その殺し屋は、“あるタイプの人間”に対して、温かいコーヒーをすすめる。自分でていねいにドリップしたコーヒーを保温できる水筒につめて持ち歩き、あるタイミングで水筒のコップに注ぎ、「飲むか」と差し出すのだ。いい香りがするらしく誰も拒まない。そしてコーヒーを飲んだ者はみんな「おいしい」と言って、いろいろなことを語り始める。
このコーヒーの場面こそが、“殺し屋の殺し屋”を描くサスペンス『シガンバナ』で最も奇妙で私の頭から離れない。
“殺し屋の殺し屋”こと“桐野”の服装や手袋を見るに、彼はこれから相手を殺す気満々なのだろう。そんな彼が差し出すコーヒーに毒が入っていてもおかしくないと思うのだけど、どうも普通においしいコーヒーらしい。そもそも、そんな緊迫した空気のなか無防備にコーヒーを飲んでしまう相手のことが不思議でたまらない。殺すか殺されるかのギリギリの状況のはずなのに、なぜこんなコーヒーブレイクが入るのか。
でもそこから始まる会話を聞いて納得する。「なぜ殺すのか」が隠れているのだ。
バー「シガンバナ」には、ときどき殺し屋を殺してほしい客が訪れる。
うまくいけば、店の奥にある極楽協会で「依頼」できる。その依頼をこなすのが桐野の役目だ。彼はターゲットを確実に狩る殺し屋専門の殺し屋で、腕は確か。
サクッとターゲットに近づいて仕留めることができる……のだけど、実行するまでに妙に時間をかける。
ターゲットの“イリヤ”に路上で声をかけて、彼女が見つけた捨て猫の面倒をみると申し出たり、偶然を装って彼女のマンションの隣で暮らしてみたり。こんな手順をふまなくても彼は殺しをやってのけそうだけど……。それに、これは本当に殺し屋同士のやりとりなの?
そう、『シガンバナ』の殺し屋たちは妙に普通なのだ。殺人を繰り返している人たちなのに、ちょっとさみしかったり、恋の予感にソワソワしてみたり。
でも桐野もイリヤも決して普通ではない。桐野の目には、殺人者はこんなふうに見えている。
どす黒い靄(もや)がイリヤを包んでいる。これは桐野の左目が捉えた「人の心の象(かたち)」なのだという。
桐野はこれまでに何人もの「人を殺してきた奴」に出会い、その黒い靄を見てきたらしい。桐野が子供の頃、最初に見た「人の心の象」はどんなものだったのか。ロクでもなさそうな予感はする。
桐野は、この黒い靄をまとった者にコーヒーを差し出している。つまり桐谷はターゲットがなぜ人を殺して、心に黒い靄をまとっているのかを知りたい。そこで「少し話しませんか」といった具合に、コーヒーを飲みながらゆっくり話をする。
殺し屋や殺人鬼がなぜそうなってしまったのかを「狂気」で丸めないのだ。そしてターゲットたちは、桐野に対して少しずつ心の底を見せて、殺す意味を語る。殺人を重ねて逮捕されないくらいの用心深さをもつ人間にしては少し無防備にも見えるが、桐野にはそうさせる力があるらしい。
そんな殺し屋たちを前に、桐野は刑事ドラマに出てくる人情に厚い刑事のように見えることもあれば、感情がゴッソリと抜け落ちているように見える。とても複雑で曖昧な男だ。
イリヤの抱える殺す意味を知ったとしても「それはそれ、これはこれ」といわんばかりに自分の仕事を完遂する。イリヤの頭を抑えつける手の勢いがめちゃくちゃ怖い。桐野の殺す意味をいつか誰かに尋ねてもらいたいが、それができるのは、やはり殺し屋しかいないのかもしれない。
レビュアー
花森リド
ライター・コラムニスト。主にゲーム、マンガ、書籍、映画、ガジェットに関する記事をよく書く。講談社「今日のおすすめ」、日経BP「日経トレンディネット」「日経クロステック(xTECH)」などで執筆。
X(旧twitter):@LidoHanamori