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珍しい文様のそば猪口はいまや入手困難! 絵柄の意味がわかると100倍楽しい。

2024.01.15
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ただの文様と思って眺めるのはもったいない!

読めば読むほど「そうだったの!」と感心する本だ。『そば猪口の文様 絵解き事典』に並ぶ「そば猪口」たちに描かれた文様には、江戸時代の人びとが親しんでいた文化と遊び心が刻まれている。そう、ただの文様ではないのだ。そりゃもちろん美しいが、ただ美しいだけじゃない。とても気が利いている。小さなそば猪口片手におそばをすすりながら、江戸っ子は「粋だね」なんて言っていたのかも。そんな情景が目に浮かぶ。

たとえば江戸時代に作られたこちら。杜若(かきつばた)と文、そして裏には折り鶴が描かれている。さあ、このそば猪口の文様の意味は?


江戸時代の町民にも愛されたという平安時代の歌物語『伊勢物語』を表しているのだという。では、伊勢物語のどんなお話にちなんだ文様なのだろう。

「東下り」の段は、「昔、男ありけり」で始まります。「三河の国の八橋という所に着いた。…その沢に杜若がとても趣深く咲いていた。ある人が、「かきつばたという五文字を和歌の各句の上に据えて、旅の心を詠んでごらんなさい」と言い、有名な「かきつばた」が歌われました。
さらに、武蔵の国と下総(しもうさ)の国の大きなる川、「すみだ河(隅田川)」に着き、鳥の名前が「都鳥」だと聞くと、都に残してきた人を思いやり、和歌が詠まれ、みな今日を思い出して船の上で泣いてしまいます。
この二つの歌を裏表に描き、しかも都鳥を折り鶴で表現するという、遊び心にみちたそば猪口も作られました。

杜若と文の絵を見て「おっ?『伊勢物語』だね」なんて思って、そばを口に運ぶときに裏の折り鶴に気がついてニヤッとする……そんな江戸っ子が必ずいたはずだ。文化と生活が重なっている様子がたまらない。

そば猪口は、そば食が広まった江戸時代に、肥前(佐賀県と長崎県のあたり)の窯でたくさん作られた器だ。種類がとにかくたくさんある。そしてそば猪口の魅力と本書の面白さもそこにある。

そば猪口の最大の魅力は、「多種多様な文様」です。植物、動物、人物、故事、風景、天体、幾何文様などに加え、「判じ絵(絵の謎解き)」的なものまで数えきれません。
さらに、比較的安価であること、そば食以外にも碗、湯飲み、小付として様々な用途に利用できることなども魅力です。

現代の食卓でもそば猪口は実に働き者だ。ある日は緑茶、またある日は氷と薬味を浮かべたつゆと素麺、たしかに「非番」の日がない。生活に根ざした器に、いろんな意味をもつ多彩な文様が描かれている。なんて粋なのだろう。


禅画の十牛図だってほらこの通り。

……と、ありとあらゆるそば猪口の文様の由来を知り、江戸の文化の香りを胸いっぱい吸い込み、なんだかおそばも食べたくなっちゃう。それが『そば猪口の文様 絵解き事典』だ。

「こうもり」は不吉ではない?

本書に登場するそば猪口たちは、文様の解説とともに、ひとつひとつ、文様の名称、製作年代(1610年から1860年代までと幅広い)に様式、寸法、さらに所蔵されている場所が載っている。ちなみに「そば猪口美術館」の所蔵品が多く登場する。こちらはWebサイトで閲覧できるのでぜひご覧いただきたい。時間が溶けます。

そば猪口の口径と高さは、ほとんどのものが6cm~8cmで、とても小さい。その小ささをイメージしながら読むと楽しい。たとえば、小さなそば猪口に描かれた小さな小さな「蝙蝠(こうもり)」なんてたまらない。



でも、「寿」の文字が並んでいる。そんなおめでたい存在なのだろうか? 蝙蝠文様の着物まである! 蝙蝠文様の解説を読んでみよう。

現代の日本ではあまり好まれる生きものではありませんが、中国では「蝠」の読みが「福」と同じなので、蝙蝠が吉祥とされ、日本に伝わりました。
特に、五代目市川海老蔵(七代目市川團十郎)は蝙蝠が大好きで、衣装に取り入れたことで、幕末期に蝙蝠文様が大流行しました。

実は、この解説に私はとても救われた。数年前に京都の古い扇子屋さんで蝙蝠文様の扇子を買い、真夏になるとパタパタ仰いで愛用しているのだが、「ハロウィーンのイメージでもないし、大好きなのだけど、それにしてもなぜ蝙蝠?」と気になっていたのだ。縁起物だと知ってますます好きになった。

言葉遊びは江戸庶民文化の背骨

クスッと笑ってしまうような文様もたくさんある。こちらのそば猪口をご覧頂きたい。芦の茂みに、よく見るとズングリとした蟹が描かれている。この蟹は、爪を振り振り、何をやっているのか。


蟹が芦を刈らないので「あしあからず」。駄洒落? そう、立派な駄洒落だ。

江戸時代には、言葉のしゃれのことを、「捩(もじ)り」「こせ事」「掠(かす)り」と言う洒落文化がありました。(中略)要するに、駄洒落・文句取りです。(中略)
これが江戸の文化の一つの領域であったというより、江戸庶民文化の背骨のようなものとして存在していました。江戸の人々は洒落を競い合い、楽しみました。そば猪口も例外ではありません。

さて、「蕪がふたつ並んだ文様のそば猪口」はどんな言葉遊びが込められているだろうか。本書に答えが書かれている。とってもおめでたいのだ。

それにしても、なぜそば猪口はここまで多種多様なのだろう。なにせ本書のような事典が編まれるくらいなのだ。源氏物語、故事、駄洒落、歌舞伎役者……本当に数え切れない。爆発的に増えている。何かきっかけがあるはずだ。

ヒントは江戸時代の文化がどう花開いたかにある。著者のひとりである飯田義之先生によるコラム「古伊万里 そば猪口の文様の由来を訪ねて」から引用したい。

十九世紀初頭より文化の拠点は、十一代将軍家斉治下、江戸が重要な枠割を担うようになりました。寺子屋の普及で識字率が上がり、大名から庶民に至るまで多くの人々が俳句、狂歌、川柳、浮世絵、洒落本などの書籍、歌舞伎、落語などに接し、嗜むことができる時代になりました。(中略)
このような下地があってこそ、そば猪口の製作者は様々な文様を工夫して提供し、江戸時代の人々がそば猪口の文様を楽しんだと思われます。
そばを食べる一瞬の器にも工夫して遊ぶ、江戸の人たちの遊び心と教養に感心してしまいます。

多くの人が文字と物語に触れて、そこに江戸の美食文化が重なり、ビッグバンが起きたのか。

文様の意味を知ると、古伊万里のそば猪口が欲しくなってしまうかも……そんな人のために、相場(意外と手が届きそうなのだ)や入手方法、そして手入れ・保管についての解説も添えられている。収集家の気持ちを想像しながら本書で文様に触れてほしい。

  • 電子あり
『そば猪口の文様 絵解き事典 江戸の「粋」・絵柄の「謎」がわかる』書影
著:岸間 健貪/飯田 義之

◆いまや価格が高騰している「そば猪口」
そば猪口とは元々、江戸時代に流通したそばを食べる時の、口径5~8cmくらいの雑器です。古伊万里の白い磁器肌に、さまざまな絵付けがされています。
小さな器に描かれた文様の楽しさと美しさは多岐にわたり、民藝運動の指導者であった柳宗悦は「画き出された模様の変化は、数百種に及ぶであらう」と驚嘆しています。
以前は骨董市などで手軽に買えましたが、近年はその面白さから食器としてもコレクターアイテムとしても人気が高まり、珍しいものは入手が困難になっています。
◆「そば猪口」の謎を紐解く
骨董の入門ともいわれるそば猪口ですが、実際には奥深いものです。数えきれない絵付けには江戸時代の人々の教養と頓智がつまっています。現代人にはもはや不明だったり、一見何の変哲もない図柄にしゃれがあります。
たとえば、野菜の蕪が二つ並んだ図柄。蕪(かぶ)はおいちょかぶの九。九(く)が二つ並んで「ふく(福)」という縁起のよいだじゃれ。

本書では、さまざまなそば猪口の絵柄の謎を、絵手本などを交えながら紐解きます。
総ページ176ページ(4C=112ページ、1C=64ページ)

レビュアー

花森リド イメージ
花森リド

ライター・コラムニスト。主にゲーム、マンガ、書籍、映画、ガジェットに関する記事をよく書く。講談社「今日のおすすめ」、日経BP「日経トレンディネット」「日経クロステック(xTECH)」などで執筆。
X(旧twitter):@LidoHanamori

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