色眼鏡をかけた者同士
もちろんもっと丁寧な言葉で綴られた話なので、微細なニュアンスは本を読んで確かめてほしい。しかし私自身、批評や書評というものをずっと書いている身として、「そうだよな」と深く頷いた。物語の感想を書いているようでいて、その実、文章は物語を読む自分を書きだしている。それしかできない。客観的な読み方なんて、あり得ないからだ。
人は、本当に、びっくりするほど、自分を通してしか世界を見ない。同じ物語を読んでも、同じ風景を見ても、同じ男女をまなざしても、読み取るものは自分の色眼鏡を通したものでしかない。同じ本を読んでいても、人と感想を語ると、こうも注目する場面が異なるのかと驚く。批評を書くことは、どんなに色眼鏡を外そうとしても、外しきれない色眼鏡がそこにあることを自覚する行為でもある。誰も傷つけない批評なんてありえないことを書けば書くほど知る。人は自分の読んだ大切な物語を、自分が読んでいないように読んでいると、それだけで傷つくらしい。それはもう仕方のないことなんだなと理解するようになったのはここ数年のような気がする。
その諦めを得てはじめて、今回の主題に取り組む勇気が湧いた。『「夫婦」不在社会』。こんなタイトルで本を出して、誰かが傷つかないわけがない。パートナーがいない人は読者じゃないのか。パートナーがいた方がいいと言いたいのか。同性同士は法律上婚姻関係を結べない日本で、夫婦なんてタイトルにつけることは無神経ではないのか。脳内の誰かの言葉が本を出す前から自分に突き刺さる。
しかし、それでも、書きたいことを書きたい。なぜなら書きたいと思うから。――そういうふうに思えるようになったのは『娘が母を殺すには?』という本を2024年に出してからだった。母娘関係が日本で密着しやすく、娘が苦しみやすいのは、母と父の関係が希薄になりやすく、その結果として母のケアを娘が担うことが多いからだ。本を書いてそういう構造が分かったとき、ではなぜ母と父の夫婦関係は「不在」になりがちなのか? という問いを探さずにはいられなかった。知りたかった。私は物語を通して、そしてそれについて書くことを通して、ものを考える。
考えたかったのである。夫婦の物語って、今の日本でどうなっているんだろう、と。
だがどこまでいってもそれは数字で導き出せる客観的なデータにはなり得ない。夫婦の問題を実践的に華麗に解決することにもならない。物語を恣意的に並べるだけで何がわかるのか、色眼鏡をかけた論理にしかならないだろう、と怪訝な顔をする読者もいるかもしれない。だが私にとっては、この本を書きたかったのだ。
読者にとってなにか光になるような、美しいものを書きたいなあといつも思う。しかし本を書くことは、根本的にはどこかでどろどろとした自分のこれについて考えてみたいという欲望の水たまりを手でかき混ぜるようなものでしかない気も同時にしている。どうしたらせめて美しく面白いものとして読者の人に受け取ってもらえるのだろう。考えるたび、難しいことだと思う。
だが私の場合は、この世の美しく面白い物語が一緒にいてくれることがせめてもの救いである。『「夫婦」不在社会』で扱った、村上春樹の短編「眠り」、『ねじまき鳥クロニクル』、山本文緒の『なぎさ』。どれもこれも、私にとっては人生でもっとも重要な物語のひとつだ。他者と生きることの不可解さ(いうまでもないがこれらの作品が扱う主題は、日本の異性愛や法律婚のような狭い範囲に限られたものではない)――それは自分にはどうしようもない他人について考えるとき、私の脳裏に常に浮かび上がる小説の主題でもあった。自分自身が学生のころから読んできたこれらの小説の見つめる射程の広さに、あらためて今回驚いた。そして励まされた。ここまで書いていいのだ、と教えてくれたような気がした。他者と対峙することの、どうしようもなく個別的な困難を、これらの小説はたしかに美しく面白い文章にしていた。
物語の読み方は、人それぞれ異なる。どうしたって自分が反映されてしまう。が、そうだとしても、それがなんだというのだろう。人生は客観的なものではない。主観的なものだ。だからこそ私は小説に救われている。小説は主観的だ。たったひとりの主人公の物語を、たったひとりの作家が綴る。それゆえにデータや実践や論理では言い表すことのできない世界の問いに挑んでいるように見える。
そういうものを私は読みたい。そしてできれば、どれだけ主観的であろうと、そういうものを私は書きたい。人は主観から逃れられない。それゆえに他者と生きることは難しい。でも、人は主観から逃れられないからこそ、小説は発生するし、批評も誕生する。客観的な数字で測り切れないもので人は生きている。その色眼鏡どうし、ともに生きることの困難と魅力を、私は描き出したかったような気もする。
色眼鏡ではない客観的なルールやデータが重視されがちな世の中で、それでも色眼鏡をこっそり打ち明けあうような関係について、私は知りたかったのだ。
(『群像』2026年9月号掲載)
「群像」は1946年10月に創刊した文芸誌であり、講談社で最も歴史のある雑誌です。連載「本の名刺」は、新刊を出した著者が自分の本を紹介する、人気のエッセイコーナー。話題の新刊や人気の著者による、本が生まれた背景や著者の思いをお楽しみください。
1994年高知県生まれ。文芸評論家。京都市立芸術大学非常勤講師。京都大学大学院人間・環境学研究科博士前期課程修了(専門は萬葉集)。2017年、大学院時代に『人生を狂わす名著50』を刊行しデビュー。2024年、『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』で「書店員が選ぶノンフィクション大賞 2024」大賞を、翌年には「新書大賞 2025」大賞を受賞。他の著書に、『娘が母を殺すには?』『「好き」を言語化する技術 推しの素晴らしさを語りたいのに「やばい!」しかでてこない』『「話が面白い人」は何をどう読んでいるのか』『考察する若者たち』『文体のひみつ なぜあの人の文章はつい読んでしまうのか?』『ニュー日本文学史』など多数。







