この想いを打ち明けたらどうなる?
「多様性を認め合いましょう」と教わって育ってきたけれど、それはつまり誰にでも何かしらの差異があって、それらの差異をまるごと認めあって共存することが、とてもとても難しいからだ。習わなきゃできないのだ。人類みんなで指差し確認しないとあっというまに失敗する。
『君のことが好きで言えない。』が描くのは、幼なじみの男の子への恋心をひた隠しにする女の子だ。そして、自分とはちがう誰かとどう生きるかのお話でもある。二度三度とくりかえし読むうちに「ああそういうことか」と気がつく。そして自分の失敗を思い出して切なくなったり、大切な人のことを思い出す。
たとえば、好きな人に想いを打ち明けると、大なり小なりその人との関係は変わる。
幼なじみに「好きだよ」と言ってしまったら、ただの幼なじみじゃなくなってしまう。わかる。切ないよね。でも、このマンガでの「好きだよ」のハードルは、私の知っているものよりも数倍高い。
言いたいよ。でも、言えないんだってば。
異性愛者がほとんどいない世界で、女の子が男の子に恋をしてしまったらどうすればいいの? 応援しているのに「言っちゃえ!」となかなか言えない。この言いたさと言えなさにショックを受けるのだ。私は、それをなかなか言えない人が感じるハードルの高さをわかってなかったなあ、って。
みんなが同性を愛する世界
“上総(かずさ)”は高校生の女の子。上総たちが生きている世界では、30年前にとある隕石群が地上に落下した。
上総の通う校舎からもそのうちの1つが見える。ものすごく日常。そして、その隕石の影響で、人類はみな同性愛者になったのだという。
だから10代向けのファッション誌やコミック誌が描く恋愛は同性同士の愛だし、30年前の出来事ということなので、上総が生まれるずっと前から世界はこんな感じ。このニューノーマルに胸がざわつく人はもういない。
私がこのマンガで「ああすごい」と思ったのはこの場面だ。
隕石が落ちた後の世界でも、体育の授業で男女が分かれるのは変わらない。私にとってものすごく見知った世界なのに、恋の風景だけがちがう。
そして、冒頭の場面も忘れられない。
上総にも女の子の恋人がいたことがあったのだ。このページを初めて読むときは「ああ女の子同士の恋なのかな」って思うんですよ。「すてきだな」とかって。でも、次のページから私の多様性ウェルカムな態度がどんどん通用しなくなる。自分はマイノリティを迎え入れる側じゃなく、その他大勢の世界に飛び込んでいく側なんだと気づくから。
付き合っているうちに同性を好きになれると思っていたけれど、うまくいかずに涙を流す上総。自分の愛のかたちを確信することがこんなにさみしいことだなんて。
上総は、幼なじみの男の子“歩(あゆむ)”のことが子どもの頃から好き。友達として好きなのではなく、恋愛対象として好き。
上総がときめけばときめくほど(つまり私が少女マンガ的幸せを感じれば感じるほど)、上総の感じるさみしさが際立つ。
こんなことになったら上総も私も「ああっ!」となるのに、そしてこんな瞬間が山ほどあるのに(1巻での上総は何かとよろめきがち!)、この世界では男女が肉体的に接近してもドキッとならない。でも私はドキッとする。
しかも歩は校内の男の子からモテる!
やがて歩にも恋人ができるだろう。そして、それは決して自分ではないだろう。だって上総は女の子なんだもの。そりゃメロンパンの味も消えるよ、口の中でモサモサしてるんだろうな……。
あなたの居場所を奪いたくない
次第に『君のことが好きで言えない。』の世界は私のいる世界と近いことにも気がつく。
30年前に書かれた異性愛者のラブストーリーは今でも読み継がれている。高頻度ではないかもしれないけれどドラマ化だってされている。「存在しない」ものではないのだ。
誰かの気持ちやプライベートにズケズケと踏み入る人間の醜さも同じ。
そして、大好きな人への気持ちも同じだ。
大好きな人と恋人としてはうまくいかなかったとしても、お互いがとても大切な存在で、その存在が生きていく力になることだってある。
上総は誰にも打ち明けられない恋をしているけれど、その気持ちを消すことなんてできないし、それは間違いではない。
この無意識な場面の威力よ。想いを言いたくて言えない! 「ああちがうんだ」と「ああ同じだ」が交互にやってきてとても切ない。でも、やがて優しい気持ちになるマンガです。
レビュアー
元ゲームプランナーのライター。旅行とランジェリーとaiboを最優先に生活しています。