せがわまさきの『バジリスク ~甲賀忍法帖~』は、山田風太郎の小説『甲賀忍法帖』のマンガ化である。
原作小説が人気作であればあるほど、そのコミカライズには批判がともなう。『バジリスク』に否定的言辞がたくさん寄せられてもまったくおかしくはなかった。ところが、それはほとんどなかったのである。そうでなければ、『Y十M』『山風短』そして『十 ~忍法魔界転生~』と山田風太郎の代表作を次々にマンガ化することなどできるはずがない。
風太郎ファンはなぜ批判しなかったのか。
ひとつには、せがわ自身がたいへん熱心な山田風太郎のファンで、ファンが持つ愛情が作品のすみずみに表現されていたことだ。「ああ、この人は本当に好きなんだなあ」そう感じられるマンガ化は意外にすくないものである。
もうひとつは、ファンがつくったキャラクター像を裏切らなかったことだ。
小説読者は誰でも、登場人物の姿を画像にして脳内で再生する。山田風太郎のような作家の作品の場合、とくにそれが顕著だ。マンガ化作品に批判が集まるのは、小説読者の脳内で構築した画像とマンガ家が描いた絵が大きく異なるからだが、せがわの作品にはそれがすくなかった。彼の絵は小説読者の脳内画像を裏切らず、場合によっては上回るものになっていたのだ。せがわの画力ゆえだろう。
さらに、『バジリスク』がコンピュータをもちいてデータで描かれた作品であることも大きかったと思われる。現在でこそまったくめずらしいものではないが、『バジリスク』が描かれたころは、それを試みている作家はほとんどいなかった。せがわまさきは間違いなくパイオニアのひとりである。
当時はまだ、ブラウン管モニタが主流だった。印刷所には写植職人がたくさんいた。今に比べると、パソコンはまったくポンコツであった。描いているときにフリーズするなんて日常茶飯事だっただろうし、今では考えられないようなトラブルにも見舞われてもいたはずだ。マンガは手で描かなきゃダメだよというオッサンの作家や編集者の根拠のない批判にも対応しなければならない。パイオニアはみな、そんな苦労をしいられている。
しかし、パイオニアだけが表現できるものも、あるのだ。
おそらくは多くの読者は『バジリスク』がデータで描かれているなんて気づかなかっただろう。だが、そこに表現された「新しさ」はたしかに読み取っていた。『バジリスク』に批判がすくなかったのは、このことと大いに関係している。
昭和の作家が考え出した物語や忍法(超能力)がどんなに優れていようと、その時代性、もっといえば古くささは決してぬぐうことはできない。じつはそれも大いなる魅力のひとつなのだが、マンガというメディアには適さないことが多い。
せがわまさきは、『バジリスク』執筆の際、現代性を与えることにも成功していたのだ。
さて、『バジリスク ~桜花忍法帖~』である。これは、山田正紀が小説化した『バジリスク』の後日譚をシヒラ竜也がコミカライズして生まれた作品だ。原作小説は完結しているので、これをもとにしたアニメ作品もマンガとほぼ同時進行で制作されている。
山田正紀はベテランのSF作家であり、活動時期も風太郎とかぶっている。『甲賀忍法帖』の熱心な読者でもあり、過去に『神君幻法帖』というオマージュ作品も発表している。
しかし、『バジリスク ~桜花忍法帖~』はあくまでせがわまさきの『バジリスク』の続編であって、山田風太郎の『甲賀忍法帖』の続編ではないのだ。なぜ?
そうなった理由はいくつか考えられるが、『バジリスク~桜花忍法帖~』がせがわの作品で大きく取り上げられた「忍者とはヒエラルキーの底辺であり、上意には逆らえない」というテーマを継承していることが大きい(忍者とは「忍ぶ者」である)。
これは風太郎の『甲賀忍法帖』ですでに表現されていたテーマであるが、それをマンガ化した『バジリスク』により強く表れていた。それがマンガというメディアの特性なのだ。
『バジリスク~桜花忍法帖~』が印象的なのは、「自分は階層秩序を守るためでなく、愛する者のために戦う」という新たな「戦いの理由」が選び取られていることだ。これは革命であり、世界を変える宣言でもある。
同時に、これは主人公である八郎や響の両親に当たる、弦之介と朧がかなえられなかった夢なのだ。甲賀・伊賀の衆にとって、八郎と響が未来であると語られているのはそのせいだ。
現代は身分差別・階層差別がない時代といわれる。すくなくとも、『バジリスク』で描かれたようなヒエラルキーは、現代日本には存在していない。人はすべて平等とされている。
だが、八郎が「天に背いてでも愛する者を守る」と語るとき、そのセリフにシンパシーを抱かずにいられないのは、誰もが似たような感情を抱いたことがあり、それを貫くことが困難であることを知っているからだろう。
いずれにせよ、『バジリスク ~桜花忍法帖~』を読むことにより、われわれは運命に抗う人を見ることになる。それは、時代に対する挑戦なのだ。敵は超能力集団・成尋衆とされているが、真の敵はもっともっと大きい。
最後に、『バジリスク』というタイトルをつけた理由について、せがわが語っているので引用しよう。
バジリスクというのは、砂漠に住む怪物なんですが、邪眼の持ち主なんです。甲賀弦之介と朧も、同じように目で戦う人たちですよね。そこに共通点があるんです。さらに、この言葉には、もともと「小さな王」という意味があったらしい。それを知ったときに、「すごくいいなあ」と思いました。『甲賀忍法帖』は、伊賀と甲賀という小さな国の、王様の物語でもあるわけですから。物語の発端も、徳川の世継ぎ問題で、「王様の話」ですよね。そういう部分が自分の中で結びついたので、このタイトルにしたんです。
※『バジリスク 〜桜花忍法帖〜』特設ページはこちら⇒http://yanmaga.jp/contents/basilisk-ouka/
レビュアー
早稲田大学卒。書籍編集者として100冊以上の本を企画・編集(うち半分を執筆)。日本に本格的なIT教育を普及させるため、国内ではじめての小中学生向けプログラミング学習機関「TENTO」を設立。TENTO名義で『12歳からはじめるHTML5とCSS3』『12歳からはじめるJavascriptとウェブアプリ』(ラトルズ)を、個人名義で講談社『メールはなぜ届くのか 』『SNSって面白いの?』を出版。2013年より身体障害者になった。
ブックレビューまとめページ:https://goo.gl/Cfwh3c