしとか、あの猫たちが実践している単純化したくらしとか、そういったものを、尊重したりせずに、何人かの群衆をたばねた者に、勲章をやったり、政治家は、実業家と一体になって金もうけに狂奔し、「モノが第一だ」といわんばかりのことばかりやっているから、日本が面白くなくなってしまうのだ。──

水木さんにこう感じさせたのは戦争末期を過ごした、南方の村人と生活をともにしたからです。その島の住民は心豊かで「なんともゆったりしていて(略)本当の人間にはじめて会ったような気」がしたそうです。戦争にまみれた生活の中で見出した“真実の人間の生”だったのでしょう。

戦後30年たって、その島を再訪した際、水木さんはこんな思いを抱いたそうです。
──彼らは競争という、くだらぬ原理にしばられない生活者なのだ。自由で、おおらかな気持ちが皮膚からつたわってくるのだ。三十年前の天国はやはり天国だったのだ。──

30年の月日を一瞬で越えた再会でした。その村は水木さんが愛する妖怪たちが住む村のように思えたのかもしれません。村人を語る水木さんのユーモアが妖怪を語る水木さんの姿に重なって見えてきます。そしてそこにあるのは「平和の中でしか獲得できない生活」なのだと思います。

水木さんは、この本の中で幾たびも「落第生」と自分を呼んでいます。その視点を持っていたからこそ私たちが気づかない、当たり前だと思っていることの中にある世界の歪みを明らかにできたのです。ユーモアが強い武器にもなるのだと思える名著です。

レビュアー

野中幸宏

編集者とデザイナーによる書籍レビュー・ユニット。日々喫茶店で珈琲啜りながら、読んだ本の話をしています。政治経済・社会科学から芸能・サブカルチャー、そして勿論小説・マンガまで『何でも見てやろう』(小田実)ならぬ「何でも読んでやろう」の二人です。

note
https://note.mu/nonakayukihiro

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