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イチローは「説明できるヒット」を欲した──“身体で覚えろ”は迷信なのか?

自転車や車の運転から水泳、ゴルフ、仕事のやり方まで、「身体が覚える」、「こつをつかむ」、あるいは「スランプに陥る」のは、誰もが経験したことではないでしょうか。本書『「こつ」と「スランプ」の研究 身体知の認知科学』は、そうした「身体に根ざした知」=「身体知」と、「身体知を学ぶ」とは一体どういうことなのかを、イチロー選手なども例にとりつつ、認知科学という立場から解明し、更に「身体知の研究はどうあるべきか」について明快に論じます。その一端をご紹介します。

2016.06.09
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イチローの凄さと身体知との関係

「説明できるヒットが欲しい」。このことばにイチロー選手の凄さが凝縮しているように思います。プロ3年目に200本以上のヒットを放って初めて首位打者に輝いた年のオフに、「からだは自動的にヒットを量産していて、どうやってヒットが生まれているのかを説明できなかったことに危機感を抱いていた」と言うのです。からだの反応でヒットを打っているのでは更なる高みには上れないと。首位打者をとってなお、そういうことばを吐くことの謙虚さが凄いという意味ではありません。スポーツの世界では、特に昔は「練習で技をからだに覚え込ませる」という考え方が主流であったと思います。ことばであれこれ分析するのではなく、感覚(本書では以後「体感」と称します)を研ぎすませて、からだが覚え込み、自動的に反応できるようになるまで練習を繰り返すのがよいという考え方です。「こつをつかむ」ためにはそうするのがよいと信じられていました。

本書は、「身体知を学ぶためには、実はことばが重要な役割を果たす」という考え方を説くものです。身体知ということばは専門用語です。ここではひとまず「からだに根ざした知」というふうに理解しておいてください。アスリートはからだを使うことが仕事なので、彼らのパフォーマンスを支える身体スキルは身体知の一種です。本書は、身体知を学ぶ過程で、からだとことばが互いに作用しあうことによって、新たな技やスキルを獲得できるようになるメカニズムに、ひとつの仮説を与えます。直感的な説明の仕方をするならば、からだの声に耳を澄まし、体感をことばで表現し、ことばでもあれこれ考えて着眼点をつかみ、またからだで実践するという繰り返しが、身体知の学びを促すのだという理論(第5章に登場する「からだメタ認知」理論)を紹介します。

「練習で技をからだに覚え込ませる」という考え方は、体感に耳を澄ますことを重要視するあまり、ことばが果たす役割を軽視してしまった思想であると私には映ります。そうしたスポーツ界のなかにあって、「説明できるヒットが欲しい」という意識を貫いたイチロー選手は凄いと思うのです。《「第1章 身体知の魅力」からの抜粋》

メタ認知とは、ことばと体感を結びつけること

「この坂はなんだか風情があって落ち着くなあ」ということばから、どんどん近位の方向に眼差しを向ける領域を拡げ、個々のモノ、モノの性質や位置関係、自分の身体の各部位、そして体感へと、より身体に近い領域を丹念にことばで表現してみるというメソッドを、私は〈からだメタ認知〉と呼んでいます。モノをことばで表現してみようとするから、そのモノへの意識を保持できるのです。ことばで表現しなかったら、モノに接したことは時間とともに記憶の彼方に流れ去ります。したがって、からだメタ認知は、身体の動きや体感、そして身体を取り巻くモノ世界に留意し、それらをことばと結びつけるためのメソッドと言えます。ことばは〈コト世界〉を表現するものですから、結果的に、自分の身体も含めて身の回りに存在する〈モノ世界〉と、自分なりの意味・解釈から成る〈コト世界〉が綿密につながることになります。ひとはことばのシステムと身体のシステムという異なる二つのシステムを共存させて生きています。そして、ことばシステムの役割は世界を分節することです。身体システムは自分の身体も含めた世界をその全体性で捉えます。からだメタ認知メソッドは、この両システムに橋をかける作業だということもできます。
図5─1を見てください。下の楕円が身体システムで、上の楕円がことばシステムです。

図5─1

坂道を歩いているときに足首にかかる体感《くわっ》を下の楕円のなかに雲形ノードで、それをことばで表現した「くわっ」を上の楕円のなかに丸ノードで表しています。坂道を上るときの足首の体感をことばで「くわっ」と表現したからこそ、体感《くわっ》の存在に留意することができ、したがって雲形ノードが下の楕円に登場します。本書では、ことばにする以前の《◯#&%!#》の段階では、下の楕円にノードは描かないことにします。 そして、《くわっ》と「くわっ」が対になっている状態、つまり本人が体感それ自体とそれを表現したことばを結びつけている状態であることを、両ノード間に矢印を引くことで表しています。歩いているときに、道の両脇にある岩肌のざらざらしたテクスチャを「岩肌がざらついている」と表現できたなら、上の楕円には、「岩肌がざらついている」という丸ノードが登場します。そして、そういう岩の様子を見て/もしくは岩に触れて、身体が感じとっている生の体感の雲形ノード《岩肌のざらつき》が下の楕円に登場し、両者が対になります。

これが、〈モノ世界〉をことばで表現して、〈モノ世界〉への留意を保持するというからだメタ認知の基本行為です。《「第5章 身体とことばの共創を生む学びのメソッド」からの抜粋》

『「こつ」と「スランプ」の研究 身体知の認知科学』目次

第1章 身体知の魅力

第2章 身体知をどう捉えるか

第3章 情報処理モデルから認知カップリングへ

第4章 身体知研究のあり方

第5章 身体とことばの共創を生む学びのメソッド

第6章 スランプを乗り越え、こつを体得する

第7章 身体知研究の最前線

第8章 身体知研究のこれから

認知科学に関連する「講談社選書メチエ」の本

  • 『来たるべき内部観測 一人称の時間から生命の歴史へ』

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  • 『時間の正体 デジャブ・因果論・量子論』

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  • 『記号創発ロボティクス 知能のメカニズム入門』

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『「こつ」と「スランプ」の研究 身体知の認知科学』書影
著:諏訪正樹

スポーツ、運転、仕事、家事、話し方……身体を使うすべてのモノゴトに「こつ」は存在し、「スランプ」は学びの必然である。スランプを乗り越え、こつを体得するとはどういうことか。「からだ」と「ことば」はいかに相関しあうのか。身体に根ざした知=身体知の学びに挑む、認知科学の最先端!

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