永いときを経て磨かれる芸の世界を舞台に描かれた『昭和元禄落語心中』。6年にわたる連載を完結した雲田はるこ氏が次に手がけるのは、辞書作りに情熱を注ぐ人々の奮闘を描いた小説『舟を編む』(三浦しをん/光文社刊)のコミカライズだ。10 月からの連載を控えた雲田はるこ氏、『舟を編む』原作者の三浦しをん氏、そして、渋谷らくごでキュレーターを務め、『国語辞典の遊び方』の著者としても知られるサンキュータツオ氏に、作品への期待を語ってもらった。
この記事は、『昭和元禄落語心中』と『舟を編む』の物語に踏み込んだ内容を含んでいます。ご留意ください。
1976 年生まれ。居島一平とのお笑いコンビ「米粒写経」として活躍する一方、一橋大学非常勤講師も勤める。日本初の学者芸人。著書に『ヘンな論文』『国語辞典の遊び方』など。初心者でも安心して楽しめる『渋谷らくご』(渋谷ユーロライブにて毎月開催)ではキュレーターとして番組選定に携わる。
1976 年生まれ。2000 年『格闘する者に○まる』でデビュー。2006年『まほろ駅前多田便利軒』で直木賞受賞。小説に『風が強く吹いている』『仏果を得ず』『神去なあなあ日常』『木暮荘物語』など、エッセイに『悶絶スパイラル』『あやつられ文楽鑑賞』『本屋さんで待ちあわせ』など著作多数。
漫画家。2008年、短編「窓辺の君(東京漫画社)」で商業デビ
ついに最終回を迎えた『落語心中』
──前号で『昭和元禄落語心中』(以下『落語心中』)は最終回を迎えました。まずは感想をお聞かせください。
タツオ:すごい気持ちよかった! 清々しかったです。
三浦:傑作ですね! この作品は、「業」にとらわれた人たち、つまり人間そのものへの言祝ぎだったんだなと胸に迫ってきて、だーだー泣いちゃった。登場人物がそれぞれ謎やさびしさを抱えていて、でも、それらを抱えたまま幸せになる、という展開も、「ああ、こういうものだよなあ」とストンと腑に落ちたというか。雲田さんの脳内って、すごいなと思いました。絵も冴え冴えとしていて。
──どのあたりに本作の魅力を感じましたか?
三浦:たとえば小説の場合、登場人物の外見などは、読者が想像しなければならないじゃないですか。でもマンガの場合は、絶妙な身体感覚がある。この人はどんな声をしているんだろう、八雲さんはどんな落語を語るんだろう。そういったことが想像しやすいんですよね。「死神」を演っているときの八雲さんの表情とか、汗のかき方などから、その噺がどういったトーンで語られているのかが感じられる。死神に魅せられていくというか、八雲さんの「死神」にはエロティシズムがあるな……とか(笑)。
──なるほど。
三浦:これが実写ドラマだと、役者さんの演る落語の出来自体が気になっちゃう。だからマンガは絶妙だと思います。もちろん、雲田さんが素晴らしい表現力でお描きになったからこそなんですけど。落語をほとんど知らない私でも、雲田さんの作品を通して、「『死神』ってこういう噺だったのか。芸に生きるってこういうことなのか」と感じ取ることができる。本当にすごいマンガ力です。
雲田:お言葉、恐縮ですがとてもありがたいです。マンガは音を描くことができるし、コマ割とフキダシの位置でリズムを作れるので、緩急をつけやすいんです。それに細かな表情を見せやすい表現媒体なので、マンガと落語はとても相性がいいというのは描きながら気づきました。
三浦:そう、コマ割といえば、意図的に同じ構図にしている箇所があるそうですね。
──代表的なところでは「居残り佐平次」を演るシーン(助六は3 巻其の五、八雲は6 巻其の五)ですね。
三浦:それを知ったときに「そんなことまでやるのか、雲田さん怖いよ!」って思いましたもん(笑)。
タツオ:落語は「誰がどの演目を演るか」も大事。『落語心中』でいえば、八雲師匠が得意根多としている「死神」を与太郎が演るとしたら、そこに意味が生まれるわけじゃないですか。その「演者と演目の関係性」まで踏み込んで描いた落語マンガなんて、いままで見たことがなかったですからね。
三浦:なるほど。たしかに、八雲を襲名した与太郎さんが「死神」を演るシーンは、「これぞ芸の継承」って身震いしました。
タツオ:僕は作中の落語シーンは、演目のあらすじを描かなかったのが素晴らしいと思っています。落語って、あらすじだけ知っても面白くないんです。たとえば人物や風景の描写とか、くすぐり(ギャグ)とか、お話の本筋とは別のところに面白さが詰まっている。それはあらすじを語るうえでは、削ぎ落とされてしまう部分なんです。でも『落語心中』はハイライトだけ切り出しているので、楽しく読めるんですね。どうしてあらすじを描かなかったんですか?
雲田:いやぁ落語のあらすじを読むのってなんだかおっくうなんですよね……(笑)。ということは読者さんも同じなんじゃないかと思ったんです。落語は演目のストーリーよりも「落語家さんがどう演じるか」を楽しむものだと思っている部分がありまして。落語をどう漫画で読んで頂くかは試行錯誤しました。
タツオ:たとえば戸の開け方の所作ひとつにしても、演じ方によって、その人物の人となりが見えてくるんです。描写を細かくするほど、お客さんに想像を強いる部分はあるけど、想像する絵の解像度は高くなっていきます。そのへんの省略と描き込みのバランスがすごく良くて、『落語心中』には「想像に必要な分だけの情報」がちょうど入っている。だから読んでいて〝気持ちがいい"んですよ。
三浦:雲田さんのマンガは、表現技法としては奇をてらわないというか、コマ割も含めて、どちらかと言えばオーソドックスですよね。いま風に背景をリアルに描き込むわけじゃなくて、マンガ的な省略もある。そこが落語的なのかもしれないですね。
タツオ:あと与太郎がどうやって年を取るんだろう、って気になってました。
三浦:そう! 最終回を読んだときに「こういう落語家さん、いるいる!」って膝を打ちましたよ。
タツオ:そうか、彼はこういう年の取り方をするのか、と。
──作中の時間に合わせて、キャラクターの経年変化を描くのも雲田先生としては楽しみのひとつだったとうかがいましたが。
雲田:はい、子供でも老人でも、その人の人生を踏まえた経年変化を考える事が好きなんです。与太ちゃんも、落語家にならなかったらああいうおじさんにはなってないと思います。お腹が出るのもその人の「らしさ」に繋がるので。
三浦:若い頃の助六・菊比古の、水も滴るような感じも好きですけど、雲田さんの描くオジサン、お爺さんは、本当に魅力的なんですよね。枯れ専というか……(笑)。出っ張ったお腹もセクシー。『舟を編む』でも作中で時間が経過するので、そこも楽しみに注目しています。
取材・文:加山竜司 (ITAN33号より転用)