“となりの国”漫画家
中国生まれ中国育ちの中国人BL漫画家が「日本の商業誌でのBL漫画連載」に向けて奮闘する『日本の月はまるく見える』。この設定だけで最高にドキドキしてしまうが、私が期待していた以上に、胸が静かに騒ぐ良い作品だった。
読む前から「ああ、きっと大変なことだろうな」となんとなく想像していた。中国でBL漫画を描くことも、自分が大好きなものが社会から禁止されることも。
でも、その話をする前に『日本の月はまるく見える』のチャーミングで素晴らしいところを紹介させてほしい。
本作の主人公・“夢言(むげん)”は、四川省に暮らす26歳の女性。BL漫画に目覚めたのは小6のとき。大人になった彼女が何を思って漫画を描いているかというと……。
このページの全部が好きだ。机にかじりついて、いい表情を描けたことに喜び、「不良文化」なんて呼ばれたって、規制されたって、大好きなBL漫画を描いていることに罪悪感など抱いていない。ここを読んで私は全力でこの作品を応援しようと思った。
そして本作の題名のモチーフである「外国の月はまるい」という言葉も美しい。そう、中国の言葉はとても美しいのだ(中国語の発音も大好き。音楽みたい)。本作の作者である史セツキ先生も夢言と同じ中国出身。セリフは日本語だけど、中国の豊かな言葉の気配を何度も感じて、日本人の私はそこにドキドキする。
夢言は四川省にある実家で母親と暮らしながら、中国内の漫画家の卵として活動している。BL漫画を愛する夢言の魂は自由だけど……?
昔はOKだったことが今は厳しい。さっき夢言が「いい表情」と感じた場面もだめなのだという。おとなりの漫画家事情がいろいろと描かれる。
かつてはBL作品をpixivで公開していたが、今は国による規制でアクセス不可。VPNを使っても、今はもう、ときどきつながったり、つながらなかったり。と思ったら!
日本の出版社から連載の相談! こうして夢言の漫画家人生が大きく動き始めるのだが、ことはそう簡単には進まない。
隣国の婚活事情
『日本の月はまるく見える』には、現代中国社会のさまざまな様子が描かれる。
たとえば人生の一大イベント「結婚」は、本人だけじゃなく親にも大きな関心事……というか、親がフルコミットしている。「相親角(そうしんかく)」と呼ばれる場所に親が集い、自分の子供の「釣書」を掲示し、親同士が情報交換するというのだ。
マッチングアプリのアナログ親版、だろうか。
そしてこの「結婚しろ~」という親からの圧は、もちろん夢言にもやって来て、ある出会いをもたらす。
お婿さん候補の “致遠(ちえん)”は夢言の幼なじみ。夢言は、かつて「ある出来事」で深く傷つき、致遠とは二度と会いたくないと思っていたけれど、親同士が相親角で再会しちゃって連れてきてしまったのだ。豪快!
この致遠という人物が、私はこの漫画のなかで最も衝撃的だった。登場するたびに異国の食べたことない不思議なお菓子みたいなインパクトを残す男なのだ(女子会で4時間くらい彼について話せる)。
致遠は、夢言との縁談にまんざらでもない。でも夢言は「ないない」って感じで、日本人読者も同じく「ですよね」と思うのだが、致遠は真顔で次のように切り返す。
痛いとこ突くなあ。「しかもBL?」なんて言うし。そして、夢言からはハッキリ拒絶されてるのに、この後も全っ然引かない。心があまりに頑丈なの!?
本作のおかげで「直男」という中国語をリアリティと共に覚えた。でもバカ直男こと致遠には、なんともいえない魅力がある。夢言と致遠の会話がめちゃくちゃおもしろい。
いざ日本へ!
連載の打診を受けた夢言は、打ち合わせのために日本へ向かう。ネット規制で連絡がうまくとれないし、勇気を出して直接会うことにしたのだ。
こういうちょっとした場面にホロッとなる。私が帰国時に素通りしてきたあの看板は、夢言にとってこんなにうれしいメッセージだったのか、って。
べつの国からみた「日本」は、こんなエピソードからも読み取れる。夢言にとって日本はBL作品に満ちたパラダイスであり、「知らない国」。その知らない国で、夢言は「絶対に嫌われたくない」のだ。編集者にも、日本人にも、とにかく嫌われたくない。
「遅刻=日本における社会的死!」と恐れながら、ひとりホテルで必死に打ち合わせのイメトレ中。うまくいくかなあ……。
中国からも、日本からも、互いにそっと手を伸ばしたり、ためらったり。夢言が奮闘する日常からはそんな波が感じられて、終始ドキドキするが、それはどこか心地よい揺らぎでもある。
レビュアー
ライター・コラムニスト。主にゲーム、マンガ、書籍、映画、ガジェットに関する記事をよく書く。講談社「今日のおすすめ」、日経BP「日経トレンディネット」「日経クロステック(xTECH)」などで執筆。
X(旧twitter):@LidoHanamori