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公権力の不公正さが露呈した元禄時代。忠臣蔵が私たちに教えてくれるもの
(著:野口武彦)
年末の恒例ともなっているような〝忠臣蔵〟ですが今年がどうでしょうか。舞台では『仮名手本忠臣蔵』『元禄忠臣蔵』など、評論では『元禄快挙録』『赤穂義士』、小説では芥川龍之介の『或日の大石内蔵助』や大佛次郎の『赤穂浪士』などなど、さらには映画・ドラマを含めるとその数は100をはるかに超える作品が〝忠臣蔵〟を題材にしています。
〝忠臣蔵〟はなぜ人気があるのでしょうか。野口さんはそこに「徳川幕府という公権力に逆らってまで自己の正義を実現した自力救済権の行使」を多くの日本人が歓迎したのではないかと言っています。
この「自己救済権」とはなんでしょうか。
江戸城内での刃傷事件で浅野内匠頭にのみ過酷な処断がくだされ「そこで当然なされるべき「喧嘩両成敗」の裁断がいわゆる「片落ち」の処置のため正しく行われず」にいたったために「やむなく、赤穂藩の浪士有志が立ち上がり、ご公儀に代わって正義を執行した」ということを意味しています。
そして、お上(公権力)の不公正なやり方に異を唱えた浪士の行動には多くの人々が喝采を送りました。〝義士〟と呼ばれるようになったゆえんです。
野口さんは「喧嘩両成敗」という考え方がどこから生まれてきたのか、そして、この元禄の時代になぜそれが行使されない(ように)なったのかをさまざまな文献、史料を駆使して解明していきます。
もともと「ガヤガヤやかましいという意味」であった〝喧嘩〟という言葉が《紛争解決の暴力的手段》となったのは鎌倉時代以降、武士が主役となってからだそうです。
〝喧嘩〟のルーツ探しで野口さんは興味深い文書を見つけました。『翁草』です。そこには「戦争は「公」の業務だから適当にやっておく。しかし「私」の憎悪や怨恨に発する喧嘩なら真剣勝負で臨む」というものでした。この「私」とは「一所懸命」に励む「私」につながるものでもあるのでしょう。「自力救済」の顕在化です。けれどこれでは統治というものも危うくなります。「自力救済を野放しにしていたら、大名権力は成立しない」のですから。
そこに出現したのが「喧嘩両成敗」という定めでした。この定めを徹底するにはいくつかのことが必要となります。まずは「公正な裁判がおこなわれること」であり、そしてその決定を施行できる強大な権力です。
この点から見たとき赤穂事件はなにを私たちに語っているのでしょうか。
ひとつは徳川綱吉政権の基盤の弱さです。「喧嘩両成敗」を実行できる権力が失われていたのではないでしょうか。さらに、もともとの浅野内匠頭の引き起こした刃傷事件の処理が「公正」ではなかったという世間の目でした。おそらくこの刃傷事件のみならず、民衆には幕府の治世に公正さを感じられなくなっていたという感覚が既にあったのではないでしょうか。
赤穂事件は元禄末の出来事でした。元禄というとどこか華やかさを感じられる人が多いと思いますが、野口さんによれば、元禄は危ういバランスの上に乗っていた時代だったようです。
気候変動による不安感、生類憐れみの令に代表される政治不信……。この本には既成の(昭和元禄!)元禄観が一変するような記述にみちています。
赤穂浪士たちは忠義の士であったでしょうか、武士道という観念から見れば忠義の士かもしれません。けれどそれでは「喧嘩両成敗」ができなかった幕府を批判し、「自己救済」を是としなければなりません。それは幕府の無力さを示すことにもなりかねないのです。
「ここで颯爽と登場したのが荻生徂徠だった。浪士のおこないはなるほど「義」ではあるが、その忠義の発動は一党にかぎられた「私」の情である。「もし私論をもって公論を害せば以後天下の法は立つべからず」さらに徂徠は「罪人として死刑にせず、武士の名誉刑として切腹に処するという妙案」を出したのです。徂徠の面目躍如たる立論です。
この本は、特異な「喧嘩・武士道をめぐる日本精神史」であり、また元禄時代・綱吉政権に光をあてることにより、赤穂事件を、ある時代精神構造から生み出された異形のものとしても描き出したものだと思います。
大石たちが切腹した元禄時代は、最後の年に「マグニチュード七・八~八・二と推定される「元禄地震」で終わることとなります。そして「同時代の民衆は、赤穂浪士の切腹とこの地震のあいだに因果関係を見た」のです。そこには確かに、何かの終末の予感があったのではないでしょうか。
レビュアー
編集者とデザイナーによる書籍レビュー・ユニット。日々喫茶店で珈琲啜りながら、読んだ本の話をしています。
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