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2017.07.22

レビュー

高座の裏側は超絶ブラック? 林家彦いちが撮った「楽屋」ストーリー

百数十葉になるモノクロ写真に留められた噺家、芸人さんたちのポートレートをながめるだけでも楽しい1冊です。お亡くなりになった師匠たちの姿も多数収められています。

楽屋といっても修行の身では決して「楽しい」「部屋」ではありません。

──楽屋に最初入ったときは前座修行だったせいか、ちっとも楽しくない。大変なことばかりだった。「我苦屋(がくや)」でもよさそうなのに……しかしそれは前座の僕にとってだから関係ない。楽屋にいる先輩や師匠方をじっと見ていても、出番が終わればすぐ帰るし、何も喋らない人もいるし、封建的ルールがたくさんあるし、本当に「楽しい屋」なのかなぁと疑問に思った。──

封建的ルールの1つといえるのが楽屋での座る位置。序列がしっかりと決まっています。この本では上野鈴本演芸場での座り順が図解されています。なるほど、なんとなく納得できる気がします。けれど「エライ人」が重なる時には面倒なことも起きてしまいます。

──以前、〇〇師匠が入ってきたが、△△師匠がその席を立たなかった。するとふたりとも無言でその一枚の座布団にふたりで座ったのだ。イス取りゲームの状態。そしてお尻でおしくらまんじゅうのようにグイグイやっていた。──

大人げないといってはいけません。噺家は一国一城の主、まして高座のトリを務めるような大師匠です。自負心もさぞかし強いのでしょう。

楽屋の位置といえば前座にもやはり序列があるようで「高座返し」(一番下)、「太鼓判」「立前座」もどこに立つ(座る)のか決まっています。「立前座」は前座の最高峰ですが、なればなったで苦労も大あり。このあたりの身につまされる苦労話はこの本の秀逸なところです。

「我苦屋」で大変な前座さんたちにどこで会えるかというと……。寄席がハネたあと、近くの居酒屋さんをのぞくとこんな会話が聞こえてくるかもしれません。

──「昨日、玉ネギとネギまちがえちゃって、師匠のおカミさんしくじって大変」「オレなんか、師匠んちの犬しくじってさぁ~犬の前で土下座だよ」「皿を届ける途中、転んで膝のサラ割ったアイツどうした?」……など、とても大人の会話とは思えない声が聞こえてきたら間違いなく前座さん。そんなときにはおごってあげましょう。最近の若者には決して見ることができない、全身での喜びと丁寧なお礼とぎこちないヨイショが見られるはずだ。──

ぎこちないヨイショというあたりが噺家になりたてという感じですね。

前座を泣かす楽屋ですが、師匠連は楽屋でどのような顔をしているのでしょうか。この本の写真が雄弁に語っています。

まずは寄席へ向かうみちすがら、電車の中での一コマから始まります。

──じつは電車の揺れとガタンガタン~のリズムは、噺の稽古をするにはもってこいの場所でもある。電車内で左右に首をふり、ぶつぶつ言っていたら噺家かもしれない。──

そういえばいまでも山手線をグルグル周りながら独り稽古をしていると語っていた前座さんがいました。

寄席の入口では出番を終えた人とこれから楽屋入りする人との接近遭遇。入る前から「仕事人」の顔になっている師匠もいれば、まだまだリラックスしている顔も見られます。芸風なのでしょうか冗談ともつかぬことで彦いちさんを「……」とさせる師匠もいたりして……。

寄席・演芸場は場所によっては客席と楽屋が一緒なところもあります。タイミングがあえば大師匠の普段着姿も見られるかもしれませんね。

さて、開場前の楽屋風景。一見ガランとしているようですがちょこんと座っている前座さんはすでに緊張モード。いよいよこれから楽屋に活気がみなぎり始め、客席の歓声・笑い顔も押し寄せてきます。その前のわずかな静寂というのでしょうか。傑出した1葉です。

集まり始めた噺家、漫才師の師匠たちの姿、加えて楽屋にそよ風を吹かせているような音曲の師匠たちの笑顔を見ると、こうして「我苦屋」から「楽屋」へ空気が変わっていくのだろうなと感じさせます。笑い声、はしゃいだ声、写真のあちこちから賑わいが伝わってきます。

楽屋での師匠たちの姿はというと……。例えば「骨伝導落語」なる珍妙なネタを思いついた円丈師、前座を相手にからかっているような師匠もいれば、なにやら身振り、手振り混じりで仕方噺風に昨夜の行状を語っている師匠もいます。どこまでがシャレなのかわかりません。見ようによっては、まるで稽古をつけているかのようにも思えるのですが、さて……。

「噺家はバカじゃできないね、だけど利口なヤツはやらないね」
という有名な言葉がありますがそれを地で行っているような楽屋風景です。

師匠の楽屋姿はリラックスしたものだけではありません。独り出番直前で演目を繰り返している師匠の姿、なにやら手元のノートらしきものを真剣な面持ちで読んでいる姿もとらえています。手元のあるのは「ネタ帳」と呼ばれるものです。

──ネタ帳を見ればどんなお客さんかもわかる。同時に演者の芸の状態や体調だってわかることもある。噺家カルテだ。言葉を交わさずともネタ帳内で会話するのだ。スゴイぞ!ネタ帳。──
(ネタ帳:楽屋で、その日に出た演芸の題名を書く帳面。後から出る芸人が見て、自分の演じるものを決める。鶯宝恵帳の字を充てることもある。『落語辞典用語集 - 落語はじめの一歩』落語芸術協会より)

そして楽屋から高座に上がっている噺家を見つめる顔、顔、顔、(時に笑ってもいますが)実に真剣な表情。それは先輩への敬意とともに強いライバル心のありかをうかがわせます。あるいはともに客席に対峙しているようにも見えます。

確かに高座にのぼった噺家はまるで客席と真っ向勝負をしているようです。その戦う姿、モノクロの写真から色のついたオーラがただよってくるようです。時には噺をしくじってしまうこともあるようで、楽屋へ帰ってくる噺家さんの表情もまた愛すべきものがあります。

いつも心に立川談志』が噺家の静かな美を追ったものとすれば、この『楽屋顔』は噺家の動の姿を追ったものだと思います。楽屋の図解や東京近郊の寄席の解説も楽しい1冊です。お亡くなりなった懐かしい顔もたくさん収録されています。寄席ファンにはたまらない写真集だと思います。(エッセイもいいですよ)

レビュアー

野中幸宏

編集者とデザイナーによる書籍レビュー・ユニット。日々喫茶店で珈琲啜りながら、読んだ本の話をしています。政治経済・社会科学から芸能・サブカルチャー、そして勿論小説・マンガまで『何でも見てやろう』(小田実)ならぬ「何でも読んでやろう」の二人です。

note
https://note.mu/nonakayukihiro

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