強気な発言を繰り返す勝ち気な少女。自信家で、自己主張が強い。
もう何年も前のあの頃、十代のトリンドル玲奈に対してそんなイメージを抱いていた人は少なくないでしょう。しかしそれと同時に、たぶん僕だけだと思いますが、なんとなく「亀」のような子だと感じていました。
むろん見た目が亀に似ているということではありません。
何者をも恐れぬ毅然とした態度で自信たっぷりに喋る一方、かえってそれが、硬い甲羅の中に身をひそめ、外の世界から自分を守ろうとしている亀のイメージと重なったのです。
彼女は子供の頃に、国から国へと渡る超長距離の引っ越しを何度も繰り返したそうです。
自己主張が当たり前の欧米を転々としてきた少女が、控えめを美徳とする日本に定住したとき、少なからず文化面での苦労があったに違いありません。たぶん僕にだけ見えていた「亀の甲羅」は、カルチャーショックから身を守るための楯であり壁だったのでしょう。その楯であり壁が、勝ち気な帰国子女という“キャラクター”を作っていた。あの“キャラクター”は、確かに面白かった。バラエティのプロデューサー受けもよかったらしく、彼女もそうした反応に応えようとしていたそうです。もしかしたら、そんなトリンドル玲奈の方が好きだった人もいるかもしれません。
しかし、彼女は徐々に日本の文化・習慣に馴染み、この国独自の空気を理解しながら、淑(しと)やかな大人の女性へと成長してゆきます。もちろん、急激に変化・成長したわけではありませんでした。トリンドル玲奈には(あるいは彼女だけではないにしても)、子供から大人に至るまでの、「中間的な時期」が存在していたように、僕には見えました。
今回紹介する書籍『コトリんどる。』は、そんな、少女でも大人でもなかった頃のトリンドル玲奈がおさめられている(僕が勝手にそう思い込んでいる)貴重な写真集です。
当時まだ二十歳だったトリンドル玲奈を撮影したのは、『未来ちゃん』で講談社出版文化賞を受賞した川島小鳥。彼によって写し出されたトリンドル玲奈からは、あどけなさの中に、わずかながらも大人の雰囲気が漂っています。 少女というには大人びていて、大人と呼ぶにはまだ幼い。子供から大人へと至る前段階にあったトリンドル玲奈の美貌の正体が、この「中間性」なのでしょう。
その中間性なるものは、何も外見だけの話ではありません。
写真集には二万字にも及ぶロングインタビューが収録されています。インタビューでの彼女の受け答えは、まだちょっと肩肘張った感じがして子供っぽい。その反面、自分のことを冷静に観察・分析もできています。自分を観察できる視点を持ったトリンドル玲奈からは、加速度的に少女から大人へと脱皮しかかっている印象を受けました。
羽化した美しい蝶が、いままさに羽ばたこうとしている光景のようだとさえ思いました。
その後、果ての見えない大空へと飛び立った彼女は、はたしてどこへと向かったのでしょうか。
二〇一五年八月現在、写真集『コトリんどる。』の発売から、もう二年半以上が経ちました。その間にトリンドル玲奈はモデルだけでなく女優としてもキャリアを積み重ねてゆき、ファンタジア国際映画祭のコンペ部門にて最優秀女優賞を受賞するに至りました。飛び立った蝶が、ひとつの大きな結果を出した瞬間です。
二十三歳になった彼女は、外見だけでなく内面も大人びた印象です。まだあどけなさはあるものの、十代の頃の彼女と比較すると本当に成長したのだなと思います。トリンドル玲奈という女性は、これからも自分がよいと考えたものをどんどん吸収して、万華鏡のように変化していくことでしょう。
それはファンにとっても、おそらくはトリンドル玲奈本人にとってもよいことなのだと思います。
でも、ちょっと寂しくもあります。「あの頃に戻りたい」と過去に思いを馳せるときがあるように、「またあの頃のトリンドル玲奈を見たい」とかつての彼女を懐かしむ心情は、ファンにとって当然だからです。
試しにいま、『コトリんどる。』のページをめくってみました。
やはり少女でも大人でもなく、主演女優でもなかった頃のトリンドル玲奈がそこにはいます。彼女の今後ますますの活躍を祈りながら、なんだか、しみじみとした気持ちになりました。
レビュアー
小説家志望の1983年夏生まれ。2014年にレッドコメットのユーザー名で、美貌の女性監督がJ1の名門クラブを指揮するサッカー小説『東京三鷹ユナイテッド』を講談社のコミュニティサイトに掲載。愛するクラブはマンチェスター・ユナイテッド。書評も書きます。