『おはよう、いばら姫』はとてもまっすぐで、同時に一筋縄ではいかない作品でもあると思う。
「丘の上のおばけ屋敷」と噂される空澤家で家政夫としてバイトする高校生・美郷哲(みさとてつ)は、ひょんなことから謎の少女・空澤志津(からさわしづ)と出会い、どこか影のある彼女に惹かれていく。志津を屋敷から連れ出して一緒に流れ星を見に行った夜、哲は自分の中に芽生えていた恋心に気づいた。だが、勇気をふり絞り告白した彼は、志津の体に関係する意外な真実を知ることになり……。
こんな風にあらすじだけ読むと、まっすぐなボーイ・ミーツ・ガールだと思うだろう。主人公の哲も、ちょっとお金に執着していたり幽霊が極端に苦手だったりと変わったところはあるものの、不器用で誠実な等身大の少年だ。
しかしヒロインの方には少なからず一筋縄ではいかない部分がある。その点を語るにはネタバレに踏み込まざるを得ないのだが、作品を動かすメインアイデアでもあることだし、第2話「おばけ屋敷には誰がいる」で明かされることだから許して欲しい。
ヒロイン・空澤志津は憑依体質の女の子だ。
彼女の中には何人もの死者が眠っており、ことあるごとに別人格が表に出ては志津として振る舞っている。たとえば第1話で哲と流れ星を見に行くのは筋トレ好きな男性の幽霊である「ハルミチ」さんだし、志津の曽祖父である「しのぶ」さん、おしゃれが好きで男好きな「みれい」さんなど、個性的な霊が志津の身体を借りて表にでてそれぞれの役割を演じている。
その様子はまるで24の人格を持つビリー・ミリガンのようで、はたから見る分には「興味深い」で済むのだが、志津に恋心を抱いた当事者、哲は思い悩むことになる。
──俺が好きになった人は一体誰だったのだろう?──(1巻p60)
問題はそれだけではない。幽霊たちは志津を悪霊から守るために代わる代わる憑りついて彼女を生かしてきたが、そのように他人に人生を任せれば弊害も出てくるもので、志津には自我らしきものがない。彼女は発達課題をいくつも残したまま体だけ先へ先へと成長してしまった。なにものにも興味を示せず、自分の好きなものさえ分からない。
けれど、志津は哲にだけは興味を示した。彼女の周りの人々は、死んでいる者も生きている者も哲を引き止めようとする。
「嫌いにならないでやってください」「あの子にとって哲くんが特別ってことだと思うから…!」
……哲も様々な事情から逃げるわけにはいかず、志津の専属家政夫として彼女の面倒を見ることになる。
だからだろうか。『おはよう、いばら姫』で描かれる恋は、もしそれが恋だとするのなら、雛鳥のように幼いものだ。哲は志津の「好き」を見つけるために、身の回りの世話をしたり、オムライスを作ってあげたり、休日の学校に行って学校生活を疑似体験したりする。心の欠けた部分を珠玉の体験で補っていく、その過程のひとつひとつが微笑ましくて、とても尊い気持ちになれる。
もちろん赤面するようないかにもな青春恋模様もあるし、描き分けられた幽霊たちのコミカルな行動や端々に挟まれたデフォルメにクスリとくる場面も多い。けれどそれ以上に、『おはよう、いばら姫』の紙面からは「1人のキャラクターを大切にしようとする意思」を感じる。志津は少しずつステップを踏んで成長していって、少しずつ自分を大事にしていって、やがて哲のために行動することができるようになる。そういうことに子育てをする親にも似た喜びを感じるのだ。
少しだけ元ネタにも触れておこう。
タイトルの「いばら姫」はもちろん童話の『眠れる森の美女』からだろう。幽霊を苦手とする哲にとって、「丘の上のおばけ屋敷」はいばらの城のようなもので、憑依されながら暮らす志津はまあ実質的に眠りっ放しと言える。志津を守る大人たちは国中の紡ぎ車を焼き捨てさせた王と重なる部分もあるし、15話「家族のハグ」に出てくる「アレ」はひょっとしたら錘を意識しているのかもしれない。いばら姫を刺したスピンドルは糸車とも紡績とも解釈できるし、15話終盤からの展開は面白いことになっている。
ただ、あまりモチーフとして意識しているわけではなさそうで、もしタイトルになければ気付かなかっただろう。今後の展開で変わってくる可能性は大いにあるが、元ネタを知らないと楽しめないとか、そのような心配は捨ててしまっても問題なさそうだ。
レビュアー
ミステリーとライトノベルを嗜むフリーライター。かつては「このライトノベルがすごい!」や「ミステリマガジン」にてライトノベル評を書いていたが、不幸にも腱鞘炎にかかってしまい、治療のため何年も断筆する羽目に。今年からはまた面白い作品を発掘・紹介していこうと思い執筆を開始した。