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「世界記憶遺産」登録の炭坑夫が描く、地底ドキュメンタリー

2016.02.16
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2011年に日本で初めてユネスコ世界記憶遺産に登録された山本作兵衛さんの画文集です。どの絵も雄弁で、力強さが見るものに伝わってきます。

近代産業の成立期には日本中のいたるところで苛烈な労働が強いられてきました。殖産興業、富国強兵の名のもとに国策として強行されたのです。この画文集で描かれた炭鉱(ヤマ)も、近代産業を支えるエネルギー源として苛酷な労働環境、生活環境のもとで操業されていました。明治、大正、昭和と三代に渡って筑豊炭田で、一坑夫として生きた作兵衛さんの画文集は、近代日本の基底部でどのような人びとが、どのように暮らしていたのかを生き生きと描き出しています。

ここで描かれているのは、家とはとても呼べないような生活環境で暮らし、狭い坑内での苛酷な労働に従事する人々の過酷な姿だけではありません。ペアとなって掘り進む坑内での様子(これは苛酷でもありますが)、炭鉱(ヤマ)を上がってからの暮らしぶりなども実にヴィヴィッドに描かれています。

酒、博奕、喧嘩に明け暮れる日々、亭主以上に坑内、家庭の仕事をこなす母ちゃんたちの姿。そして坑夫たちのもとへ訪れてくる行商人や香具師たちと縁日(のようなひととき)や盆踊り、それは地獄のような坑内生活を癒すものであり、また坑夫たちの子どもたちが楽しめるささやかなお祭りごとでもあったのではないでしょうか。それらを描く絵には作兵衛さんも持っている温か味があふれています。この盆踊りは日本中に燎原の火のように広まった米騒動の最中でも、警官の目を盗んで開催されたそうです。

「炭鉱(ヤマ)の米騒動」と題された章では、坑夫がダイナマイトを爆発させたりと警官と激しい戦いが繰り広げられたようすが描かれています。「当時あった治安警察法(明治三十三年に公布)第十七条の騒乱扇動罪とか、騒擾(そうじょう)率先助勢罪」とかで10名の逮捕者を出しました。といっても逮捕者がダイナマイトの実行犯だというわけではありません。「その十名の納屋頭が数日前より小川所長に労賃あげの請願」をしていただけだったといいます。武力鎮圧のための見せしめということもあったのではないでしょうか。のちに実行犯2名が検挙され、10名の納屋頭のうち3名は有罪となりました。その中には作兵衛さんの兄も含まれていました。この騒動では坑夫たちの持つ気性の激しさや、仲間をかばうという義侠心というものがあらわれていたようです。

明治の産業立国を目指していた頃の坑夫の生活、労働の苛酷さは時を経るにつれて改良されていったのでしょうか。時には石炭景気に沸いたこともありました。けれど昭和の戦争時には、屈強な男衆は徴兵され、「一昔まえに逆戻りしたような錯覚」をおぼえるように女坑夫たちが坑夫としてかり出されました。徴用の独身坑夫もいましたが「産業戦士の掛け声にあおられて」鉱山(ヤマ)にきたものの、あまりに苛酷な労働で逃げ出す(ケツワリというそうです)ものが続出しました。

その防止策として会社側が行ったことといえば「一番方は朝日とともに入坑させて日没前に昇坑させ、二番方は日没とともに入坑させて夜が明けてから昇坑させるようにしておりました。したがって冬になると、二番方は十四時間以上も坑内にとじこめられて働かされ」るというものでした。労働強化による監視態勢といえるものです。かつては貨幣代わりの切符制度を導入し坑夫の逃亡を防ごうとしましたが、戦時中は労働強化によって逃亡防止をはかったのです。

戦後は石炭から石油へという産業・エネルギー政策の変化もあり次々と閉山へと追い込まれていきました。作兵衛さんの働いていた鉱山(ヤマ)も昭和33年に閉山されました。そしてその後に描かれたのが、この画文集に収められた作品です。奇跡ともいえる作品です。しかも苛酷な生活だけでなく、どこかたくましさを感じさせる人たちがここかしこに描かれています。

鉱山(ヤマ)の名残は今でも目にすることはできると思います。けれど、その場所で多くの人びとがどのように暮らしてたのかをしるすべはありません、作兵衛さんがこの本を残さなかったなら。近代日本の裏面史ということもあるでしょう。けれどそれをこえた感動を見るものに与えてくれるものだと思います。

レビュアー

野中幸宏

編集者とデザイナーによる書籍レビュー・ユニット。日々喫茶店で珈琲啜りながら、読んだ本の話をしています。

note
https://note.mu/nonakayukihiro

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