美容誌「VOCE」で約20年続いた、写真家・荒木経惟のインタビュー連載。連載第14回では、数百冊にも及ぶ著書のなかでも不動の人気を誇る『愛しのチロ』でもおなじみ、愛猫チロの存在について語った。
──90年代初頭、写真集『愛しのチロ』によって、荒木氏のファン層は、一気に若い女性にまで広がった。世界一有名なネコ・チロは、荒木氏との長い旅のなかで、ずっと「女」であり続け、また「生」を伝え続けた。
“「美」と「醜」が行ったり来たりがいい。「醜」がなかったら人形と同じさ”
外国なんかに行くとさ、かならずインタビューで、「チロちゃんは元気ですか?」って聞かれるんだよ。「世界でいちばん有名なネコですね」って。まあ人間の歳にしたら、もう90歳ぐらいだからさ、すっかり妖気漂ってるけど(笑)。でも、まだまだ元気ですよ。
彼女はね、俺の日本語がわかるから。「元気ねぇなぁ」って言うと、ムキになってばーっと走っていく。大人になると、人間の女性だったら、何でもそれなりにわきまえるものなんだよ。けど、チロは、いつまでたっても大人にならない。うまいタイミングで甘えたり、俺を信用しきったフリをしてみたり、ときどき油断したり、でもクールに距離を置くこともある。性悪なところも、意地悪なところもある。いつまでたっても、すごく女なんだよ。
アタシは、チロちゃんを愛玩動物として撮っていないからね。こっちもネコになりきって、情人とか痴人として撮ってる。よくある可愛いだけのネコの写真っていうのは、ネコを「物」として撮っていて、そこにある「事」を忘れているんだね。「物」を写すことが写真じゃないんだよ。「物事」が写ってないと、写真はダメなんだ。俺なんか、レンズを通すと、物事だけじゃなくて、もののけまで見えちゃうんだからね(笑)。
だいたい、チロと女に共通するがいちばんいいところはさ、「ときどき」「美しく」「見える」ことなんですよ。実は、チロはそんなに美人なネコじゃないんだけど、人間の女だってネコだって、ブスの連続じゃつまらない。でも、ずっとキレイでもつまらない。だいたい、「醜」を消したら、女は人形になっちゃうだろ。整形した顔がつまんなくなるのは、「醜」がなくなるからだよね。「醜」の顔って、ふと油断したり、無防備になったりとか、そういう瞬間に訪れたりするけど、その醜の快感を持っていないと、女はダメだよね。「美」と「醜」が行ったり来たりしてさ、それがつまり、生きているってことなんだから。
本当はね、チロちゃんを飼うまでは、アタシはネコが大嫌いだったんですよ。人の家に行って、「なんか臭いな」と思うと、それがネコの匂いだってことが多くてさ。妻の陽子は、ものすごくネコ好きだったんだけど、それでアタシに言い出せなかったんだね。でも、実家のほうで拾ってきたとか言って、チロを見せられて。子ネコだからさ、すっかり騙されちゃったんだよ。女だから媚売るしさ。まだ子ネコだから臭わないし。ネコロリコロリって、いろんなことを邪魔しにくるんだよ。食事をしようと思うと、俺の椅子に先に座ってたり、ソファで本を読んでると、上に乗ってきたり。そのへんはまったく女と同じだね。媚売ってくるくせに、こっちから行くと逃げる。結局アタシはすっかり子ネコに振り回されちゃった。
ウチに来る客とか、洗濯屋とか電気屋とかにさ、突然ものすごく懐(なつ)いたりすることもあるわけさ。たぶん、わざと嫉妬させようとしてるんだろうね。アタシがソファ寝してて、最初は隣にいたくせに、そういう人が来ると、すぐに走って行っちゃう。俺は、「なんだよ、あんなヤツに懐(なつ)きやがって」って腹が立つんだけど、でも飽きっぽいから、また戻ってきてさ。最近は、俺が家にいないときは泣き叫んでいるらしいからね。海外も長いこと出掛けないようにしてるのは、チロちゃんのためなんだよ。もう、家を空けるのは3日が限度だね。
好物はね、大阪の大寅のカニカマ。カニカマはそこのしか食べない。あとは、甘エビ、海苔、白子干し。だいたいアタシと一緒のものを食べるの。それで、塩分の取りすぎで腎臓悪くしちゃってさ(笑)。でも、女もそうだけど、何でも食っちゃうようじゃダメですよ。男と食い物にはこだわらなきゃ。
チロちゃんを飼い始めてから、陽子の表情も変わったよね。生活のなかで、無邪気さとか少女性が出てきた。もちろん、そういう明るさはもともと持っていたものなんだろうけど、それまではどっちかっていうと、センチメンタルというか、哲学的というか、物思いに耽った、憂鬱な表情が多かったかもしれない。3人のいちばん幸せな構図はさ、俺がソファ寝している向こう側に陽子がいて、アタシの脚にチロが乗ってきたときの写真かな。
ヤモリを捕まえて、誇らしげに見せに来たからさ、写真に撮ってやると、今度は食べないでとっておいたヤツを、わざわざ俺にくれるわけ。放っておいたら、それが干涸(ひか)らびて、ヤモリンスキーになった。チロちゃんはさ、そうやって、俺に創作のもとをくれるんだよ。あとは、陽子が死んだあとに、アタシを「生」に向かわせてくれたのも、実はチロちゃんだったんだ。
陽子が入院した夏から、『センチメンタルな旅・冬の旅』は始まってるんだけど、アタシが彼女を見舞ったあと、ひとりで部屋に戻ってくるじゃない。そうすると、最初の頃は、もう、部屋が死んでるような気がしてさ。何もかもが停止してたんだよ。でも、そこにチロが現れて、動いてくれて、それで救われたことが何度もあった。
冬になって、陽子が死んだあとも、俺が家に籠ってたらさ、そういうときに限って、なぜか劇的に雪が降ったんだよ。チロは、ネコのくせに炬燵に入って丸くなるんじゃなくて(笑)、俺に、「外に出して」っておねだりしたの。戸を開けてやると、バルコニーに出ていってね、雪の上を、わあって跳ねるわけですよ。俺も、ちゃんとその瞬間にシャッターを押すからすごいんだけどさ(笑)。
そのときチロが、教えてくれたんだよ。部屋に籠もってないで、早く「生」に向かえって。チロが跳ねた瞬間、廃園みたいだったバルコニーが、楽園に変わったんだよ。そうやってチロは動くことで、気持ちを伝えてくれる。言葉なんか交わさなくても、いてくれるだけで、コミュニケーションが、すごくうまくいく。お互いの気持ちが通じ合っている。こっちも思っているけど、向こうも思っていてくれている。本当はどうかわからないけど、俺は勝手にそう思ってるの。
ときには、陽子のベッドに座ってアタシの帰りを待っていてくれることもあった。そして春になって、真っ白だった、何もかもが停止していたはずのバルコニーが、だんだん緑に変わっていった。白から、緑へね。だから、緑という色は、アタシにとって、「生」の象徴なんですよ。
’40年東京都三ノ輪生まれ。日本が誇る写狂人は、愛を撮ることはもちろん、愛を語ることの天才でもある。この秋はポラロイド写真つき豪華写真集『花人生』や『写真時代』の頃のパワフルかつアイデアフルに時代を丸裸にした『景色』など刊行ラッシュ。(※2002年)11月末から2月まで、韓国でも大規模な個展が開催される。
(取材・文/菊地陽子)