政治家時代はカミソリと異名をとり、出自が内務省、警察庁だけにすごみを感じさせる人物の回想録だけあって、政治家だけでなく官僚や戦時中の陸海軍の将官等さまざまな人物が登場する壮大な人物パノラマとなっている本です。
登場する人物に対する後藤田さんの歯に衣着せない人物評を読むだけでも面白いし、田中内閣以後村山内閣までの自民党裏面史としても興味深い事柄が語られています。もちろん警察官僚(内務官僚)として直面した戦後の重大事件への回顧も極めて興味深い内容になっています。微細にいたる著者のその記憶力だけでも正直驚いてしまいます。
戦前の内務省の官僚時代や徴兵されて従軍した軍隊体験、それがこの人の、いわばカミソリの地金なのでしょう。そしてこの体験から生まれたのが後藤田さんの平和志向であり秩序志向だったのではないでしょうか。後藤田さんにとって平和はそのまま秩序を意味しているようです。復員後に見た敗戦後の日本の荒廃、また何度かその可能性をみせた日本革命、それはどちらも反秩序としては同じものであり、彼が決して許さないものだったのです。
この本で後藤田さんが一貫して否定している人物は国家秩序を無視し、自分の安全や栄達だけを求めている者たちなのです。その一種の倫理観があったからこそ、政治家としてはカミソリの異名をとり、また党派を超えて政界引退後であってもご意見番として著者を際立たせることができたのでしょう。
また、この本はもう一つ違った読み方もできるように思います。それはこの本を、国家が混沌の中からどのようにして成立していったかを記録している類のないドキュメントとして読むということです。国家(秩序)がさまざまな危機に直面した時、国家はそれをどのように回避し、また解決して秩序(国家)を回復していったかという、戦後日本国の成立史としても読むことができるのではないでしょうか。
もちろん後藤田さんは単なる国家主義者ではありません。トルーマン大統領のマッカーサーの解任に感動する感性はシビリアンコントロールを重視した市民主義者であることを感じさせるものだと思います。
後藤田さんにとって国家は、市民社会であり秩序が守られたものである、というのが信条だったのではないでしょうか。後藤田さんは日本の新たな秩序作りを追い求め、現在の日本を作り上げた一人だったのです。
レビュアー
編集者とデザイナーによる覆面書籍レビュー・ユニット。日々喫茶店で珈琲啜りながら、読んだ本の話をしています。