中国・最高学府の学生たちの憂鬱
4万人以上の学生が学ぶ中国の最高学府・北清大学。そのジャーナリズム学部の4年生、舒念(シュウ・ニエン)は将来について思い悩んでいた。就職が決まらないのだ。
そんなとき、舒念は後輩の徐来(シュ・ライ)が自ら命を絶とうとする現場に遭遇。徐来は親からの援助を受けず働きながら大学生活を送ってきたが、出席日数が足りなくなり、大学から退学勧告を受けていたのだ。直前まで一緒に酒を飲んでいた後輩が、自殺を考えるほど思い詰めていた──。舒念は、それに気づけなかったことに強いショックを受ける。徐来のように退学する学生は少なくない。そんな退学者の存在を伝えるため、舒念はドキュメンタリーの撮影を決意する。
『ミライライフライ』は現在の北京で、綱渡りのような生活を送る人々の物語だ。主人公の舒念にとっての「綱」は、北清大学(北京大学や清華大学がモデルだと思われる)の学生であること。その綱は「この大学を出れば、将来は約束されたも同然」だからと、これまでの人生とお金をすべて勉強に突っ込み、ようやく乗った綱だ。
しかし現在の中国は、新卒人材の需要と供給のバランスが破綻している。コロナ以降、なかなか拡大しない経済と、大学増設による大量の大卒者(その数、神奈川県の人口より多い1158万人!〈2023年度〉)。世界大学ランキングで29位の東京大学に対し、北京大学は14位、精華大学は12位である。そんな大学の卒業生が、自分の望む職業に就けない。学生を支える親は、子供の卒業が早いか、家計が破綻するのが早いかのチキンレースを強いられる。
舒念は共感性が高くて人に寄り添うことができる人間だけれど、どこか未熟で甘くて青臭い。そんな甘い彼女を指導するのが、教員の陳軍先生だ。彼の問いかけや指導が、とても興味深いドキュメンタリー論になっている。
思いつき、面白そうなテーマ、怒りや義憤、そうしたものを安易に作品化するのは、撮影者のエゴでしかない。撮影される側は、実際に生きて生活する人間。そんな生身の人間を、撮影者のエゴのために利用していいものか?
さらに陳軍先生は、1日で50人から話を聞いてカメラに収める課題を出す。その課題制作のなかで、中国が抱える重層的な問題が見えてくる。結婚を強いる親、離婚を阻む壁(離婚の増加を抑制する離婚冷静期という制度まである)、老人の年金支給額にも届かない孫世代の給与……。そして街なかで舒念がカメラを構えていると、さまざまな人が「私を撮れ」と寄ってくる。自称インフルエンサー、詐欺にあった人、性的マイノリティのカップル。彼らは、自分が背負った記号を演じるようにしてカメラの前で語る。
カメラは演じることを強いて、撮られる側はそれにやすやすと従ってしまう。そうしたカメラの持つ暴力性について学びを得た舒念は、作品制作を開始する。それは同時に、ヘビィな大学退学者の現実に触れる道程でもある。
ありのままの中国を知る
現在、中国を見る目が視野狭窄(しやきょうさく)になっている気がする。見えているのは中国共産党の動向か、「日本が嫌い」「日本がうらやましい」といった中国のネット民の反応に……、あとはびっくり動画? 実際に中国人はどんな生活をしていて、何を考えているのか無関心なくせに、限られた情報だけが入ってくる状況。でも、この作品を読んでいると「コレなんのことですか?」という引っ掛かりが無数にある。
例えば……
図書館の廃棄本?
「中国 図書館 廃棄」で検索したら出てきましたよ。実はコロナ以降、中国政府は図書館への統制を強化し、不適切な書籍の処分を進めているという。この時代に焚書同然のことが行われているってスゴくないですか? 物語では、その廃棄所で古書店が商品を仕入れているように描かれているけど、それが本当なら商魂たくまし過ぎないですか? ちなみに邱妙津の『ある鰐の手記』とは、台湾のセクシュアル・マイノリティ文学の金字塔的作品だという。
清北大学を退学した陳誠が従事する宅配サービス業の過酷さ。この仕組みでどうやって儲けが出るのだろう? まったく理解ができない。それでも配達員の収入は、国民一人当たりの収入と比較すると魅力的で、約1300万人もの人が従事しているという。こんな過酷な社会で自分は生きていけるだろうか? まったく自信がない。
そんな深刻な話だけでなく、四川人の辛さ味覚は他エリアの人にとって理解できないレベルとか、上海人が北京人に抱く料理文化の優越感といったネタも興味深い。さらに、作中でサラッと触れられている、葛宇路という現代アートの作家や、『蜻蛉之目』という映画(予告編)も調べてみると、めちゃくちゃ面白い。
『ミライライフライ』は、気軽に読みやすい作品とは言えないけれど、読んで理解するほどにガツンと響く作品だ。そこに描かれる中国に生きることの苛烈さと、社会の歪さは異様に見える。しかし、現在の日本の生きることの大変さや社会の歪みだって、外から見れば中国と相似形かもしれない。
「誰が水を見つけたかは知らないが、魚でないことは確かだ」というのはマーシャル・マクルーハンの言葉だ。魚が水の存在を意識しないように、私たちはメディアの情報を(本当の意味で)意識してしない。しかしメディアの意図を意識して、自ら「知ろう」とすると、世界の見え方は一変する。本作はそんな世界を知るきっかけになる一冊だ。
最後にもう一点。本作(特に第1話)は、単行本化にあたってかなり加筆修正されている。これは多分、著者が言いたいこと、伝えたいことを「もっと詰めたい」という意図のもとだと思われる。感触として連載時(及び1話売り電子版)のほうが読みやすいが、単行本の方はメッセージ性が強くなっている。興味のある方は、両方読まれることをおすすめする。
レビュアー
関西出身、映画・漫画・小説から投資・不動産・テック系まで、なんでも対応するライター兼、編集者。座右の銘は「終わらない仕事はない」。