「チャイナ・セブン」(中国共産党政治局常務委員)が決定され習近平の独裁権力が確立されたと報道されています。毛沢東、トウ小平に次いで習近平の名前が、中国共産党党規約に記されることになりました。実質上、憲法を越える最高規範が党規約ですから、権威としても確立されたといえます。この背景には一連の習近平が国家目標(=政策目標)として掲げた「中国の夢」政策が歓迎されたのではないかと思います。習近平の「中国の夢」はこの本で次のように説かれています。
──習近平が開始した政策に「G2」「一帯一路」「南シナ海進出」「AIIB(アジアインフラ投資銀行)」などがあります。そのどれもが対外膨張政策であり、国威発揚を目的としています。──
この習近平路線はこれまでの胡錦濤路線であった「和諧(わかい)社会」を目指す政策からの大きな変更でした。「和諧社会」とは「調和のとれた社会という意味で、格差是正」のことです。
では中国においてこの「和諧社会」は実現あるいは一歩進めることができたのでしょうか。そうではありません。胡錦濤路線は失敗し、格差はさらに拡大していきました。豊かになったのは北京や上海に住む人々だけで「農村部は取り残され」たままです。
このような不平等の根源に「都市戸籍」と「農民戸籍」という制度の存在があります。この本は現代中国の矛盾の象徴でもある農民戸籍・都市戸籍をキーワードにして中国の実態を追究した意欲作です。
すべての中国人の戸籍は、農民戸籍(農業戸籍)と都市戸籍(非農業戸籍)に分けられています。農民戸籍を持つものが9億人、都市戸籍を持つものが4億人です。そして2つの戸籍には「明確な区別や差別」が、「経済的にも厳然とした格差」が存在しています。
この戸籍制度は「江戸時代の身分制度」のようなもので「中華人民共和国が成立したのち、共産党によって」作られました。さらに農民戸籍のまま都市で働く「農民工」という存在があります。この本によると9億人の農民戸籍のうち3億人ほどが「農民工」として都市で働いています。この「農民工」の存在が中国の近代化、経済成長に大きな役割をはたしました。今でも中国経済を支えています。
それはまずなによりも「安価な労働力」の供給源でした。寒村から仕事を求めて都市にやってきた彼らは、安価な賃金のもとで労働に従事せざるをえず、それが都市を発展させ、ひいては中国の経済成長をもたらすことになったのです。今の中国経済も著者のいうように「9億の農民から搾取する4億の都市住民」というなかで維持されています。ですから、都市戸籍の恩恵を受けている富裕層を見るだけで中国の実力をはかってはいけないことになります。その富裕(=繁栄)を底辺で支えている「農民工」、それを生み出している農民戸籍者の実情を含まなければ中国の実態をつかむことはできません。
安価な労働力である「農民工」は中国製品に国際競争力をつけさせています。しかもこの「農民工」を雇用している企業は「農民から見たとき、すべてがブラック企業」です。
──中国ではブラック企業の存在が社会的に許される……これは、中国が経済成長を遂げることができた最大の要因です。(略)「農民工」を低賃金でこき使っても心が傷まない経営者は、グローバル経済の勝利者でした。どんな国に住んでいても、従業員の給与や福祉を無視して経営を行うことができるのであれば、誰もが一流の経営者になれることでしょう。──
かつて毛沢東がアメリカ帝国主義、日本帝国主義を“張り子の虎”と呼んだことは有名ですが、その際ロシアのツアーや中国の皇帝も“張り子の虎”と呼んだそうです。もっとも毛沢東、トウ小平、習近平も一代皇帝のようなものですから、やはり“張り子の虎”なのかもしれません。しかも、この3人とも農村(農民)を利用するだけしました。毛沢東は「農村から都市を包囲する」と宣言して農民を革命の主体とし、トウ小平は「南巡講話」によって農地を取得、都市化を進め、習近平は「農民工」として利用し続けました。
現在の中国の“張り子の虎”ぶりはこの本の重要なテーマです。GDPの数字を上げる(操作?)するために人気がない街路に煌々(こうこう)とイルミネーションを飾る村、閑散とした新幹線のホームの光景、住む人のいない「鬼城」と呼ばれるマンション……。これらは出世のために経済成長の数字を作ろうとした行政官僚が強行したものであり、経済成長の歪みや汚職・利権の姿をあらわしたものでもあります。もちろんそれらを総合した結果である経済指標はGDPを含め疑わしいものといわざるをえません。
そのうえ中国人解放軍や武装警官の組織の中にある汚職・売官・賄賂、さらには人民解放軍が行っている営利事業(!)もあるそうです。
──このあたりは、人民解放軍が国軍ではなく、中国共産党の軍隊であることにも関係しているでしょう。ある意味、人民解放軍は、「私」の軍隊なのです。だからこそ営利事業を行ってもよい、ということになります。──
中国の危うさをえぐったこの本ですが、ある教訓を私たちに教えています。それはトウ小平の「先富論」に触れた箇所です。周知のように「先富論」とは、先に豊かになれる地域と人から豊かになろう、そして豊かになった者が貧しい者を助けるという考え方で実施された政策です。しかしもたらしたものはとどまることのない格差拡大でした。これは「ただのきれいごとだった」のです。
──豊かになった者(都市戸籍所有者)は、豊かになれなかった者(農民戸籍所有者)を踏み台にして豊かになった。その踏み台を外すわけにはいきません。踏み台は、永遠に、必要なのです。それを外せば、自分たちのほうも貧しくなってしまいます。中国の農民は、これからもずっと貧しくあり続けるのです。──
この「先富論」は違った呼び名で私たちの周囲にあります。「トリクルダウン」に代表される経済成長至上主義です。主唱者(竹中平蔵ら)自ら前言を飜し「トリクルダウン」の失敗、誤りを認めるようになりましたが、「成長の果実」云々というものはまだいわれています。成長至上主義は必ず踏み台(貧困層)を作り出します。そして格差は拡大していきます。その生きた例が現代の中国です。
この本はまた中国の軍事予算の増大がもたらす中国経済の危機にも言及しています。これもまた、国際(北朝鮮)危機が声高に叫ばれ、防衛費(軍事費)が増大する今の日本が参考にすべき事柄だと思います。
中国は一党独裁のもとで驚異的な経済発展を可能にしました、農民を犠牲にして。そして国内に「大きな歪み」を作り出しました。ではこの歪みは正せるのでしょうか。
──民主主義がない国は、一度間違いを犯すと、その間違いを修正できず、ただ傷を深めてしまうものなのです。──
著者はインド(民主主義)と中国を比較してこう記しています。一党独裁は必ず国内に歪みをもたらす、それを正せるのは民主主義だけです。インドの民主主義を評価する著者には日本の民主主義はどう映っているのでしょうか。健全なのでしょうか。中国は他山の石とすべきです。目から鱗が落ちる思いのする好著です。
レビュアー
編集者とデザイナーによる書籍レビュー・ユニット。日々喫茶店で珈琲啜りながら、読んだ本の話をしています。政治経済・社会科学から芸能・サブカルチャー、そして勿論小説・マンガまで『何でも見てやろう』(小田実)ならぬ「何でも読んでやろう」の二人です。