ハラスメントと呼ばれる行為は30を越えてあるといわれています。パワーハラスメントやセクシャルハラスメントについては厚労省が指針を出し、前者には『パワーハラスメント対策導入マニュアル』、後者には『職場のセクシュアルハラスメント対策はあなたの義務です!!』という文書をネットにあげています。
厚労省の「平成27年度個別労働紛争解決制度の施行状況」によれば、100万件を超えている「総合労働相談」の中でこの4年連続トップとなっているのが「いじめ・嫌がらせ」です。過重労働、ブラック企業の原因にもパワーハラスメント等がみられ、「安全配慮義務」という点からもハラスメント問題はしっかりと考える必要があります。
でもハラスメントを注意する動きのなかで新たな問題が出てきました。
──「ハラスメントだ!」と騒ぐことが、逆に新たなハラスメントになってしまうという理不尽な現象があちこちで起きています。その結果、善良な第三者が全員不幸になってしまう。だれも得をしない。いわば、ハラスメントによるハラスメント(ハラ・ハラ)が今、世の中に跳梁跋扈(ちょうりょうばっこ)しているのです。──
野崎さんは自身の体験を踏まえてこう記しています。
──職場のハラスメントを予防することは大事だと思いますが、一方で最近増えつつある新たな「ハラ・ハラ問題」をクローズアップしていく必要があるのではないか。社労士として日々の仕事をするなかで、そうした思いはますます強くなっています。──
「ハラ・ハラ問題」とは「ハラスメントという大義名分を武器に、言いがかりに近いことを言って周囲を困らせる行為」のことです。そして「そういうことばかりする社員を『ハラ・ハラ社員』と命名」し、彼らの行為とその問題点、周囲への影響について警鐘をならしたのがこの本です。
「嫌がらせ」という極めて微妙な問題となる「ハラスメント」ですが、野崎さんは実に丁寧にこの「ハラ・ハラ問題」と名づけたことにアプローチしています。
「同じ職場で働く者に対して、職務上の地位や人間関係などの職場の優位性を背景に、業務の適正な範囲を超えて、精神的・身体的苦痛を与える又は職場環境を悪化させる行為をいう」。これが厚生省のパワーハラスメントの定義です。
なにより「業務の適正な範囲」というものが肝心になります。
──厳しく注意しても、「業務の適正な範囲を超えて」いなければパワハラではないということです。部下の人格を否定するのではなく、部下がおかしたミスそのものを、多少大きな声で叱っても問題はありません。考えてみたら当たり前のことなのです。──
ではこれで問題は解決かというとそんなことはありません。ハラスメントを受けたという人が「職場の優位性」というものをどう考え、受け止めているかということが問題になるからです。注意をするものが正当であったとしても、「職場の優位性」はしばしば強圧的な権力・権威性として受け止められてしまいます。立場からの「注意」であったものが一方的な非難めいたものとしてとらえられ、人格否定として受け取られてしまうことがあるからです。
──覚えもないのに「セクハラされた!」「パワハラされた!」と部下から総務部の相談窓口へ告発されてしまった上司は、セクハラやパワハラを「していない」と上層部に理解してもらわないとなりませんが、これは痴漢冤罪と同じで、極めて難しい悪魔の証明となります。──
この本で職場の環境改善のために善意と公正にたってハラスメントの注意を行った社員の例があげられています。善意だったものが次第に行き過ぎたハラスメントヘの配慮を生み、それが逆に息苦しさとなり職場の活力を失わせることになったそうです。これもまた「ハラ・ハラ問題」の大きな1つです。人ごとではありません。私たちに起こりがちだと思います。この部分はじっくり読み、自分ならどうするか考えてみるのはどうでしょうか。
──客観的な視点で見ればどう考えても異常とわかるハラ・ハラ行為が、ここまで世間で横行するようになった背景の一つには、「ハラスメント」という至極便利な魔法の言葉の存在があったと考えられます。──
ではこのように「ハラスメント」という言葉を自分の都合だけに使うような「ハラ・ハラ社員」はなぜ生まれてきたのでしょうか。そこには社会の変質があります。
──過程や学校で学んでおくべき道徳観や倫理観、常識などを持ちあわせず、「オンリーワンでいいんだ」を言い訳に、自身を成長させるための我慢や努力を怠っている人が増えている気がしてなりません。──
野崎さんによれば「ハラ・ハラ社員の思考回路」の根本にあるのがこれだそうです。そして彼らは次のように振る舞ってしまうのではないかと……。
常識に欠けてルールが守れないので仕事ができない人が増えている
↓
ルールを守れないので上司から叱られる
↓
耐性が低いので我慢できない
↓
そもそも自分はありのままでいい(悪くない)と思っている
↓
悪いのは自分ではなく会社や上司だ(ハラスメントを受けたと認識)!
野崎さん自身も「単純化しすぎた感」があると書いていますが、思い当たらないではありません。
これではギスギスした環境を生んでしまうのもムリはありません。ハラスメントと名付けられる行為が増えるのもムリはありません。
でもハラスメントを受けたという人を軽視してはなりません。どうすればいいのでしょうか。
ここの振る舞いからうかがえるのは実は“信頼関係が持てない”ということなのではないでしょうか。“コミュニケーションの稀薄さ”や“共有志向の稀薄さ”というものではないでしょうか。
──上司と部下の信頼関係とは、こうした日頃の意思疎通の積み重ねで成り立つことがほとんどです。(略)コツコツと信頼関係の打率を地道に積み上げながら、時間をかけて関係性を作り上げていくことが必要でしょう。──
そしてそのために効果的なのが「声かけ」だそうです。
──日々繰り返されるきめ細かなコミュニケーションの積み重ねが、企業をよりよい方向へ導いてくれることを信じたいと思います。「がんばれよ」と肩を叩いて、「キモい!」と言われるか、「励まされてるな」と感じてもらえるかの違いについては、そういった身近な足元の部分に、意外なヒントが転がっているものなのです。──
常識というものの回復、遠回りのようでいながらこのような王道こそが誤解等を生むことなくコミュニケーションを作れる近道なのです。
「ハラスメント」を注意することと「ハラ・ハラ行為」とは似て非なるものです。この本はこの微妙な問題を避けることなく追った力作です。過剰な「ハラ・ハラ問題」がもたらす生きづらさから解き放たれ、組織を活性化する上で必読の本です。もちろん「ハラスメント」を許すことなく。(パラハラ、セクハラ以外にもブラハラ、テクハラ、スモハラ、マタハラ、カラハラなど20種に近いハラスメントの説明も一読の価値があります)
レビュアー
編集者とデザイナーによる書籍レビュー・ユニット。日々喫茶店で珈琲啜りながら、読んだ本の話をしています。政治経済・社会科学から芸能・サブカルチャー、そして勿論小説・マンガまで『何でも見てやろう』(小田実)ならぬ「何でも読んでやろう」の二人です。
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