鉄腕アトムには、七つの能力がある。
ジェットエンジンで空を飛び、力は十万馬力、目がサーチライトになり、一万倍の聴力を持ち、お尻からマシンガン、人の善悪を見分け、えーと、あと一つ、なんだっけ。
とにかく、さまざまなベクトルの能力をアトムは持っていて、その多くは「漫画だから」できた。「国民的な人気」を誇った最初期の漫画の主人公には、「七つも」能力があった。実に、漫画を「駆使」しているな。
「能力」こそが漫画だ……とまではいわないが、能力はそれ自体が漫画における、花形の主人公みたいなものだ。『ドラえもん』や『サイボーグ009』をみよ。『ブラック・ジャック』や『ゴルゴ13』だって空を飛びこそしないが、現実的でない能力を保持しているからこそ漫画である。
もちろん、秀でた能力を持たない市井の人々の普通の日常や、無能力を描く漫画だってある。
衿沢世衣子はその両方を行使できる漫画家だ。
『シンプルノットローファー』『ちづかマップ』では普通の人の世界を、『ウイちゃんがみえるもの』『新月を左に旋回』では能力のある者を描いてみせた。どちらの世界にも魅力があるのだが、新作『うちのクラスの女子がヤバい』ではその両方が結実し、その結果「能力」は「無用力」になってしまった。
イライラすると指が烏賊になる。
走ったりした後で皮膚まですける透視能力を得てしまう。
モスキート音を発する。
描かれる能力の多くはまるで役に立たない。鉄腕アトムの能力でも「お尻からマシンガン」に近い。あれだけは、なんだか変だと思っていた。マシンガンはもちろん、敵をやっつけるのに有用ではあるのだが、言語としても、造作もおかしい。アトムも思春期になったら急に恥ずかしくなるだろう。
残り六つのない、「お尻からマシンガン」だけを与えられた女子たちの、途方にくれた、いささか不機嫌な日常が今回は描かれる。
無用力を持つ女子を見守る(無能力の)クラスメイトが愛しい。いつもの衿沢ワールドの、「なんだか背後にいて、棒立ちで手助けしてくれる」仲間たちが入れ替わり立ち替わり現れる。特にキャラづけをメリハリつけて強調したりしないのに、読者は本当にクラスに混じって「だんだん」その人を知っていくような速度で、いつの間にか彼らを仲間と思える。(能力を行使しない方の)衿沢作品お馴染みの臨場感と楽しさがここにもある。
無用力の女子たちも、能力だけを発揮するわけではない。手芸をする。イライラする。遅刻をする。緊張する。走る。そういった「する」ことと、不思議な漫画の能力の行使(「する」こと)はフラットに描かれて、それで従来の「能力漫画」にはない、新鮮な風の感じられる作品になった。
今作が、作者の従来作からさらに飛躍しそうなのは、無用力という発明だけでない。かつてなく「ボーイミーツガール」の予感があるからでもある。サバサバと魅力的な女子たちに対し多くの読者は好感を抱き、ときに恋もするだろうが、そうではない作中の誰かと誰かが、ということが起きてもおかしくない。市井の人の日常が(能力の有無に関わらず)そうであるように。続巻もとても楽しみだ。
レビュアー
72年生まれ。「なるべく取材せず、洞察を頼りに」がモットーのコラムニスト。00年「めるまがWebつくろー」の「ブルボン小林の末端通信」でデビュー。常にニッチな媒体を渡り歩き、北海道新聞、週刊文春などのメジャー誌から、スウェーデンの雑誌やメルマガなどでも連載を持つ。著書に「増補版ぐっとくる題名」(中公文庫)、「ジュ・ゲーム・モア・ノン・プリュ」(ちくま文庫)、「ゲームホニャララ」(エンターブレイン)、「マンガホニャララ」(文藝春秋)など。