王道デスゲームの皮を被った、予測不能のミステリー
石井唯はずっと死にたかった。物心ついた時からずっとだ。これまで試した数々の「死ぬ方法」は、いつも失敗に終わった。しかしこの日はちょっと違って、唯は見知らぬ白い部屋で目を覚ます。
ゲームはドッジボール。しかしただの球技ではない。333人の参加者の苗字は全員石井で、さらに
三つのゲームを実施し、最終的に勝ち残った一名のみが生還となります
困惑する唯たちをよそに次々と発射されるボール。ぬるっと始まったゲームだが、アウトになるとどうなるのだろう。その答えを唯はすぐに目にすることになる。
あんなに死にたかったというのに、唯は思う。今はまだ死ねない。こんないかれた遊びを仕組んだやつの顔に蹴りを入れるまでは。
消えた“憑依系”俳優
元作家で探偵事務所を営む伏見と、弟子の蜂須賀のもとに、伏見の高校の同級生・鶴田が現れる。鶴田の劇団の舞台に出演していた“石井有一”が、舞台の千秋楽を前に失踪したというのだ。
交錯する謎と「意図」
主人公の唯が「死にたかった」という設定もいい。数秒に一度、当たれば首輪が爆発するボールが飛び交う極限状態。ここに「生きたくて仕方ない」普通の人間が放り込まれたら、恐怖でただパニックに陥るだけだろう。しかし、唯は違う。
このデスゲームは殺し合いを強いられるわけではなく「死のルール」も明確だ。しかし333人もの参加者が全員「石井」となれば、ただの快楽殺人というより大量虐殺には何かの「意図」が働いているのではないか? そんな考察をするのもまた楽しい。
同じ苗字が狙われる不条理や、参加者の生死を握る首輪、そして「子どもの遊び」を命懸けで行う狂気など、この作品には有名なデスゲームものを彷彿とさせる要素がたくさん盛り込まれている。「どこかで見たことがある設定だな」と思うかもしれないが、原作を読んだ私からは、この「既視感」さえも仕掛けなのだ……とお伝えしたい。怒涛のスリリングな展開に引っ張られながらも、ふとした瞬間に感じる「いや、なんでだよ?」という違和感を、ぜひ心の片隅に留めたまま読み進めてほしいと思う。
すべての違和感が繋がり、タイトル『死んだ石井の大群』の本当の意味を知った時。そこにあるのは単なる不条理なホラーではない。少し切なく、そして力強い余韻が待っているはずだ。







