奇跡の第1話
今はもう6月! もうコミックは重版がかかって、すでに売れまくってる。それを今さらレビューって、完全にタイミングを失ってるっちゅうねん! ちばてつや賞を受賞した読み切り版が、Xで公開されたときに20万いいねを獲得してて、もうお笑いファンやら漫画ファンが「いい!」「面白い!」「楽しみ!」ってさんざん褒めてて、語り尽くされとんねん。レビューなんか「#ローワライ」で検索したらええやん! それで十分やん!
そんな思いも含みつつ、レビューを書かせていただこうと思う。
さぁココだ。普通なら「俺と漫才やろうや」とか、「俺の相方になってくれや」って口説くものだと思う。でも、そうではなくて、“俺”と“相方”に“なろうや”と口説くのだ。このセリフを3回繰り返して声に出して読んでみてほしい。“俺”と“相方”、どっちが上とか下とかそういうことではなく、当然のことながら健常者と聾唖者という関係でもなく、きわめてフラットな関係を嶋は望んでいる。“俺”と“友だち” に“なろうや”なら、複数いる友だちのone of themみたいだし、“俺”と“親友” に“なろうや”なら「きっしょ!」って思っておしまい。でも“相方”は唯一無二の存在。ざ・ぼんちのおさむちゃんの横に、まさと師匠がいるように、代替のきかない “俺”と“相方”に“なろうや”ってセリフに、なんかもうゾクゾクする。
そして、ふたりは関西学生お笑い新人大会に出場する。それがどういう漫才かは「ヤンマガWeb」で第1話が無料で読めるので、今すぐクリックしてほしい。
すっごい面白い。なにがすごいのか語るのは、M-1の放送翌日に素人がネタ解説をするくらいに恥ずかしいけれど、それをおして言えば「やかましい」ところ。表情、吹き出し、構図、動き、全部がやかましい。コンビ漫才で、ひとりが一言も発しないのであれば、やかましさも1/2のはずなのに、その漫才がフルボリュームで聞こえてくる。それは映像や、小説では表現できない、漫画というフォーマットのみがかけられるマジックだ。この第1話がネットに公開されたとき、「普通に漫才として面白い」という感想が流れていたけれど、漫才のネタの完成度だけじゃダメなのだ。圧倒的な画力と誌面の構成力に支えられた作品であること。そしてもうひとつ、ヤンマガのド本流をいく絵のタッチがあってこそ、この奇跡の第1話は成立していると思うのだ。
第1話へのアンサーとしての第2話
しびれる! ただただしびれる!
音のない世界に嶋が乱入して言葉を取り戻し、第2話は軽やかに駆け出していく(補足をしておくと、この第2話が掲載されたのは、’26年ヤングマガジンの9号。新連載の第1話と一挙2話掲載だった。第1話のやかましさからの第2話の静謐な展開。これを一気に読ませるとは、一挙2話掲載を決断した編集部はすごい)。
ここから……、食堂に行こう→ひらりんは、いつもカレーを食べている→細いのにすごい食べるのは、胃4個くらいあるんとちゃう? →牛か!→嶋の好きな動物はなに?→ペンギン→ひらりんは?→ブチハイエナ……という流れで、ふたりは動物園に行くことに(ちなみに大阪でブチハイエナを見られるのは天王寺動物園)。
ふたりは電車に乗って→動物園に着いて→ペンギンを見て→嶋のカノジョが知らん男とデートしているのに遭遇し→ブチハイエナを見て→動物園を出たところの公園(それは天王寺公園だ)で自分たちと同じ学生漫才コンビ「キクミル」に出会って……と、1巻収録の第6話まで、ドラマ「24」かと思うような途切れない時間経過のなかで、ふたりはボケてツッコむ(実は、第8話まで続く)。もちろん話の展開はあるし、大学から電車、動物園、公園と舞台は移るけれど、物語はひらりんや嶋の内面やら、心情やらに立ち入ることがない。ただ「面白くないことを話したら多分死ぬ」ってくらいの勢いで、延々と日常会話のなかでボケとツッコミを繰り返す。
なんだ、これは!
実はこれ、とんでもなくヒリヒリする展開じゃないのか?
コンビ「ローワライ」は、また物語のどこかで舞台に立つことになる。当然読者は、あの“奇跡の第1話”を超える舞台が見られることを期待して、舞台と舞台の間の日常ドラマを追いかける。その日常をウエットな人情話にしてしまう展開もありなのだけど、どうも本作は(今のところ)そっちに振ろうとしない。絶対しないってわけじゃないだろうけれど、コンビ「ローワライ」の漫才がどこまで面白くなるのか(聴覚障害者と健常者の漫才コンビであることは、設定以上でも以下でもない)、その頂きを目指すようにボケとツッコミ続けている。そして、それがずっと面白いのだ。
これは……、笑いのインフレを覚悟した漫画ではないか?
でも読みたい! ジンバブエなみのスーパーインフレを起こした、ローワライの漫才の舞台を見たい!







