むかし美容皮膚科で顔面にレーザーを当ててもらいながら「眉間のしわを消すボトックス注射が気になる」といった雑談を、施術中のお医者さんに振ってみた。すると先生は「そうね、ちょっと眉間にしわを寄せてみて!」と私に言い、その指示通りンッと眉根に力を入れてみたところ「あー大丈夫! その程度なら打たなくていいわよ! ワハハ~」と一蹴された。こういう先生は信頼できる。
『ちゃんと呪ってイチコちゃん』の“呪いの市松様”こと“イチコちゃん”も、非常に信頼できる呪いのエキスパートだ。
イチコちゃんのもとを訪れる人間たちは、呪いたいほど誰かを恨(うら)み、人生に行き詰まっている。
そんな人間たちに「人を呪わば穴二つ──覚悟はあって?」とイチコちゃんは真顔で問いかける。つまり「誰かを呪い殺すのならば、あなたにもそれなりの報いが来ますけどオッケー?」という確認なのだが、「ハイ! 自分、覚悟あります! 呪います!!」くらいのテンションだ。慎重さがまったくない。みんな恨みで前のめり。
そんな人間たちの依頼をイチコちゃんは一蹴しまくる。
ぜんぜん呪ってくれない。しかも至極まっとうなお説教つき。で、至極まっとうな説教や正論というのは、一般的にはつまらないもののはずなのに、それが本作では面白く仕上がっているのがすごい。
イチコちゃんに説き伏せられていく人間たちと一緒に私も「確かに呪わなくてもいいかも」と思っている。信頼できる市松様なのだ。
“玉緒”は20歳の大学生。バイト先の職場環境が激烈に悪化したことをきっかけに「あの店長さえいなければ! 呪われちゃえ!」と考え、呪いの市松様のもとに駆け込んだ。
玉緒のいうとおり、たしかによろしくない店長なのだ。喫茶店よりも反社会的なシノギが似合いそうな風貌で、それだけならまだしも労働基準法を徹底的に無視した店舗運営とパワハラを繰り広げる。
でもイチコちゃんは呪ってくれない。
うん、私も「そんなバイトさっさと辞めなよ」と思った。でも玉緒にはどうしても辞められない理由があるらしい。ここでちゃんと玉緒の事情に耳を傾ける親身なイチコちゃん。
玉緒の「辞められない理由」はこんな感じ。
玉緒が挙げた3点は何一つとして「辞められない理由」ではなく、また極悪店長を呪う理由にもならない。イチコちゃんの言うとおり、私もさっさと辞めろと思うよ。でも人生初のバイト先で、世の中のことを何も知らなかったら、玉緒と同じように悩んだかも。つまりイチコちゃんはなんだか世慣れた市松様なのだ。
で、いくら「辞めろ」と言われても渋りまくる玉緒に、イチコちゃんは決定的な一言を撃ち込む。
確かに……。イチコちゃんはテレ朝も見てるんだ! やはり世慣れている。
世慣れたイチコちゃんは昨今の社会問題にも詳しい。
健気(けなげ)で真面目で借金苦にあえぐ女子学生に200万円を用立てた紳士。なんだか聞いたことある話……? しかも紳士はお金を渡しただけじゃ飽き足らず「彼女を苦しめる借金取りを呪ってください」とイチコちゃんに依頼している。面倒見が良すぎて危うい!
やがてイチコちゃんは、その女子学生の素性をどんどん言い当てていく。その子は、親と不仲で、頼れるオトナがアナタ以外にいないんじゃない? ……などなど。イチコちゃんは市松様の不思議な力を使って彼女の素性を的中させているのではない。とある悪質なドキュメントの内容を知っているだけなのだ。はたして呪いは成立するのだろうか。
毎話、呪いたい人間がどんどん現れ、イチコちゃんに正論で斬り捨てられていくさまを拝むマンガだ。呪いたい事情のバリエーションがめちゃくちゃ多い。
市松様にペコペコと頭をさげるおばあちゃんは、自分を台所から締め出そうとする鬼嫁を呪いたいらしいが……?
呪いたいくらいの「恋人の裏切り」って? ここでもイチコちゃんの時事問題への敏感さがうかがえてクスッとなる。
ひたすら呪ってくれないイチコちゃん。こんなに呪ってくれないなんて、本当に呪いの生き人形様なのだろうか?
いや、やるときはちゃんとやるタイプなのかも。ますます信頼できる。
レビュアー
花森リド
ライター・コラムニスト。主にゲーム、マンガ、書籍、映画、ガジェットに関する記事をよく書く。講談社「今日のおすすめ」、日経BP「日経トレンディネット」「日経クロステック(xTECH)」などで執筆。
X(旧twitter):@LidoHanamori