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空飛ぶタイヤ
それぞれの都合が複雑に絡み合い、ぶつかり合う人間ドラマがいまも昔も一番好きだ。
こんな考えの僕だから、勧善懲悪ものは安っぽい、と決めつけていた時期があった。しかしそれこそ、浅はかな子供の背伸びだったのかもしれない。
『空飛ぶタイヤ』は、半沢直樹シリーズをきっかけに大ブレイクを果たした池井戸潤作品の中でも指折りの傑作である。
走行中のトレーラーからタイヤが外れて母子を直撃。幼い子供は一命をとりとめたが、母親は死んでしまう。
トレーラーの製造元であるホープ自動車の出した調査結果は、運送会社側の整備不良。しかし運送会社社長の赤松は、その結論にどうしても納得できない。
事故が原因で、会社の経営状態はみるみる悪化してゆく。人並みに幸せだった妻子との生活も徐々に崩れてゆく中、赤松は大企業を敵に回してでも自ら事故の真相を解き明かそうとする。
この物語の構図は至ってシンプルだ。
赤松対ホープ自動車――赤松(正義)、ホープ自動車(悪)である。『空飛ぶタイヤ』という作品は、それでいて、ある意味、大衆娯楽の王道と言ってもいい単純な勧善懲悪ものとは「質的」に違っている。
本書に限らず、社会と集団(企業)、そしてその集団の論理に振り回される人々を濃密に描くことに長けた池井戸作品の悪役たちには、生臭いリアリティがある。
悪は悪でもこの悪役たちは、ともすれば明日や明後日、あるいは数年先の、組織に埋没した自分の姿かもしれない。
生きていくために企業の論理を優先し、認められてしかるべき弱者や個の正義が黙殺、隠滅されてゆく。
腹立たしいことではある。しかし、それが世の中だ。世界は綺麗事だけで成り立っているわけではないというリアリティが、池井戸作品の悪役たちを生来の悪ではなく、状況の中で悪役にならざるをえない人間としてみせている。
そしてこの不条理こそ、池井戸作品の主人公、本作であれば赤松への感情移入へと繋がっていく。
時には大企業の不正が暴かれ、弱者や小さな個人が勝利するのも、また世の中である。読者はこのカタルシスを求め、どんどんページをめくっていく。僕は講談社文庫から上下巻に分かれて発売されている『空飛ぶタイヤ』を、あっという間に読み終えてしまった。上下巻合わせて約900ページ。赤松側の登場人物たちが追い詰められていく状況に憤る以外には、読んでいて、まったく苦はなかった。
こうした池井戸作品の魅力にハマったが最後である。彼の織りなす人間ドラマをしばらく読まなくなると、禁断症状が出て、気がつけば本屋に足を運ぶか、アマゾンで池井戸作品を何冊も買ってしまっているのである。
池井戸潤は、読者の財布に厳しい酷い作家である。
大袈裟だな、と鼻で笑ったそこのあなた!
ためしに『空飛ぶタイヤ』を読まれてはいかがか?
むろん無理強いはしない。趣味に合わず、金を返せと言われても、もちろん返せない。でもきっと、『空飛ぶタイヤ』を読み終えたほとんどの読者が、次の池井戸作品を探しているだろう。
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