「負ける技術」というタイトルに惹かれてこの本を手に取った。
歳をとるにつれ、うまく負けるということが人間関係に漣(さざなみ)を立てずにやりすごす処世術だということを常々感じていたからである。そのための技術があるならば、知りたい。そう思って読み始めた。
しかしその思いは序文に書かれている、「タイトルは担当編集による後付けなので、役に立つことはいっさい書かれていない」という言葉であっさりと打ち砕かれた。ただ、その出会い頭の肩すかしがどこか痛快に思えて、そのまま読み進めることにした。
著者のことは恥ずかしながら存じ上げなかった。著者プロフィールを見ないまま読み始めたので、読み進めて行くうちに、漫画家であり会社員であるということを知り、そのうちに結婚をして家まで建てているということがわかってくる。
このスペックだけを見るとつい「勝ち組か!」と言いたくもなるのだけれど、自虐エピソード満載の文章からはまったくと言っていいほど勝ち組感が伝わってこない。
むしろ作者は積極的に負け続けているのである。
136本もあるコラムはほぼすべてが「起承転結」というよりも「起承転転」と表現したくなるようなアクロバティックな展開を見せる。失敗談や思い出話、日常エピソードから自身の結婚式の話に至るまで、まるで眼前で猫だましを仕掛けられたかのような、斜め下からの突っ込みで締められているのだ。
例えば新居を建てることになったお話(♯72)の締めくくりはこうである。
――これからどんどんアイディアを出して、建てて1年目に「劇的ビフォーアフター」に応募するような家を作りたいと思う。――
解説するのも野暮だけれど、1年目にビフォーアフターに応募するような家とはつまり、リテイクが必要な家ということであり、さらに自分のアイデアがリテイクを招くという意味でもあり、二重三重の自虐目線がそこには込められている。
このような作者のスタンスは、とてもインターネット的だなと感じる。もちろんネットは広大なので、そこには様々な派閥があるのだが、例えば作者もやっているtwitterの場合、自身に起こった「良い出来事」を単純に報告するだけで人気ツイートになるのは難しい。しかし、そこに共感しやすい自虐を織り交ぜることで、様々な立場の人が共感しやすいフックとなり、「人気の投稿」になる確率が格段に上がるような気がする。
逆に何か災難がふりかかった場合は、それを単に嘆くのでは芸がない。どこかそれを笑ってやろうとする心構えで披露する。
そのような「転んでも(転ばずに歩けても)ただでは起きない精神」を、この作者もまた持っているように感じた。
この本に収録されている136本はまさに、人生に起こる出来事すべてにうまく受身をとっていく鮮やかな千本ノックのようだった。そして打ち返される球は鋭い。
これが「負ける技術」でなくして何であろう。
そのような読後感を抱くに至り、期待した内容はありませんよ、と言われていたにもかかわらず、確実な満足感を得ている自分に気づいたのだった。
レビュアー
エンタメから得られるときめきを食べて生きる、70年代生まれ。