『空電の姫君』はロックバンドのマンガだし、「サティスファクション」や「デイヴィッド・ギルモア」なんて言葉が飛び交う。だからピンク・フロイドを聴きながら読もうかしらと思ったけれど、イヤホンをつけたまま再生ボタンを押すのを忘れて黙々と読み切った。
彼らの転がり回るような「日常」が楽しかったのだ。ひたひたと静かなのに、素直で荒っぽい。そして“磨音(まお)”がおさげを振りほどいてギターを掻き鳴らすシーンを読んだとき、私の目や耳はぜんぶ磨音のために使おうと思った。
このページが羨ましい。「この場に居合わせた人は幸運だったよな」と思う。これは、いいライブを観た夜に考えることと同じだ。
ロックバンドの「日常」
主人公の磨音は高校生。ミュージシャンの父親と2人暮らし。御茶ノ水の楽器街は今も昔も淡々と栄えているのだから「昔パパが音楽をやっていて」という子はそれなりにいそうだけど、磨音の場合、自宅に練習スタジオがあり、父親は今もミュージシャンとしてしっかり働いている。そんな磨音はクラシックロックが大好きで、物心つく前からギターを弾いて育った女の子。ギターテクニックにも恵まれている。今は“ALTAGO”というバンドに加入し、プロデビューを目指している最中。
この“ALTAGO”が色々難ありというか、「バンドあるある」なのだ。
オフィシャルサイトを作るぞ! ……が、デザインセンスのある人間がいないためダサい。かっこよさげな「アー写」もないし、そもそもどう撮れば「かっこよく」なるか不明。
メンバーが強烈な方向オンチで、なぜだか江ノ島まで行ってしまい、貴重な練習タイムが急遽「お迎えタイム」に。(でも小田急線の複雑さは痛いほどよくわかる)
プロのミュージシャンであるお父さんの評価はバッサリと「あいつらヘタ」。でも、全員が上手けりゃバンドとして成功するかというとそんなでもないし、ほどほどの距離感を保ちつつ、娘を応援している。この父と娘の関係が適温でとてもいい。
家賃は払える? 大学はどうする? 練習場所は? 次の対バン相手は!? 観客が4人でメンバー3人のライブって、ほぼマンツーマンじゃん! ……こんなふうに「今、日本でロックバンドをやる若者」がぶち当たりそうな出来事が途切れることなく淡々とつづられている。この途切れない日常感は心地いいし、同時に心細くもさせる。あまりに果てしなくて岸が見えない海のようだからだ。一見、波は穏やかなのに、ゴールが見えない。
そんな果てしない静けさをぶち破るのは「ライブ」で、出番前の緊張感から本番が終わるまで、何度も息が止まりそうになる。
この拍手がなるまでの数分間、ALTAGOのメンバーと磨音がどんな思いでステージに上がり、演奏をしたか。絶対読んでほしい。この後はじまる反省会の「達成感」と「しおしお感」も沁みてしょうがない。
「不在」のピース
本作でもう1つ強く感じるのは「不在」だ。私はここの不穏さとどうしようもない美しさがすごく好きだ。前作『空電ノイズの姫君』からのファンも、はじめて読む人にとっても、この手触りは面白いはずだ。
1つはALTAGOのメンバーだった“チアキ”の不在。何度もその名前が出て「もういないんだから」というセリフが続く。バンド、いろんな形でメンバーが脱退してしまうし、メンバーが1人欠けるだけで良くも悪くもガラッと変わるもんなあ……。そしてもう1つは磨音の友達である“夜祈子(よきこ)”。夜祈子は姿を消していないし、磨音と夜祈子は今も仲良しだけど、それぞれが「何かがない」状態を抱えて物語は静かに進む。読んでいるとヒリヒリしてくる。
歌声が美しい夜祈子。憎くて愛おしい磨音の友達。美しい彼女はALTAGOのメンバーではないし、音楽はやりたくないとハッキリ言うけれど、つい目がいってしまう。
“チアキ”がいなくなった新生ALTAGOと、夜祈子と磨音の物語。「ない」ものは容赦なく「ない」し、でも、それで終わってしまうわけじゃなく、やるしかない。だから、どちらも静かで激しくて、どう転がるのかわからない。読みながらこんなに息を潜めてしまうのは、今にも轟音が聞こえてきそうだからだ。
レビュアー
元ゲームプランナーのライター。旅行とランジェリーとaiboを最優先に生活しています。