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2015.11.19

レビュー

「嵐」は日本のタテ社会を超えたのか? 韓国「演技ドル」との違い。

日本が「タテ社会」と聞くと、そんな気もするし、そうじゃない気がするかもしれません。この本によると、集団には、「一定の個人を他から区別しうる属性による基準のいずれかを使うことによって、集団が構成されている場合」(資格による集団=ヨコ社会)と、「一定の地域と、所属機関などのように、資格の相違をとわず、一定の枠によって、一定の個人が集団を構成する場合」(場による集団=タテ社会)があり、日本は場による集団意識が高く、カースト制度のあるインドは資格による集団意識の強い社会であるといいます。

場による集団はどういうものかというと、記者であるとかエンジニアであるということよりも、A社、S社などというどこの会社の人間であることが優先される集団だそうです。こうした日本の集団意識がもっとも濃く出ているのが「家」の概念であり、「家」の概念は、あらゆる人間関係で優先されるため、会社組織も「家」的になります。昨今は、終身雇用も崩れ、会社が「家」的なものではなくなりつつあるかもしれませんが、それでも、この本の考え方からすると「経営者と従業員とは『縁あって結ばれた仲』であり、それは(中略)人と人との結びつきと解されている」と言う点では、今も残っていると思われます。

そして何より、「場によって個人が所属するとなると、現実には個人は一つの集団にしか所属できない」けれど、「資格によれば、個人はいくつかの資格をもっているわけであるから、それぞれの資格によって、いろいろな集団に交錯して所属することが可能である」とあります。これは、会社員は場に所属しているから、資格(ここでは、これまで勉強してきた専門分野など)にかかわらず、入社したら、さまざまな部署に配属することになるのと、例えば、フリーランスは資格で仕事をするので、例えばライターやデザイナーなら、その資格で複数の場と取引できることを考えれば理解しやすいと思います。著者は「ヨコ」の関係を、職種による関係とし、「タテ」の関係を序列の関係と見ているのです。

でも、もしかしたら、最近のアイドル、例えば嵐などを見たら、タテ関係じゃなくてヨコ関係じゃないか! と思うかもしれませんが、これは「すべて場による集団内部に限定されたヨコなのであって、著者の意味する組織構造としてのヨコの機能をもちえないのである」そうです(これは、もちろん、嵐について言及された部分ではなく、別の説明を引用しましたが)。つまり、嵐のメンバーは会社における同期的な関係と考えるといいのだと思います(嵐が厳密には同期ではないのは承知の上ですが)。

韓国アイドルのことを考えてみると、過渡期ではありますが、アイドルが俳優をするときに、監督や先輩俳優は「アイドルだから最初はどうかと思っていたけど、すごく頑張っていた」と語るのを見たことがあります。最近では「演技(ヨンギ)ドル」などと言って、ドラマや映画を盛り上げる本格演技派アイドルも出ていますが、そもそも「演技ドル」と言う言葉が出てくる時点で、アイドルが演技をして、それが本職をしのぐほどになることに驚いているわけです。

その逆で、韓国でも、俳優が歌手活動をすることがありますが、それを両立させている人はほとんどいません。歌うといっても、ドラマの主題歌であったり、企画ものであったりという域をなかなか出ません。国内の歌番組のヒットチャートにランキングすることもなかなかないもので、日本とは異なり、俳優であり歌手であるということは、並列しにくいのです。

もちろん、どちらも例外はあります(Rainなどは俳優としての活動がコンスタントですし)が、日本ほど、「どちらもやる」ということは、普通ではなかったと思います。それをこの本に書いてあることをヒントに考えると、韓国のほうが、俳優であるとか、歌手であるという「資格」を意識しているから、両立が日本ほど自然ではないのではないかと考えると納得がいきます。近年は、韓国のアイドルたちは、歌やダンスのレッスンを事務所で何年もしてからデビューしますから、より「資格」が明確になっている感じすらあります。

そこで気になってきたのが、EXILEや三代目J Soul BrothersなどのLDHの人々です。彼らは、上下関係が厳しく日本的なタテの関係性の代表のように見えながら、実は、パフォーマーとボーカリストという「資格」の在り方がわりと明確です。劇団EXILEがあるのも、俳優という資格を確立しようとしているのかもしれません。もちろん、LDHも歌手や俳優といった「資格」を超えて、メンバーをさまざまなことに挑戦させようとしているのは知っているのですが、ジャニーズなどのアイドルが、「資格」を超えて、歌にお芝居に活躍をしていることを考えると、LDHは、仕事においては、比較的「ヨコ」(資格)を大切にする企業でもあるのだなと思ったのです。今や、アイドルが演技をしても自然なことととらえられる日本において、LDHメンバーが演技をすると、必要以上に演技に対しての評価がネットを中心に厳しいことを考えても、「資格」が見ているほうにも意識されているのかもしれません。

とはいえ、日本の中での「タテ」と「ヨコ」の関係も、複雑に変化していますから、混在した状態であると言うことだと思います。ただ、考察するオタクの手にかかると、こういう社会分析の手法も、すべてアイドルに結び付けてしまうと言うことが、このレビューを見て、伝わったのではないかと思います……。

レビュアー

西森路代

1972年生まれ。フリーライター。愛媛と東京でのOL生活を経て、アジア系のムックの編集やラジオ「アジアン!プラス」(文化放送)のディレクター業などに携わる。現在は、日本をはじめ香港、台湾、韓国のエンターテインメント全般や、女性について執筆中。著書に『K-POPがアジアを制覇する』(原書房)、共著に「女子会2.0」(NHK出版)がある。また、また、TBS RADIO 文化系トークラジオ Lifeにも出演中。

近況:以前レビューした西寺郷太さんにインタビューをした記事が公開されました。
http://news.mynavi.jp/articles/2015/11/17/careerperson/

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