たった1キロ四百グラムの人間の脳髄の中に心のトビラがある。
だから人間の心をテーマにした物語は三十億かあるいはその十倍もできるはずである。
『ザ・クレーター』のイントロである。数あるマンガ作品のなかで、もっともカッコいいイントロのひとつはこれだ。
ただし、これをカッコいいと感じるのは、そこに実現可能性が付随しているからだ。「三十億」というのは連載当時の世界人口で、現在なら作者は躊躇なく「七十億」と表現したことだろう。三十億でも七十億でも、手塚治虫は描けたはずなのだ。この作品がそこに至らず完結しているのは、あくまで雑誌の都合であって、作家の都合ではない。それは、『ザ・クレーター』の読者なら、みな感じていることだろう。
本作は短編集である。『ザ・クレーター』という表題が冠されているが、作家はのちに、「タイトルには意味はない」と語っている。
この作品の連載開始が1969年8月、アポロ11号による人類初の有人月面着陸が前月の7月だから、「クレーター」という言葉は一種の流行語だったことがわかる。つまり、「流行っているから・意味深そうだから」という理由でつけられたタイトルだったのだ。
同様に、オクチンという少年が主人公として設定されているが、高校生だったりレーサーだったりプロ・スキーヤーだったり戦闘機乗りだったりして、プロフィールにはまったく一貫性がない。これも作品に統一感を持たせようとした作者の苦心のあらわれだという。
もっとも、この「さまざまなエピソードで異なった役どころで共通のキャラクターを出し、作品の統一感を表現する」という手法は『火の鳥』に生かされており、『ザ・クレーター』をそのプロトタイプと見ることも可能だろう。
手塚治虫の本当の凄さを知ることができるのは、この時期の作品だ。
この時期、手塚はスランプにあったと伝えられている。早い話が売れなかったのだ。巷では『巨人の星』や『あしたのジョー』など、梶原一騎原作のスポーツ劇画が大流行していた。白土三平やつげ義春による文学性の高い作品も次々と生み出されており、ファンタジー色が強い(と認識されていた)手塚の作品は時代遅れとされることが多かった。それは手塚自身もじゅうぶんに認識しており、劇画の手法を積極的に取り入れたり、大人向けのシリアスなストーリーを次々に生み出したりしている。
本作の掲載誌はまだ隔週刊だった「少年チャンピオン」。短編を求めたのは、おそらく雑誌側だろう。上記のように手塚の作品は時代遅れと認識されており、『鉄腕アトム』や『ジャングル大帝』のような長編作品を連載させることはできなかったのだ。
明らかに逆境であるが、作家自身はたぶん、それを逆境だとは考えていなかったはずだ。むしろ、まったく縁もゆかりもないストーリーを次々と生み出し、そこに共通の色を与えるという、地味ながら新しいチャレンジに嬉々としていたにちがいない。
読者の誰もが、『ザ・クレーター』の名のもとにまとめられた短いストーリーの数々に、戦慄を覚えることだろう。この人はどうしてこれだけたくさんの物語を作れるんだろう。本作のイントロどおり、この人には人間の心の奥底にあるトビラが見えているんじゃないか。オクチンが人間の未来が詰まった袋が見えるようになったように、人の姿があんなふうに見えているんじゃないか。
今さら主張するまでもないが、手塚治虫とは天才だったのだ。
天才とは単に才能がある人を言うのではない。才能にひきずられ、日常生活もままならない人。それを天才と呼ぶのである。
ジミ・ヘンドリックスは終始頭の中で音が鳴っていて、それを外に出さないことには呼吸することさえできなかったという。先年亡くなったプリンスの自宅の倉庫には、今後100年連続でニューアルバムをリリースできるほどの音源が残されていたそうだ。あきらかに、自分の創作ペースには誰もついて来られないことを知っていたのだ。
天才とはそういうものなのだろう。回遊魚が泳いでいなければ生きていられないように、常に表現していなければいられない。その成果物は、質はむろんのこと、量も圧倒的で、他の追随を許さない。さきに、手塚はスランプにあったと語ったが、ヒット作を出せなくなったというだけで、描けなくなったのでは断じてない。
手塚は結婚前奥さんと2回しかデートしてないそうだし、週に1時間程度しか寝ないことも多かったそうだ。原稿料は新人と同じでいいから描かせてくれと雑誌編集者に懇願したこともあったという。つまり、色にも、睡眠にも、金にも興味はなかったのだ。ただ描く場所が欲しい。それだけである。
最後の言葉は「頼むから仕事をさせてくれ」。死ぬまで世間一般の幸福とは無縁だった。
かつては、天才なんてものに生まれなくて本当によかったと本気で思っていた。その人生は不幸だと断言できたからだ。今は、少しだけうらやましく思っている。
『ザ・クレーター』……月の陥穽と名づけられた作品集は、まさしく天才の仕事である。珠玉の短編集とはこういう作品を形容するときに使うのだろう。まさしく珠のような作品集であり、世間並みの幸福をすべて犠牲にした人の表現だけが持つ凄絶さに彩られている。
あなたにも見えるだろう、その凄絶さが。
レビュアー
早稲田大学卒。書籍編集者として100冊以上の本を企画・編集(うち半分を執筆)。日本に本格的なIT教育を普及させるため、国内ではじめての小中学生向けプログラミング学習機関「TENTO」を設立。TENTO名義で『12歳からはじめるHTML5とCSS3』(ラトルズ)を、個人名義で講談社ブルーバックス『メールはなぜ届くのか』『SNSって面白いの?』を出版。「IT知識は万人が持つべき基礎素養」が持論。2013年より身体障害者になった。