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2017.07.19

レビュー

抱きしめ不足、ほおずり不足、タッチ不足。そんな日本女性への処方箋です。

この本の原題であり、本文中でしばしば出てくるキーワードであるタッチハンガーとは「ふれること=タッチ」への「ハンガー=飢え」を意味している言葉です。

──生まれてきた日、私たちはみんな、世界への信頼に満ちていました。人の間に生を受けて、人の間に抱きとめられることを期待していました。でも、生きていくことは思いどおりにならないことの連続でしたね。ふれてもらいたいときにふれてもらえなかったのは、あなたのわがままのせいではありません。周囲のおとながあなたの求めるものに気づけなかったのです。ふれてもらえなかった思いの連(つら)なり、それを「タッチハンガー」と呼んでみましょう。──

タッチハンガーがいわゆる“スキンシップ”とは少しく異なっていることを語っているのではないかと思います。

──わたしたちは、行き場のないエネルギーと抑(おさ)えようのない思いを抱えて生きています。抱えきれない思い、行き場のない感情に押しつぶされそうになりながら生きています。それは大変な様子をしたあなただけではない。普通に生きているように見える、あの人もこの人も、そうなのです。わたしも、あなたもそうなのです。──

この気持ち、思いを受け止め、和(やわ)らげてくれるものが三砂さんがいう「タッチ」というものの本質です。

この「タッチ」がない状況の日本に生きている、それがいまの私たちです。

海外生活が長かった三砂さんはこの本でブラジル、アフリカなどの地で、弱い者(幼児・子ども)と一体になって生きている女性(母親)の姿をいとおしそうに描いたあとこう記しています。

──生まれてからしっかり抱きしめられて生きていると、それだけで身体の感覚が鋭くなり、他人に対して必要以上に構えなくなるということではないでしょうか。──

ものごころがつくとすぐ、さまざまな競争にさらされる日本。とてもとても子どもたちが「しっかり抱きしめらて」いるとは言い難いものです。他者はライバル、あるいは敵として、あるいは利用できる対象として見えてしまう……そうはなっていないでしょうか。

他者を受け入れること、「他人に対して必要以上に構えなくなる」こと、そこから生まれる豊かさとでもいったものが失われていくのではないか……。「タッチハンガー」の飢餓とは孤立・対立した人間関係が生み出しているものです。

──わたしたちがこの消費社会、高度に産業化された今を思うとき、「ちょっとやりすぎだけど、でも便利になったのだから」と自分を納得させてしまうのは、悲惨と欠乏への恐怖があるからではないでしょうか。(略)「貧しさ」や「悲惨」のイメージがとにかく恐ろしくて、私たちは、より便利に、より豊かに、より効率的に欲しいものがすぐに手に入る生活をめざして「かりたてられて」きたと思います。──

恐怖だけではありません。ここには「今に満たされない」心が潜んでいます。進歩や成長という名のもとに、先(未来)への欲望を駆り立てられているのが今の日本です。おそらく、このままでは永遠に「満たされない」心のままでいることになりかねません。このような心で思う「競争」が豊かであるはずはありません。「満たされない」心とは「タッチハンガー」そのものなのです。

──「かりたてられる」前の日本の生活に、いったいどういう豊かさと知恵が育まれていたのかについてももっと知りたいと思います。食や出産や学校がより整備され、管理されていくにつれ、わたしたち人間と人間との間の距離は遠くなり、タッチハンガーは深まるように思うからです。──

一生懸命に生きることが、そのまま「かりたてられる」生活になってしまうこと、そこに私たちが抱える不幸の根があるのではないでしょうか。そこに求められるのが三砂さんのいう「母性」というものです。

──「母性」という言葉は、それだけでずいぶんと議論を引き起こしてしまうものになってしまい、好意をもって受け入れられる言葉ではもはやありません。しかし、「母なるもの」への希求は、どのような時代になっても止むことがありません。タッチハンガーは母なるものへの渇望(かつぼう)なのでしょう。──

これは、なにも旧道徳的な“母”の復活を主張しているわけではありません。この母性とはもっと自然で、生命(生存)に不可欠なもののことです。

──淡々と食事を作ることができれば、そのことによって生活は支えられるということを思い出したい。用意しては食べ、食べては片づけ、日々同じことをくり返し、そういう習慣によってこそ、わたしたちの日々が支えられるのではないでしょうか。難しいリラクゼーションやヒーリングよりよほどの効果があるでしょう。──

このような姿の中にタッチハンガーを受けとめてくれる「母性」があらわれてきます。

(市場)競争というものを重視する今の日本では、総活躍などというものは終わりのない競争へ駆り立てていくものでしかありません。その競争の中でなくしていくものがどれほど多いのでしょうか。

時には立ち止まってみることも必要です。この本は、そんな時に求められる本だと思います。私たちに「ふれあい」とはどのようなものなのかを教えてくれる実に心に優しいエッセイです。読んだ人は誰も癒(い)やしとはこのようなものかと感じてくれると思います。女性へ向けて書かれたものだそうですが、性別を越えてじんわりと訴えてきます。

レビュアー

野中幸宏

編集者とデザイナーによる書籍レビュー・ユニット。日々喫茶店で珈琲啜りながら、読んだ本の話をしています。政治経済・社会科学から芸能・サブカルチャー、そして勿論小説・マンガまで『何でも見てやろう』(小田実)ならぬ「何でも読んでやろう」の二人です。

note
https://note.mu/nonakayukihiro

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