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2018.11.06

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第64回乱歩賞受賞作スピンオフ短編を特別公開!『間氷期』(2)

太陽は高く昇り、濃い青色の空から眩い陽光が降り注いでいる。強烈な紫外線から目を守るため、ゴーグルは外せない。

パキスタン兵のキャンプ跡を調べていたため、予定の時間をオーバーしていた。ただでさえ、薄い酸素のせいで通常よりも注意力が落ち、行動に時間がかかっている。デフォーたちは急いで斜面を下りきると、すぐにまた、谷向こうの山を登り始めた。その先にある氷河を渡れば、調査隊のベースキャンプだという。

山の中腹で小休止を取っている時、ロバーツがノートパソコンを取り出していじり始めた。

「それ、何ですか。軍から支給されているものじゃないですよね」

デフォーが訊くと、ロバーツはにやりと笑って答えた。

「さっき、パキスタン兵のテントの中にあったのを失敬してきた。何か情報がないか漁ってみたいんだが……ちょっと手こずりそうだ」

さすがのロバーツも、短い休止の間にはロックを解除できなかったらしい。悔しそうにパソコンをバックパックへ仕舞っていた。

そこから300メートルほど高度をかせぎ、峠にたどり着いたのは、もう昼過ぎだった。

峠から反対側を見下ろすと、平坦な地形が広がっていた。

「なんだ、最初からあそこに降下すればよかったのに」

デフォーが呟くと、いつの間にか隣で双眼鏡を覗いていたウェストが答えた。「表面を砂礫に覆われているが、あれは氷河だ。あんな所に降りてみろ、隠されてるクレバスに飲み込まれちまうぞ」

「あれが、氷河ですか。大昔は、あんなのがそこら中にあったんですかね」

「氷期にはね。実は、地球は今でも氷河時代の中にあるんだぜ。その中で、氷期と間氷期を繰り返している。今は、1万数千年ほど前に始まった第4間氷期の真っ最中だ」

「へえ……」

ウェストによれば、目の前の氷河は西から東へ、年に数メートルというきわめてゆっくりした速度で流れているらしい。氷河の北側には別の尾根が並行しており、鋸状の稜線には1ヵ所だけ切り取ったように、氷河よりも標高の低い鞍部があった。もっとも、氷河がそこへ流れ込むにはまだ何千年もの時間を要するのだろう。

その鞍部の向こうには、盆地らしき地形がかろうじて見通せた。

「あれが、調査隊のベースキャンプがあるという盆地だな。見ろ、氷河にロープが張ってある」ベイカーが指さした。

「調査隊が残置したものかな」「使わせてもらうとしよう」と、他の隊員たちが話し合っている間、デフォーは自分たちのいる峠の周辺を念のため確認した。そして、モノトーンの中に小さく光る色を見つけた。

峠の、少し開けた場所の端。大きな岩が張り出した陰に不自然な形で石が重ねられ、その前に乾いた黄色い花があったのだ。茎が石の隙間にねじ込まれている。自生しているものではなく、どこか別の場所から抜いてきて、強風に飛ばされぬように差したのだろう。

花の置かれた石。これはつまり、墓のようなものか? いったい誰がこんなものを?

その時、かつん、と硬いものがぶつかる音がした。デフォーの頭上の大岩に、何かが当たったのだ。ぱらぱらと落ちてきた石の破片がヘルメットに当たり、乾いた音を立てる。

「敵襲!」

デフォーは咄嗟に叫んだ。隊員たちが一斉にその場で伏せた。

ひゅっ、という空気を切り裂く音がした直後、細長い棒状のものが、地面に突き刺さる。やがて音はいくつも重なり、その都度、突き刺さるものが増えていった。中には岩に当たって跳ね返され、転がってくる棒もある。

矢だった。

続々と飛んでくるそれを避け、隊員たちは手近な岩陰へ身体を押し込んだ。

様子を見ているうちに、矢が飛来してくる方向はわかった。峠を見下ろす、尾根の高い位置から放っているのだ。

岩の隙間へは屈んで入るしかなく、デフォーの身体の半分ほどは吹き溜まった雪に埋もれてしまった。ゴアテックスのECWCSパーカーから水分がしみ込んでくることはないものの、冷気は容赦なく全身を包み込む。雪に触れた肌が痛みを感じ始めた。だが、パキスタン兵の死体を思い出せば、そんなことには構っていられない。ナイフを手に躍り込んでくるイスラム過激派戦闘員の姿を想像し、M4カービンを握りなおす。

「皆、無事か」

ベイカーの声に、「ジャクソン、無事です」「ニールセン、生きてます」と次々に声があがる。幸い、負傷した者はいないようだ。

やがて、飛来する矢の数は減ってきた。デフォーはその隙に、雪にまみれつつ、匍匐して皆の所へ戻った。カトリを除く全員が、同じ岩陰に入っていた。

そのカトリは、少し離れた岩の下で、M4カービンを手に身を屈めていた。すぐ近くの地面に、矢が刺さっている。

「危ないぞ。こっちへ来い」

ウェストが叫ぶ。頷いたカトリは走り出そうとして、突然M4カービンを構えると狙いをつけた。

しかし、撃つのかと思いきや、カトリはすぐにはっとしたように引き金から指を離した。そのまま、皆のそばへ走り込んでくる。

「敵を見たのか」

「ああ……」カトリは、神妙な顔をしていた。

「なんで撃たないんだよ」ロバーツが言う。腰抜けめ、とでも続けそうな表情だった。

いつの間にか岩陰から身体を出し、双眼鏡で周囲を見回していたウェストが報告した。

「遠くに逃げていく影が見えます。もう……いなくなりました。皆、出てきて大丈夫だと思います」

警戒しながらゆっくりと外へ出て安全を確認すると、ベイカーは自問するように呟いた。

「パキスタン兵を襲った、イスラム過激派か? なぜ銃を使わなかったんだろう。ウェスト、姿を見たか」

「遠くて、はっきりとはわかりませんでしたが……。なんというか、毛皮のようなものを着ていました。防寒着にしてはずいぶん古臭い感じです」

「お前が撃っとけば正体がわかったかもしれないのに」ロバーツが、カトリをしつこく問い詰めた。「なんで撃たなかったんだよ」

カトリは、ぼそりと言った。

「今の奴らは、過激派じゃない」

「は? どういうことだ」ロバーツが苛立つ。

「誰かはわからないが、少なくとも我々を殺そうとはしていなかった。あの位置から奇襲して、誰にも当てていない。自分を狙っていた奴も、わざと外した。狙撃兵の自分にはわかる」

「威嚇だったということか?」ベイカーが間に入ってきた。

おそらくは、とカトリが答えると、ロバーツが聞こえるか聞こえないかの声で言った。「本当かよ」

「そこまでにしておけ」

ベイカーは話を終わらせると、皆に言った。「調査隊が危険だ。すぐに出発するぞ」

話は終わったものの、装備を再び身に着ける隊員たちの間に、カトリを臆病者とみなす雰囲気が漂っているのをデフォーは感じていた。

パキスタン兵に祈りをささげていた彼の姿を思い出す。……カトリは、この先俺たちの足を引っぱりはしないだろうか。

斉藤 詠一(さいとう えいいち)
1973年東京都生まれ。千葉大学理学部物理学科卒業。現在神奈川県在住。2018年『到達不能極』で第64回江戸川乱歩賞を受賞。

到達不能極

著 : 斉藤 詠一

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