顔を知らないあなた
ここ数年の家にとじこもる生活が明けるにつれ「やっぱり人に会うのはいいものだな」と「顔を見たところで、わからないものはわからない」の両方を味わった。後者は身に堪(こた)える。自分が感じる不安は、とじこもっていようが表に出ていようが関係なく湧(わ)いてくるものだと思い知らされるからだ。なかなか怖い。
でも、その恐ろしさと同じくらいの分量は「あなたはそこにいる」を信じようとしたし、そうしてよかった。『日向さん、星野です。』を読んでそんなことを思い出した。
『日向さん、星野です。』の“日向さん”と“星野”は、一度も顔を合わせることなく友情を育む。顔を知らないままでも、お互いがその存在をたしかに感じている。なんとも胸を打たれるマンガだ。
読んでドキッとするときに、ちゃんとマンガの絵もドキッとさせてくる。ああ、たとえドア越しだとしても、心を通わせることのできる大切な友達。尊い。
俺の目の前の席は、いつも空席
日向さんと星野はどちらも15歳で、同じ高校の生徒。日向さんはがんばって受験を勝ち抜いたのに、3年間ずっと自宅に引きこもったままで、高校にも通えていない。
それでも日向さんの席は教室に用意されている。
いつも空席のそこはゴミ置き場と化しているけれども。その真後ろに座っているのが星野だ。背が高くて、顔もこの通り端正で、なによりいいやつ。とうぜんみんなから好かれている。
物語は、この圧倒的な頼られキャラである星野が日向さんの自宅へプリントを届けに行くことから始まる。担任すら一度も話せたことのない難攻不落の引きこもり女子・日向さんとクラスの人気者・星野の初対面は……?
すったもんだの果てに日向さんの部屋のドアがちょっと開いて、差し出された手。その手とブンブン握手して名乗る星野。初対面(といっても顔を合わせてはいないけど)におけるコミュニケーションとしては間違っていない。実は日向さんは握手するつもりはなかったんですけどね、結果としてよかった。星野の真面目かつ無骨な性格が伝わってくるよ。
この日から星野はときどき日向さんの家を訪ねるように。
星野がドアの向こうにいる日向さんにかける言葉はいつも真摯(しんし)でやさしい。
そして日向さんの脳内でどんどんアイドルのようになっていく星野の顔面! まあ直接見てないからしょうがない!
こうして星野は日向さんと学校を繋ぐメッセンジャーと化す。担任はもちろん、日向さんの母親からも期待されまくりの星野。そう、私は、引きこもりの日向さんと同じくらい、星野のことが気になる。
見世物じゃねぇんだ
日向さんと星野のやりとりにほっこりしながらも頭の隅で小さくサイレンが鳴っている。本作は引きこもりの女の子の恋以外にもいろんなテーマを秘めているんじゃないか。そんな私の予感は第3話あたりで確信に変わる。
たとえば星野と担任とのやりとり。
そう、星野は教員じゃないし、学費を払ってそこで勉強している生徒。
では星野にとって日向さんはどんな存在なのか。
プリントを届け続ける義務や責任は彼にはないし、日向さんはそこにいないけれど、ドア越しの出会いによって「一人のクラスメイト」に変わっている。彼女の席は空席だからって机に雑に座られるような場所じゃないし、ましてやゴミ置き場なんかじゃない。
さらにこんなエピソードによって星野の内面と日向さんの関わりがより明確になる。
ただならない星野の顔。
「見世物じゃねぇんだ」は、日向さんだけじゃなく星野自身をも包む言葉だ。実は星野にも学校のみんなに知られたくない世界がある。
読んでるこっちもつい忘れがちだけど、星野だって15歳の子どもなんですよ。まだまだ誰かに守られる立場なのに、「強くて頼りになる星野」は、常に誰かのケアをしている。
そして日向さんの前では「強くて頼りになる星野」以外の自分を出せる。
怖いことだっていっぱいあるし、背中を押してくれる人だって欲しいよね。私はこの星野の前転再チャレンジのエピソードがとても好き。
星野から日向さんに投げかけられる言葉はどれも私の胸に刺さる。星野は、日向さんにとって外の世界へ繋(つな)がる細い糸だけど、星野にとっても同じくらい大切な生命線なのだ。もちろん彼の気持ちは日向さんの胸にも届いていて……。
「壁の中の人」から一歩踏み出して星野に会うの、怖いよね。でも日向さんの大切な人はちゃんとそこにいて、必要としている。顔を知らなくても人間はこんなに繋がることができて、「あなたに会いたい」ってこういうことなのかと思い知らされるマンガだ。
レビュアー
元ゲームプランナーのライター。旅行とランジェリーとaiboを最優先に生活しています。