今回追求したテーマは、本書のサブタイトルにもなっている“「細胞」から見えてきた命の正体”。生命を駆動させるシステムの正体をミクロの視点から探るという命題のもと、取材班は国境を越えて取材を重ね、その深淵に迫っていく。目に見えないほど小さなサイズとは裏腹に、広大かつダイナミックな「細胞」の神秘の世界……すでに番組を観た視聴者も、未見の読者も、心を掴まれること請け合いだ。
まずは、百聞は一見に如かず……最新の科学データに基づいて制作された細胞のCGアートを引用しよう。教科書で見たことのある細胞の模式図とは、まったくかけ離れた世界ではないだろうか?
「教科書に描かれている細胞の模式図は、とても単純化されたものです。本当の細胞内は非常に混み合っていて、空白なんて一切ないんです。そうですね、東京の地下鉄よりも混んでいるかもしれません、あはは」
さまざまな驚きを与えてくれる本書だが、前半で特に印象深いのが“不死の細胞”ことヒーラ細胞の存在。その起源は、1951年に子宮頸がんで亡くなったヘンリエッタ・ラックスという黒人女性の細胞であり、それは現在も生き永らえ、増殖し続けているという。これまで数々の科学実験や研究に重宝され、いまも科学の発展に貢献し続けているというからすごい。
目の前のお墓には、確かにヘンリエッタ・ラックスは1951年に亡くなったと刻まれています。しかし、彼女から採取された細胞は、いまも世界中の研究施設で生きているという現実。これまで幾度となく論文で読んできたヒーラ細胞の背後には、「懸命に生きていた、ひとりの女性がいた」ということを、このとき初めて実感した気がします。
そもそもヘンリエッタ自身も、そしてその家族も、彼女の細胞が採取されて培養に成功したということを一切知らされていませんでした。遺族がその事実――ヘンリエッタの細胞がヒーラ細胞と呼ばれ、世界中の研究室で生きていることや、数々の実験に使われていることを初めて知ったのは、なんと1970年代に入ってからのことだったのです。
人体のメカニズムを細胞レベルで知ることは、病気や老化といった「不都合」との付き合い方、あるいは治療方法の模索にもつながっていく。悲運といってもおかしくない持病を抱えながら、現役サッカー選手として活躍するセルジ・サンペール選手の言葉が印象的だ。
「病気で夢を諦めないでください。私にとっては1型糖尿病がそうでした。確かに毎日24時間、血糖値を管理し続けるのは大変です。でも、自分の体を理解してケアできれば、私たちは何だってできる。プロサッカー選手にだってなれたんです。病気を理由に、人生に限界を決めないでください」
今回、サンペールさんがNHKの取材を受けてくれた理由のひとつが、このメッセージを病と闘うすべての人々、特に子どもたちに伝えたかったからだといいます。1型糖尿病というハンデを抱えながらも、第一線でプレーを続けてきたセルジ・サンペール選手。取材当時30歳を迎えて、ベテランの域に差しかかってもなお、ボールと夢を追い続ける姿に、大きな勇気と希望をもらいました。
がん細胞という存在を見て思うのは、細胞が「個」としての生存を優先し、「全体」としての生命の調和を手放してしまった状態のようだ、ということです。がん細胞が分裂を続ける性質は幹細胞と似ていますが、制御が効かないという点で決定的に異なります。
多彩なキャスト陣による複雑なメカニズムを形成する人体が、いちばん初めに取り組むミッションとは何か? 著者は受精卵の形成過程を通して、その意外な答えを示す。これもまた、現世の己の欲望だけを追求するような身勝手な発想とは正反対だ。
あなたは受精したばかりの受精卵です。これからどんどん分裂して細胞を分化させていくことで、五臓六腑を作り一人前の体に仕立てていくという、文字どおり命をかけた大仕事が待っています。
まず何から作っていきましょうか。心臓? 脳? 腸? どれも生きるために欠かせない器官です。でも、あなたが優先して着手するのは、なんと「次の命を作る準備」なのです。
細胞内を歩いて移動するたんぱく質「キネシン」を発見したロナルド・ベイル博士の言葉も印象的だ。「ベイル先生は、命の何に驚かされますか?」という著者の質問に対し、彼はこう答える。「私は逆に『命について、驚かないことがあるか?』と尋ねたいですね」――本書の読者もきっと同じことを思うはずだ。「この世には不思議なことなど何もない」とは到底言えなくなるような人体の不思議な世界を、なんとも楽しく垣間見せてくれる一冊である。







