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“社会を作るには”私たちはどのようにすればよいのか、またそれ以前にどのような社会が望ましいのかを考える必要がある

社会を変えるには
(著:小熊英二)
2014.12.09
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いろいろな読み方ができる本なのではないかと思います。民主主義とりわけ代議制民主主義が生まれてくるまでの思想史をコンパクトに紹介しているところは、民主主義を考え直そうという時には的確な入門になっていると思います。

また、小熊さんの実践活動に裏づけられたデモ等の意味付けもとても説得力があります。
「「デモをやって何が変わるのか」という問いに、「デモができる社会が作れる」と答えた人がいましたが、それはある意味で至言です」

小熊さんは、工業化社会からポスト工業化社会になったことに日本の現在への分水嶺を見ています。なにが大きく変わったのか。やや乱暴にいえば“自由”というものがあらゆる面で増大していったのだと思います。この“自由”というものは必ずしもすべてが“善”というものではありません。長所としては、たとえば文化面では“個性”といったことが上げられると思います。けれどそれは置かれている環境(社会条件)が安定している場合にはプラスになりますが、不安定になったときには単にさまざまな関係性から切り離された“個”が浮遊しているということになってしまうのではないでしょうか。

それは“われわれ”から切り離された“われ”の発生、小熊さんのいう「ないがしろにされている自分」を大量に生みだすことになったのだと思います。これが今の日本の現在なのです。小熊さんはこの現在を見すえ、なぜこうなったのか、この上に立って私たちは(代議制民主主義に対して)なにをすべきかを提案しています。

私たちが当たり前であると思っている代議制民主主義がどのように生まれてきたのか……。そもそもどのように“代議制”というものが生まれてきたのか、古代ギリシャの直接民主主義から、この代議制民主主義が生まれてきたのかを解き明かしています。重要なのは代議制が意味する“数”というものがなにを根拠に生まれてきたのかという点ではないかと思います。(民主主義の父といわれるルソーは、小規模な国家での直接民主主義を主張していました。そのルソーのいう国家の規模は、彼が生まれたジュネーブのような都市国家でした)

なぜ、多数決という“数”が重要視されてきたのでしょう。その背後には“われわれ”という共同性があったからではないでしょうか。
「この「われわれの代表」という感覚が持たれているかどうかは、人びとを納得させられるか、正統性があるかに大きくかかわります。そのためには、「階級というわれわれ」や「州というわれわれ」といった、なんらかのまとまりがしっかりしていることが必要になってきます。意識や文化や生活様式のまとまりがあるからこそ、「彼はいかにもわれわれ労働者の代表らしい」という納得も成り立つわけです。つまり代表というのは、単に「票を数多く集めた人」ではなくて、何らかの「われわれ」の代表なのです。そして人びとが「自由」になり、階級意識や地域への帰属意識といったものがなくなってくると、この「われわれ」が成立しなくなります」

この乖離は資本主義の発展に連れて増大していきます。ベンサムの功利主義は(おそらくベンサムの意図を超えて)拡大し、「身分制度の消失と貨幣経済の浸透によって、すべては均質で何でも数量化できるという考え方が人びとに広まったことが、その背景になったという指摘もあります」ということになったのです。それでも資本主義が発展(成長)している間はその考え方の矛盾が大きくなることはありませんでした。けれど、その「工業化」段階が終焉を迎えたとき、そこに現れたのは格差の拡大化と「われわれは代表されてない」という声であり、さらには“われわれ”を生む基盤の喪失だったのです。

小熊さんはこの喪失した“われわれ”を生み出すひとつとしてデモというものを考察しています。もちろんデモだけがそれを生むものではありません。けれど、政治が家業化しているように見える日本を考えると、代議制民主主義の形骸化はますます進むようにも思えます。それをとめるためにもデモに代表される直接行動は必要になってきているように思えます。

さらにまた
「ヨーロッパの思想家をみていると(略)みんな弁証法と物象化と現象学を使いまわして自分の考えを述べています。その弁証法や現象学は、古代ギリシャから原型があるのです」
「しかし新奇なものではなく、昔からあるものの使いまわしだからこそ、お互いに基盤になっているものを共有して議論ができ、それが蓄積になっていくのが、ヨーロッパ思想の強みです」
ということを思い合わせると、彼ら先人からは、私たちは『社会を変えるには』ということを超えて“社会を作るには”私たちはどのようにすればよいのか、またそれ以前にどのような社会が望ましいのかを考えなければならないのではないかと思います。読みごたえがあり、今の日本を考えるには必読な一冊ではないでしょうか。
(原発のコストについてふれ、「原発は、経済成長している工業化社会の権威主義国家に向いています。さらに言えば、すでに核武装しているか、これから核武装したい国なら、採算を度外視しても積極的になるでしょう。しかし経済が停滞するか、製造業から産業転換がおきて電力需要が下がるか、自由化や民主化が進めば困難になります」という一連の考察もとても興味深いものになっていると思います)

レビュアー

野中幸宏

編集者とデザイナーによる覆面書籍レビュー・ユニット。日々喫茶店で珈琲啜りながら、読んだ本の話をしています。

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