私たちに〝幸せ〟をもたらすものはシンプルな暮らしです、というローホーさんの実践的幸福指南書とでもいえるエッセーがこの本です。シンプルに暮らすにはどうすればよいのか、それを〝住まい〟という視点から私たちに実に分かりやすく豊富な具体例とともに提案しています。
シンプルさでなにより肝心なのは自分の身の丈にあった生活ということになると思います。けれどそれがなかなか思うようにはいかないのも確かです。そもそも自分の身の丈を自分で知るのは結構難しい。ローホーさんは極めて合理的にその身の丈を知ろうとしているのではないかと感じられました。それが、小さな狭い部屋での暮らしという提案(ローホーさんは自ら実践していますが)なのだと思います。そしてそこで心の底から自分を温めてくれる一杯のお茶があればいい……それがもたらしてくれる充実感を知り、大切にしよう、そこから生活を始めようと私たちにすすめています。経済学で提唱された考え方で『スモール イズ ビューティフル』(エルンスト・フリードリッヒ・シューマッハー著)というものがありますが、それに通じるものがあるように思えます。
興味深いのは孤独に対するローホーさんの姿勢です。「孤独とは、私たちが考えている以上に多くの学びを授けてくれる人生の学校です。誰にも代わってもらえませんが、自分自身であり続けることを学ぶチャンスなのです。この学びは大変ポジティブなもので、自分に責任を持つことを教えてくれます。そしてこれが、他人についても責任を持つことことにも通じるのです」と。
孤独というものを避けないこと、その負の部分にのみ眼を奪われないこと、むしろ積極的に〝弧〟というものを身につけようと提案しているように思えます。なにより「真の豊かさとは、『調和のとれたシンプルな暮らし方』を自分自身で習得すること」なのですから。そしてその上に〝幸せ〟というものがあるのです。「幸せとは、今、ここにあるのです。世俗的な享楽やお金、知名度や豪邸、そして他人の目によって決まるものではないのです」からと。
この〝他人の目〟とは競争の中に自分を置くことにほかなりません。ローホーさんは〝競争〟に身をさらして生きるのではなく、あえて言えば〝共存〟という生きるかたちを提案しているのでしょう(ローホーさんの結婚観にもそれはうかがえるようです)。そのためには自分を解放し、開放できる空間が必要なのはいうまでもありません。でもそのために、大きな部屋が必要とされているわけではありません。「心の広い人は狭い場所でもくつろぐことを知っている」(中国のことわざ)からです。
こんな言葉も紹介されています。「畳は座るために半畳、寝るために一畳」(禅の言葉)。この言葉は〝立って半畳、寝て一畳、天下取っても四畳半〟もしくは〝起きて半畳 寝て一畳 天下取っても 二合半〟(織田信長が言ったとされていますが……)としても知られていますが、なんにせよ私たちに絶対に必要な空間といえばその程度のものだといえばいえるものかもしれまぜん。なにより「私たちが必要としているのは広さより、ひとりで落ち着ける自分だけの空間」、居心地のよい「自分の居場所」なのですから、それを満たしてくれるものであればいいはずです。
ローホーさんの考えには東洋的なものといわれるものが多く含まれています。無常観、老荘思想に通じる無の教え、禅など私たちになじみや聞き覚えのあることが多いと思います。なじみはあるとはいえ実践するにはなかなか難しく感じることがあるのではないでしょうか。ローホーさんはそれは私たちが自分の過去に縛られ過ぎているからではないかといっています。「私たちは過去の産物ではあるが、過去を必要とはしない」(カルロス・カスタネダ)のですし、「過去を消してしまうと、現在は生きやすくなります」。そして「未来に関しては、ただ心を開くのみ」なのですからと。私たちは過去にとらわれることなく、どのような未来をむかえるのがいいのか、なにが自分に〝幸せ〟をもたらすのかを考えるべきなのです。
〝言うは易く行うは難し〟という言葉がありますが、「住まいがもたらすべきものは、まずは体と精神の安らぎです」ということを心して、今の私たちの周りを見直すことから始めるのがいいのかもしれません。この本には食器やインテリア、照明の選び方というローホーさんの実践例も数多く紹介されています。きっと自分なりの豊かさ、〝幸せ感〟を考えるヒントが見つかるのではないかと思います。と同時に、ふと、〝幸せ〟とは〝なるもの〟なのでしょうか、それとも〝感じるもの〟なのでしょうか、そんなことをも考えてしまいました。
レビュアー
編集者とデザイナーによる書籍レビュー・ユニット。日々喫茶店で珈琲啜りながら、読んだ本の話をしています。
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