インスタにアップする写真の中でだけ、僕らは「本当の旅」を実感できる――
■SNSに頼り、翻弄され、救われる私たちの空騒ぎ
海外旅行でインスタにアップする写真で“本当”を実感する僕たち、ネットショッピング依存症から抜け出せず夫に携帯を取り上げられた妻、自分たちだけの“印”を世間に見せるために動画撮影をする夫婦――。
芥川賞受賞から2年、本谷有希子が描くSNS狂騒曲!
■刊行記念 本谷有希子さん特別エッセイ
数々の賞を演劇と小説で受賞してきた本谷有希子さん。「異類婚姻譚」で芥川賞を受賞してから2年、待望の受賞後第1作が『静かに、ねぇ、静かに』です。本作は、インスタ、ネットショッピング、動画撮影といったSNSに翻弄される人々を描き、本谷さんならではの目線で現代を表現した小説になっています。この小説が完成するまでの2年間に経験した著者としての苦しみと葛藤について、本谷さんにお書きいただきました。
なぜ毎度、2年空くのだろう
文:本谷有希子 写真:ユイネ ハヤト
芥川賞を頂いてから2年が経っていた。
別にさぼっていたのではない。受賞の少し前に生まれた娘の世話に明け暮れたり、細々と仕事をこなしながら、ちんたらしているうちに、時間が経過していた。
思い返してみると、前作「異類婚姻譚」の発表も前々作から2年後だった。その時は、正直なまけていた。こうなりゃ私のこの自堕落ぶりを書いてやろう、人がどのようにして誓った決意を破り、楽な方へと流されていくかを描写してやろうではないかと、半ばヤケクソで自分の中の怠惰という化け物を正視し、ようやく1作仕上げることができたのだった。
しかし、同じことは書けない。というか今回、私は別になまけていたわけではないのである。妊娠、出産という大仕事をした。子育てに至っては真っ只中だ。ここから泉が湧くように書くことが生まれるに違いないと私は期待し、ごく自然に娘のことを記録し始めていた。初めは小説として書き出したが、どうもうまくいかなかった。やり方がよろしくないのかと断片的にしたり、日記風にしてみたりとあの手この手で奮闘したが、やっぱりダメだった。絶対的個人的な体験であるにもかかわらず、どこかで見聞きしたような母と子の物語にしかならないのだ。そこに私だけのオリジナルの唾のようなものがどうしてもまぶせないのだった。私は半年ほど未練がましく粘り、そして諦めた。子育てという経験に関して、今の私からは何も生まれないのだと。
しかしそうなると、一体何について書けばいいのかわからず、途方に暮れた。これまでいくつも小説を仕上げてきた過程で、私には少しずつわかってきたことがある。自分にとって「小説を書く」とは、そこにひとつの「眼差し」を持ち込む作業だ。その眼差しが饒舌でナルシスティックで変態的だろうが、無口で批評的でサディスティックだろうが、その「眼差し」(色眼鏡とも言う)を通して、読者は見慣れているはずの場所を見直すのではないかと。その色眼鏡は赤や紫でもよいし、ピンクやギンギラギンのゴールドなんかであっても構わないのだ。
だというのに、娘が生まれてからの私にはその持ち込むはずの眼差しがないのだった。子育てにかまけ、いろんなことに見て見ぬ振りをしたせいかもしれない。怠惰とはまた別の化け物が、体の中でぶくぶくと太り始めているような気がし、私は慌てて辺りを見渡そうとした。が、その時にはもう垢が“まなこ”にびっしりとこびりついていた。何も見えない。垢しか見えない。私は眼差しのない、小説のできそこないをだらだら途中まで書いては、パソコンのフォルダにしまい込んだ。原稿用紙を引き出しに放り込んだ。
そんなある日、連れがこう言った。「香港のカジノにひとりでギャンブルしに行きたいから、その代わり、あなたもどこか旅行にでも行ってきたらどうか」。私にぐちぐち言われるのがよほど嫌らしく、「その間、娘の面倒は自分が見るから」としつこく勧めてくる。
結局、私は古くからの友人を誘い旅行することになった。6月のマレーシアだ。よく考えると、子供が生まれてから家族と離れて泊まりがけで遊んだことなど1度もない。マレーシアで解放された私は、友人が持ってきた自撮り棒を初めて使ってみたことで、何かの“たが”が外れたらしく、取り憑かれたようにスマホのシャッターを押しまくった。そして時間をかけて膨大な量の写真を選別し、観光などそっちのけでアルバムに保存した。それらをどうするというあてもないのに、だ。ただ撮影するという行為にのめり込み、ホテルでも屋台でもスマホ片手に、友人とああだこうだ言い合った。
しかし同時に、視界が少しずつ開けていく予感があった。意識するまでもなく当たり前になっていた光景が、それまでとは違うものに見え始めていた。スマホのレンズを友人に向けながら、私はぼんやり考えた。この気持ち悪さ、この違和感を眼差しとして小説に持ち込めるだろうか、と。帰りの飛行機の中、現実より5割、いや7割増しで楽しそうに映っている写真を見返しながら、私は目から垢が剥がれ落ち始める音を聞いた気がした。
帰国後、私は書き始めた。それが『静かに、ねぇ、静かに』という作品集になった。収録された3編ともSNSがモチーフだ。なぜ今、この題材なのだろうと自分でも思う。もしかすると私と娘はまだ近すぎるのかもしれなかった。離れたものに焦点をあてることで、どうにか動き出せたのだ。
■静かにしてはいられない、全国の書店員さんから大反響!
正に私の好きな本谷文学。異常だと割り切れない、人間誰もが持つ小さな歪みをチクチクと刺されました。2年、待ちに待ちました。刊行、本当に嬉しいです。――田村知世さん(ジュンク堂書店吉祥寺店)
自分はここまでひどくない……と思っていても、読み進めるうちにどこかしら共感する部分があることに気づき、心がざわついた。ゾワッとするのに面白くて、ついまた初めから読んでしまった。――山本机久美さん(柳正堂書店イトーヨーカドー甲府昭和店)
ネット依存に伴い、生身の人間とのコミュニケーションが上手くとれない現代人をリアルに描いている。まるで目の前で起きた事を一部始終、文字に起こしているようで、その緻密さに驚くばかり。――齊藤一弥さん(紀伊國屋書店仙台店)
この作品は、現代版「侏儒の言葉」だ!!――阿久津武信さん(くまざわ書店南千住店)
3作ともそれぞれ違う面白さがあるけれど、全てに共通しているのは、自分でも意識していなかった気持ちが的確に言葉になっていること。全ての登場人物にシンパシーを感じて、そして彼らがあまりにも切実で泣けてくる。――市川真意さん(ジュンク堂書店池袋本店)
「私」と「私たち」の関係と、無意識にも、しかし時には意図的に人の心に踏み入る感覚のバランスが絶妙でした。読者にとって、「私」は限りなく救いようのない滑稽さに満ち溢れているのに、指差して大口をあけて嘲笑えないのはなぜなのだろうか。――山本亮さん(大盛堂書店)
現代の若者の未来がこれだとしたら、私はおそろしくなりました。読みすすめると背中に冷や汗をかいていきました。ホラー小説でもないのにホラーを読んだ気分です。――宮内穂の佳さん(須原屋武蔵浦和店)
面白くてどんどん読み進めた。まるで他人の人生を体験したかのような臨場感。底なし沼にはまっていくような結末に「あなたならどうする?」と突きつけられた。――谷川美鈴さん(紀伊國屋書店本町店)
背筋がぞっとする展開もありますが、本谷さんの切り口で時にユーモラスに時に切なく描かれ、読み終えた後も深く考えさせられました。――竹腰香里さん(丸善名古屋本店)
日常のありふれたシーンから始まるストーリーから、巷にあふれる怪談などを凌駕する非常に怖い世界へと連れこまれる感覚を味わいました。――和田章子さん(水嶋書房くずはモール店)
自分も依存しているものから引きはがされたら、どんなになってしまうのだろうか、と想像すると空恐ろしくなりました。――江連聡美さん(書泉ブックタワー)
社会派でありホラーであり第一級の文学でもある。SNSに支配されている我々の行方を暗示……これは広く深く読まれるべき1冊です!――内田剛さん(三省堂書店営業企画室)
本谷有希子が描く世界はやはり一筋縄ではいかないのだ。私はこんなじゃない、こんな人とつきあわないもん!と本を閉じたらゆっくり周囲を見渡してみよう。ホラ……。――吉江美香さん(教文館)
1979年生まれ。2000年に「劇団、本谷有希子」を旗揚げし、主宰として作・演出を手がける。2006年上演の戯曲『遭難、』で第10回鶴屋南北戯曲賞を史上最年少で受賞。2008年上演の戯曲『幸せ最高ありがとうマジで!』で第53回岸田國士戯曲賞受賞。2011年に小説『ぬるい毒』で第33回野間文芸新人賞、2013年に『嵐のピクニック』で第7回大江健三郎賞、2014年に『自分を好きになる方法』で第27回三島由紀夫賞、2016年に「異類婚姻譚」で第154回芥川龍之介賞を受賞。著書に『腑抜けども、悲しみの愛を見せろ』『ぜつぼう』『あの子の考えることは変』『生きてるだけで、愛。』『グ、ア、ム』などがある。