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進化した脳は無視をする──自分も99%スルーされていた!?

99.996%はスルー 進化と脳の情報学
(著:竹内薫/丸山篤史)
2016.08.11
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情報量が増大し続ける現代社会では、収集した膨大な情報を前に途方にくれて取捨選択に迷う人が増えているのではないでしょうか。個人(当事者)によって価値付けが異なるだけになにを残すべきか迷っているかたが多いと思います。実はそのような中では不必要な情報を「スルーする」ことが必要な時代になってきているのです。

といっても本書は「スルー」についてのノウハウを伝える本ではありません。著者たちがいうように「もっと根本的なところから『スルーしたり、スルーされたり』について考えるヒントが詰まっている」本です。“スルー原論”とでもいうべきものです。

ではおびただしい情報を前にしてなにを「スルー」すべきなのでしょうか。迷いは多いと思います。選択が間違っていないか、なにか見落としていないかと考えて……。でもその一方、心のどこかに全体を見渡して判断する自分にある種の「全能感」のようなものを感じることもあるのではないでしょうか。それは対象を「思い通りにしたい」という「コントロール欲求」が私たちの中にあるからです。選択し、「スルーする」という行為はどこか主体的な行為である(と感じている)ところから生まれてきます。

では「スルーされる」という観点からはどうでしょうか。高度情報化社会では私たちも一種の情報量の運搬物として存在しています。ここでは私たちは「スルーする/スルーされる」という二つに分類されるのモノとして存在しています。自分が「スルーされる」となった時ほとんどのひとが「スルーされる」ことの抵抗感が生まれてきます。なぜなら、そこには「承認欲求」というものがあるからです。
──誰かに何かを認めてもらうことは、社会的な存在である僕らにとって、「心の必須栄養素」ともいえるものだ。しかし、「誰」に「何」を認めてもらえることが、大事なのだろうか。「知らない誰か」に「自分の意見」を? あるいは「好きな人」に「自分の気持ち」を? しかし、どれも、僕らの存在の全てが、スルーされたわけではないだろう。常に、あらゆる場面は「限定的」なのだ。あらゆる人生の場面で、スルーに遭遇することは起こりうる。その時に感じる、いいようもないストレスは、そのスルーが所詮「限定的」であることに、無自覚だからなのかもしれない。──

これは「スルーする/スルーされる」ということについての、いわば社会学的考察というものです。
──どうやら、僕らは、身体的な痛みと同じ神経回路で、社会的なコミュニケーションを処理している可能性がありそうだ。だからこそ「無視されること」の心理的ダメージが大きいのかもしれない。これが本当だとすると、イジメで「誰かを無視すること」は、暴力で身体を傷つけることに匹敵するくらい、罪深いものだろう。──

「スルーする/スルーされる」ということに過大な自意識や価値を置かないこと、それが心理的ダメージから私たちを守るひとつの方法なのかもしれません。ニュートラルに情報に接するということが肝要なのです。

ところで、この情報処理・判断をしている最大のものはもちろん私たちの脳です。ここからこの本のもうひとつの面白さである「脳の情報学」が始まります。

脳はいったい高度情報化社会にどう立ち向かっているのでしょうか。膨大な量の情報を前にした脳はというと……、
──僕らは、流通している情報量の約2.7万分の1しか消費できず、消費したといっても、その1000分の1しか知覚できていない。その上、知覚した情報の100万分の1しか意識していないのだ。ものすごく粗っぽいということは承知の上で、あえて計算してみるならば、僕らは、流通している情報量の27兆分の1しか意識していないことになる。ようするに、意識は、流通情報量の99.99999999963%をスルーしているわけだ。──

脳は実に主体的に(!)選択行為をしていることになります。人間に「入力される感覚の情報量は、毎秒千数百万ビットであり、意識が処理している情報量は、毎秒たった数十ビット」でしかありません。つまり意識の背後には「意識によって意識しきれないほどの情報量」を持っている「無意識」があるということなのです。

私たちは膨大な量の情報を「無意識」という格納庫を使って処理しています。ところが驚くべきことにこの無意識を扱う倉庫番も「スルー」しているのです。
──ようするに、意識で全ての情報を処理しきるのは、事実上、無理だ(たぶん意識は、そんなことしていない)。諦めて、無意識に頼るしかない。その無意識でも消費している情報の99%をスルーしているのだ。──

ではそのような状態で私たちは“世界”を認識できるのでしょうか、あるいは、そこでは「正しさ」というものはどうなっているのでしょうか。

ここで注目されているのが「ヒューリスティック(仮説形成法)」というものです。これは「正しさの保証をしない代わりに、計算量を減らして」ある程度のレベルで正解に近い解を求めるというものです。チューリング・テストも踏まえたこのあたりの論の進め方はぜひ本書をお読みください。「正しさ」にどう近づくかという考え方には推理小説を読むような面白さがあふれています。

ところで、この無意識という倉庫は収納には適しているようですが、そこにいる倉庫番(?)は時折、困ったことをする場合があります。潜在意識に働きかけるサブリミナル効果はよく知られています。さらに、「アインシュテルング効果」というものもあります。「アインシュテルング効果」とは、問題の解のうち最もなじみ深いものに脳が固執して、その他の解を無視してしまう頑固な傾向のことです。習慣や成功体験に頼りすぎて、無意識にそれ以外の解をスルーしてしまうのです。

このような困ったものが無意識にはありますが、とても興味深いものがあります。それが「ツァイガルニク効果」というものです。これは、人は達成できなかった事柄や中断している事柄のほうを、達成できた事柄よりもよく覚えているというものです。さらに「完結しない情報は心に引っかかり、無意識が欠けた情報を何とか補完」しようとすることがあります。このいわば「無意識の自動問題解決機能」を私たちは上手に利用すべきだというのが著者のお二人の提言です。ここには創造性へのヒントとなるものがあります。

情報社会の中で生き抜くには必ずしも全ての情報を手に入れる必要があるわけではありません。大事なのは獲得した情報をどう“処理”するかということなのです。そのとき“スルーする”ことの重要さがあらわれてくるのでしょう。

──僕らが生きていることは、僕らの情報処理そのものだった。社会には情報が爆発的に溢れ続け、そのほとんどを僕らはスルーしていた。僕ら自身の脳の中では、無意識が膨大な量の情報を処理し、意識は、そのほとんどをスルーしていた。生命は、進化の過程で情報量を増やし続ける一方、生命の仕組みとしては、情報をスルーすることがシステムの基本だった。──

高度情報化社会で生きて行くには私たちの持っている意識の背後にある無意識を「有効利用」しなければなりません。“スルー”すること、それは私たちの生命活動の根幹でもあるのです。そのようなことを気づかせてくれた1冊でした。

レビュアー

野中幸宏

編集者とデザイナーによる書籍レビュー・ユニット。日々喫茶店で珈琲啜りながら、読んだ本の話をしています。政治経済・社会科学から芸能・サブカルチャー、そして勿論小説・マンガまで『何でも見てやろう』(小田実)ならぬ「何でも読んでやろう」の二人です。

note
https://note.mu/nonakayukihiro

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