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2025.03.07

レビュー

「最高のオペ」とは。医師の思考力と技能、器具の進化、患者の生命力……手術の世界は奥が深い

二つの理由で「もっと早く読みたかった」本だ。
昨年、地方の大学病院で高齢の父ががんの手術を受けた。ちょうど本書の著者が専門とする肝胆膵外科領域の臓器摘出手術である。担当の医師らは私たち家族に丁寧に説明してくれたが、耳なじみのない言葉に戸惑うこともあった。
現役の消化器外科医が手術道具、手術テクニックなどを解説した本書を読むと「あのとき医師から説明されたのはこういうことだったのか」と腑に落ちる記述にいくつも出会う。

たとえば著者の手術経験を紹介する「第5章 実践編」に《(手術後の感染症や合併症を避けるため)「膵液が漏れても外に回収できるように」何本かドレーンを留置するのが一般的です。/今回の手術でもドレーンを置いてきましたが、場所が良くなかったためか、危険な膵液の「溜まり」を作ってしまいました。幸い早期に気づいて、体外から新たにチューブを挿入できたので事なきを得ました》とある。

父も手術後にこれとほとんど同じ状況に陥り、その説明を受けたが、いまいちよくわからず不安が募った。しかしドレーンが《消化管の中に貯留する体液を体外に逃がすために、手術の最終段階で留置するチューブ》であり、膵液が《腸内に流れている限りは、食物中の糖や蛋白、脂肪の分解に不可欠な酵素をふんだんに含む私たちの「友人」》である一方、《ひとたび腸の外(腹腔内)に漏れた瞬間、(略)「悪魔」的な作用に転じ》る体液であるとの知識を本書であらかじめ仕入れていれば、医師の説明をすんなり理解できただろう。

もう一つのもっと早く読みたかった理由は、筆者が昨年、複数の消化器外科医に取材した経験に基づく。日本の消化器外科医は急減している。10年後には現在の4分の3に、20年後には半分まで減る可能性があり、もし消化器外科医が不足すると、がん患者の手術が遅れ、命に関わる事態が続出する。そんな危機を週刊誌でレポートしたのだが、もし本書を先に読み、彼らが積み重ねた研鑽の価値を知っていれば、それが失われることの意味に気づけたはずである。本書によれば腸管や血管を糸で縫う作業を高速かつ着実に行うために外科医は練習を繰り返すらしい。著者は「30秒で40回以上」が目安だという。
 
手術の達人は《「一筆書き」で絵を描くように(手術を)進める》という。手術は単なるテクニックではなく、緻密な計算と感性が求められる芸術的な行為でもあるのだ。蛍光試薬とプロジェクションマッピングでがんに色をつけて目立つようにするのも、手術支援ロボットを使って人の手で3本のロボットの手を、足でカメラやスイッチを操るのも芸術に近い行為に思える。筆者が取材した医師らは、消化器外科医の仕事には大変な面も多いが、何物にも代えがたいやりがいがあると語っていた。本書からもこの仕事の「楽しさ」が伝わってくる。最近では直美(激務の消化器外科などより待遇のよい美容整形外科を選ぶこと)が増えているが、本書が消化器外科医が増えるきっかけになることを願ってやまない。
 
二つ目の理由はさておき、一つ目は他の人にも当てはまるはずだ。何しろがんの患者数は多い。すべての人が自分か家族か、あるいは親しい友人がいつかがんに直面する。本書で基本知識を得ておけば、筆者のようにおろおろせずに済む。《激アツなハイテクデバイス》《(病巣を)まるっと「生け捕り」》などのテンションの高い表現が随所にあるのもいい。未知なる不安に対する心の支えとなる前向きなエネルギーを受け取ることができるだろう。

レビュアー

緑慎也

科学ジャーナリスト。1976年大阪府生まれ。 出版社勤務後にフリーとなり、科学技術などをテーマに取材・執筆活動を行う。著書に『13歳からのサイエンス』(ポプラ社)、『認知症の新しい常識』(新潮社)、『山中伸弥先生に、人生とiPS細胞について聞いてみた』『超・進化論 生命40億年 地球のルールに迫る』(共著、講談社)など。

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