ビューティ誌『VOCE』で約20年続いた“天才アラーキー”こと荒木経惟氏の連載「愛ノ説明」が1冊の本になった。タイトルは『愛バナ アラーキー20年ノ言葉 2001-2020』。
2001年にスタートした連載は、荒木氏の写真に写っている“こと”を入り口にして、美やエロス、生と死、ユーモアとセンチメンタリズム、人と関係することなどについて荒木氏が考えていることを自由に語り、それを文章にまとめるスタイルをとった。
荒木氏にとって、写真を撮ることは愛することとイコールである。日常を面白くしてくれるようなヒントがたくさん詰まった発言の中から151の名言を厳選し、広く世間に知られる名作からレアなカットまでを網羅した163の写真と共に書籍にまとめた『愛バナ』は、まさに永久保存版の1冊である。
本の刊行にあたり、荒木氏と20年間にわたり連載の執筆を担当したライター・菊地陽子と2015年から連載を担当し、本書を編集した藤平奈那子の3人が、完成した『愛バナ』について語った。
「荒木さんは
ずっと愛、してる。
その愛を、
たまにこぼしてます。
生きた愛の瞬間のハナシに、
嬉しくなって、
結果セツナい!」
──満島ひかり
“写真とは、被写体だけではなく見る人とのコラボレーションだ”
藤平 昨年の末から『愛バナ』の編集を担当する中で、社内、社外含めいろんな人に会って「こういう本を作っています」と説明したのですが、お会いしたほとんどの方が、まず、「女性誌の連載が20年も続いたなんて」と驚かれました。
荒木 アタシの連載は、案外どれも長いんだけどね。ただ、女性誌は珍しいよな。担当編集者もあなたで4人目だね。
菊地 途中、2代目、3代目の編集者とは「そろそろ書籍化しましょう」という話にはなったんですが……。荒木さんも、「早く本にしろ!」とおっしゃるときと、「本にしたら連載が終わっちゃいそうだから、本にしなくていいよ」とおっしゃるときがありましたね。
荒木 ハハハ。アタシはいつも思いつきで言ってるだけだからね(笑)。結果として、このタイミングで本になってよかったんじゃないか。昔の名作から最近の写真まで網羅されているし、何よりこの本は、言葉と写真のバランスがいい! 今までも、言葉がメインの本はあったけど、短期間で取材されたものをまとめてるから。どうしても、「写真」とか「幸福」とか「女」とか、発言の範囲が狭くなっちゃう。でも『VOCE』は20年の蓄積があるからね。アタシも案外デタラメ言ってるんだけど、その、なんでもありなところがいい。
菊地 出来上がった本のページをめくると、そのときの気分で、グッと来る言葉が違うんです。写真も同じで、何度も見ているはずの写真から、それまで感じたことのない感情を引っ張り出されたりする。荒木さんはよく、「被写体の魅力を引っ張り出す」とおっしゃっていましたが、現場でのフォトセッションで被写体の魅力を引っ張り出すだけじゃなく、撮った写真まで、それを見た人の気持ちに作用する。それが荒木さんの写真の持つ力だと思います。
荒木 おー嬉しいねぇ(笑)。でも、連載の2ページも、今回の書籍だって、アタシの写真で世間に発表されているものは、すべてがコラボレーションなんだよ。写真を撮ることは被写体とのコラボレーションなのと同じで、写真を見ることもある種のコラボレーションだからね。写真が、見てくれた人とカンケー(※関係のこと)するわけ。
今回の書籍だって、じゃあ連載の中からどの言葉を引っ張り出すか、どの写真を使うか。当時の編集者がやったページも復習して、書籍の担当としてあらためてチョイスするわけじゃない? 『VOCE』では、撮り下ろしも頼まれたりしたけど、こういう言葉の連載にしても、アタシは、雑誌の仕事が好きなんだよね。それは、撮影なら常に編集者が、「今、この人がイケそうですよ」という人を提供してくれるから。『VOCE』のインタビューなら、「今回はこの写真で」と提示されるものに対して、アタシが、「おー、今回はこれを選んだのか」って思う。常に、気持ちのキャッチボールがある。なんかさ、前に「オーラってなんだと思いますか?」みたいな取材も受けたと思うんだけど、そういう目に見えない気持ちのやりとりも、オーラのひとつかもしれないよな。
“他人のオーラに気づくヤツは、自分もオーラを持っている”
藤平 オーラといえば、私、荒木さんの連載の担当になってまだ間もない頃に、『FRaU』で樹木希林さんの撮影を荒木さんがするから見学に来たら? と声をかけていただいて、初めて荒木さんの撮影に立ち会ったことがあるんです。そのとき、オーラのぶつかり合いみたいなものを感じました。優しく見えて、実はものすごく迫力のあるオーラ。
菊地 当時、荒木さんはすごく体調が悪かったんですよね。午後3時ぐらいになると、スタジオに看護師さんが迎えに来て。もちろん、スタジオにいらっしゃるときは溌剌(はつらつ)とされているんですが。
荒木 希林さん、すごく元気だったね〜。「いつもはお化粧しないんだけど、今日はちょっと頬紅だけ塗ってます」なんて言ってさ(笑)。アタシも、撮っているうちにどんどん楽しくなった。
菊地 普段は「着替えなんか少なくていい!」と言うことの多い荒木さんが、樹木さんが用意した服、「せっかくだから一通り着てもらおう」って(笑)。
荒木 婿のお下がりのシャツを袖上げしたとか言ってたよな(笑)。婿ってモッくん(本木雅弘)だろ? ああやってしつこく撮り続けちゃう相手には、やっぱり惹きつけられちゃう何かあるんだろうね。まさにあのときは希林さんから“元気をいただいた”ような感じだった。
藤平 レディー・ガガの撮影はどうだったんですか?
荒木 ギンギラギン(笑)。スタジオに来た時には、何かとんでもない感じがして「あ、これからの事件になるな」と直感したね。そう考えると結局、事件を起こすヤツが放っているものをオーラって言うんじゃないか。
藤平 すごい名言。この本に入れたかったです(笑)。
荒木 そういうヤツが起こすのは、事件とはいっても“情事件”が多いけどね(笑)。でも、ガガや希林さんのように、目に見えるものばかりがオーラじゃなくてさ。アタシだって、たまにタクシーの運転手に「アラーキーさんですよね?」って聞かれるから、「なんでわかるんだよ」って返すと、「オーラがあるから」って言われる(笑)。もちろん、メガネや髪型とか、トレードマークはあるけど、アタシが思うに、他人のオーラに気づくヤツは、自分もオーラを持ってるってことなんじゃないのかな。女は男のフェロモンに惹かれるなんていうけど、女にフェロモンを受信できる感性がなかったら、いくらフェロモンムンムンの男でも、モテないだろ? 嗅覚とか視覚とかじゃなくて、第六感的なものかもしれないけど、オーラだって、発信と受信の関係が築けるものなんじゃないか。だって、アタシの元に、「写真撮ってちょうだい」と言ってくるのは、みんな素敵な女性だからね(笑)。こっちのオーラを感じてるってことは、向こうもオーラがある。なんかそんな気がするね。
“オーラがある人はみんな神様だよ”
菊地 ということは、荒木さんの写真から何かを受信できる人は、その人にもちゃんとオーラがあるってことですね。美人だから、有名人だから、アーティストだからオーラがある、というわけではなくて。
荒木 有名か無名かなんて関係ないよ。だいたい、アタシなんて、腐った花のオーラも、朽ちていく街のオーラも、1日の始まりの空のオーラも、ガンガン受信してっから(笑)。オーラを持っている人は、世の中にいっぱいいるんです。いないと面白くない。日常がパラダイスにならない。こんなシケた時代だけど、ちゃんと神はいるんだよ。今は、オーラとコロナが喧嘩しているけど、小さな子に、「神様はいるの?」って聞かれたら、「いるよ。オーラがある人はみんな神様だよ」って言ってあげればいいんじゃないの?
藤平 なるほど〜。そう考えると、たしかに日常がパラダイスになります。
荒木 『週刊大衆』っていう雑誌で、「人妻エロス」っていう人妻のヌードを撮る連載を、もう20年以上やっているんだけど、それが、今面白くてしょうがない。人妻たちは、向こうから「撮ってほしい」と応募してくるんだけど、その動機は、「アラーキーに撮られたい」というだけじゃないんだ。生活苦だからギャラが欲しいとか、亭主に浮気された復讐のためにとか、いろんな事情を抱えていて、それが面白い(笑)。みんな積極的な女性たちだし、結婚していろんなことを経験して、女としての歴史があるわけよ。こっちは、「情事聴取」といって、先にアンケートに答えてもらったりするんだけど、男性経験とかもさ、みんな正直なわけじゃなく、人数を誤魔化したり、わざと嘘ついたり(笑)。それぞれの事情が、オーラを作っているんですよ。そっちの方が面白いんだよ。最近、「近所が浄土」って言ってるんだけど、だから、パラダイスはすぐ近くにある。
菊地 男の人のオーラについてはどうですか? 荒木さんは、女性を撮影するとき、「彼氏から待ちぼうけを食らって、寂しい気持ちでいる」とか、状況を設定して演じさせますよね。
荒木 まぁそれは、女が日常さえも演じてしまう生き物だからさ。女は、演じるのを休む暇がない。ずーっと女優をやっているから、普段の顔なんてないだろ? 「普段の顔はどれ?」って聞かれても選べない。最近は、男も芝居に目覚めてきちゃって気味が悪いけどね(笑)。俺は昭和の人間だから、男の顔は「裸」がイイと思う。『ダ・ヴィンチ』って雑誌でも、「裸ノ顔」って連載をやってるしね。でも、実は裸の顔なんてないんだよ。例えば俳優は、「演じてないから素の顔だ」とかいうけど、女と同じで、素の顔なんてものは存在しない。アタシは元々、「誰かを撮りたい」ってものがないし、編集者のオススメの方が面白いと思っている類だけど、「今回はこの人で」となって、撮ってみると必ず魅力がある。妙なところで味があったりするしね。
“60年以上写真を撮り続けても、まだ気持ちが行き来する”
荒木 でも、20年前に、男の顔を撮り始めた頃は、「本人が長年かけて作った顔を凛々しく撮って差し上げたい」と思ってたんだけど、最近はその考えが変わってきた。何十年かけて作った顔より、ほんの一瞬の笑顔の方がいいんじゃないか。そう感じるようになった。希林さんも、笑顔の種類が豊富でビックリしたもんなぁ。結局、何が面白くて何がイイのか、何が人間の魅力なのか。60年以上写真を撮り続けても、気持ちがあっちこっちに行き来する。だからまだ写真を撮り続ける。『愛バナ』も、アタシを、「まだまだ撮るぞ!」って気持ちにさせてくれた本。本自体にオーラがあるぞ(笑)!
(文・菊地陽子)
荒木経惟 Nobuyoshi Araki
1940年東京都生まれ。千葉大学工学部写真印刷工学科を卒業後、電通にカメラマンとして入社。1964年「さっちん」で「第1回太陽賞」を受賞。1971年に妻・ 陽子との新婚旅行を収めた『センチメンタルな旅』を自費出版。翌年よりフリーとなる。被写体との個人的な関係性を写した「私写真」、強烈なエロス(生、性)とタナトス(死)が漂う写真世界を確立。1990年代以降、世界各地で多数の展覧会を開催、日本を代表する写真家として国内外で高い評価を得ている。数々の雑誌で写真連載を持ち、女性誌『VOCE』 では約20年にわたりインタビュー連載「愛ノ説明」を続けた。
「この本は写真と言葉のバランスがいい。20年分のアタシの生きた声が詰まっている。やっぱり長生きはするもんだね。連載が20年続かなきゃ、こういういろんな写真や言葉がごちゃ混ぜになった本はできなかった。なんかさ、自分の写真と言葉にあらためて気づかされるね。生きてると面白いことがたくさんあるぞ、って」