地続きの「殺し」と「日常」
殺し屋・国岡の日常と殺しを追った映画『最強殺し屋伝説 国岡』は、阪元裕吾監督が23歳にして京都最強と言われる殺し屋・国岡昌幸に密着取材し、等身大の日々をフェイク・ドキュメンタリースタイルで描く。最強の殺し屋も普通の賃貸に住み、友達と会い、グチを言う。そんな普通の青年の生活と、ストイックで隙のない殺しのギャップが楽しい1本だ。
『グリーンバレット―殺し屋と6人の青二才―』は、『最強殺し屋伝説 国岡』のスピンオフ『グリーンバレット』のコミカライズだ。国岡はひょんなことから“殺しの合宿”インストラクターを務めることになる。参加するのは、かわいいけどとにかくクセが強すぎる6人の女子たちだ。
殺し屋・国岡は物静かでドライな男だ。
映画や漫画ではどこか破天荒でエキセントリックなキャラクターとして描かれることも多い殺し屋だが、国岡は違う。
殺しのあと、ごく自然に街に溶け込むことができるのは、殺しが彼の日常であり、返り血ひとつ浴びずに任務を終えることができる腕があるから。ついさっきまでの殺しと同じテンションで、国岡は他人が無造作に捨てた空き缶を拾い、きちんとすすいでごみ箱に捨てる。
ある日、依頼人であるおもちゃ会社・グロウズの社長と待ち合わせた国岡。国岡を乗せた車はどんどん山奥に向かう。「依頼の内容は会ってから話す」と言われているが、ライバル企業を潰せということだろうか? ……しかしその依頼は斜め上を行くものだった。
国岡は仕事としての殺しを粛々とこなすタイプだ。凄腕だが金にならない殺しはしないし、そもそも軽々しく人を殺さない。これは自分の殺しの価値を下げないためのセルフブランディングでもある。扱うものが「殺し」なだけで、国岡の仕事への向き合い方は淡々とした職人に近い。なので、「殺しのレクチャー」なんてものに二つ返事で飛びつくこともない。
しかし、自分が狙われているとなれば話は別で、自動的に体が動く。1秒前まで商談をしていてもこの反応だ。国岡の日常と「殺し」はシームレスにつながっている。
このギャル風の女性は刺客ではなく、殺し屋の面接を受けに来たという。応募者本人より血気盛んな彼氏も一緒だ。
さらにクセの強い殺し屋志望の応募者たちが山荘に続々と到着し、伝説の殺し屋・国岡と、殺し屋を目指す6人の青二才たちの7日間が幕を開ける。
クセが強すぎる
巻き込まれるような形で「殺し屋学校」の講師となってしまった国岡。そもそもこの山荘は、入校のための二次審査会場なのだという。応募者は殺し屋として受注と達成の疑似体験を経て、この山奥の山荘にたどり着く必要がある。なので、ここにいる時点で殺し屋としてのある程度のポテンシャルはあるはずなのだが、集まるのは「……どうやってここまで来た?」と問いたくなるような破天荒な女子ばかりなのだ。
キラキラの目がむしろ怖い。「何しに来た?」と聞きたくなる「女優志望」や
違う意味で目の怖い、国岡への殺意に満ちた女、
殺し屋という仕事柄、顔バレNGの国岡の顔をなぜか知っている“ファン”……などなど、とにかく全員クセが強いのだ。
「殺し」は教えられる人の少ない特殊技能だけれど、それ以前に殺し屋は恨みを買う仕事だ。顔バレしないよう注意していてもこのありさまだ。どこから何が流出しているか、わかったものではない。殺し屋志望達の中に刺客がいるかもしれないし、国岡を狙う者が正攻法で近づいてくるとは限らない。
……ね?
国岡のストレスがピークに達しそうな、そのころ。この山に潜む応募者たちを追い立てては狩る、物騒な“狐”たちがいた。
俺ね 人殺して金もらってんですよ
依頼を受けたら赤ん坊でも殺す仕事が
“殺し屋”なんで
殺しの現場以外で、国岡は暴力の匂いを感じさせない。しかしこの言葉通り、どんな相手でも依頼を受ければ殺す。殺しでも講師でも、受けた仕事は全うする人間だ。翻弄されながらも彼女たちを一人前の殺し屋にするべく、訓練に入ろうとする。
冒頭の空き缶を拾う様子といい、女子たちを気遣う様子や、殺しの持論を丁寧に話すところといい、「国岡っていいやつだよな」と感じるシーンも多いのだが……。
自分を殺そうとする人間に対しては、女でも生徒でも容赦ない。そんな殺しの世界に身を置く国岡と、その手前「殺人」という越えてはいけない一線の前にギリギリとどまる青二才たち。キャラの濃さがキラキラしながらぶつかり合っている。
レビュアー
ガジェットと犬と編み物が好きなライター。読書は旅だと思ってます。
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