主人公のエマは大の本好きで、三人姉妹の末妹。両親と美しく優しい姉、たくさんの本に囲まれた幸せな生活を送っていた。しかし、火事で両親と家を失い、人使いの荒い遠い親戚のローズさんに預けられることに。料理の腕はいいけれど、家事の段取りを考えるのに時間がかかるエマは、ローズさんからは「トロい」「使えない女」呼ばわりをされて5年が経つ。そんなある日、彼女の密かな愉しみである本屋での立ち読みをしていると、メイドを探しているという執事のルイスと出会う。
住み込みで、使用人用のお風呂と清潔なベッド付きの生活! エマはお試しで働くことになる。お仕えするのは全世界で累計発行部数1億超えのミステリー作家、レオ・ブルームーンだった。
再び本に囲まれたエマの生活が始まる。主な仕事は、1日3食の食事の用意をはじめとした家事全般。ルイスから「食事は先生の書斎のドアの前に置くこと。そして書斎には決して入らないように」と言いつけられる。しかしメイド生活2日目、エマは床に放置された本が雨で湿っていくのに耐えられず、書斎の中に入ってしまう。さらに、書き上げられたばかりの生原稿を読んでいるところをレオに見られ、感想を求められる。
ミステリー小説のトリックの穴を指摘し、思いついた代替案を話してしまう。しかし、それはどうしても行き過ぎた行為……。「早くもクビ?」と思いきや、レオは即採用を宣言する。
本作『本好きの没落令嬢、小説家をお手伝いする。』は、悪人が出てこない物語だ。ローズさんは多少難ありだが、それでも「なにかワケがあるのだろう」と思わせる。そんな善良な世界で、エマは持てる力をのびのびと発揮し、人々を幸せにしていく。晴れの日も雨の日も、それは天からの恵み。そう感じさせるほど、キャラクターはもちろん、背景や空気まで透明感があって清々しい。そんな丁寧な描写が隅々まで行き届いた本作は、大事件が起こるわけではないけれど、エマや登場人物の小さな思いやりが読む者の心の凝りを解きほぐす、至福に満ちた漫画になっている。
なかでも秀逸なのが、エマの作る料理の描写。これが本当に美味しそう!
パンに挟んであるのは、レタスにトマト、あとは炒めた輪切りの玉ねぎか? いや、サッと焼いたハムかもしれない。
これはトーストにクレソン、マッシュルーム、カリカリのベーコンにゆで卵乗せ。朝寝坊した、何の予定もない休日に朝昼兼用のブランチとして食べたいヤツ! “飯テロ”というと真夜中に食欲を掻き立てる感じだが、エマの料理はおひさまが高い時間帯にたまらない!
エマのまわりの登場人物も魅力的だ。朝昼晩とバスローブで過ごし、小説のためならなんでもやってしまう、変わり者のご主人レオ・ブルームーン。マルシェでお菓子の店を開いている噂好きのご主人と、レオ・ブルームーンのファンの店員リリー。優秀な編集者だけど、融通が効かないのが玉に瑕(きず)のジニア。そんな人々に囲まれて、エマの生活はキラキラと輝いていく。天職と思える仕事に就いて、誇りを持って働き始めたことで自信をつけたエマ。彼女はけじめをつけるため、ひとりでローズさんに自立を告げにいく。
ローズさんより立派な身の上になって仕返しをする「ざまぁ」展開ではなく、自分の思いをまっすぐに伝え了解を得る展開に思わず笑みがこぼれてしまう。人としてまっとうな生き方をし、未来を切り開こうとするエマ。素朴で真っ直ぐ、そして芯の強いキャラクター像は、大人はもちろん子供にも読んでほしい。
まだまだエマのメイド生活は始まったばかり。これからさまざまな展開があるのだろうけれど、お人よしな登場人物に囲まれたエマの幸福な日々を、もっと見ていたいなと思ってしまう。そういうほっこり気分にさせてくれる、いい作品だ。
レビュアー
嶋津善之
関西出身、映画・漫画・小説から投資・不動産・テック系まで、なんでも対応するライター兼、編集者。座右の銘は「終わらない仕事はない」。