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日本史だけじゃわからない! 大友義鎮ほか戦国大名たちの野心あふれる海外進出

世界史の中の戦国大名
(著:鹿毛 敏夫)
2023.11.08
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海を越えて名をはせた戦国大名

ルネサンスが花開き、布教のためにイエズス会の修道士が地の果てを目指した16世紀、日本が世界史にデビューする。世界史デビューと言っても、ヨーロッパを中心とした歴史観の話だが、ポルトガル人が中国船で日本に上陸し、とりあえず「東の果てに国がある」ことが認知された。

はい、ここで問題です。日本は戦国後期。ヨーロッパ人に最も知られていた人物は誰か? 織田信長? 豊臣秀吉? 徳川家康?

十六世紀のヨーロッパ史との関わりにおいて最も多くの影響をおよぼした戦国大名は、「coninck van BVNGO」(豊後王)等と表記される九州の大名大友義鎮(宗麟)である。

ゲーム『信長の野望 新生』の設定データでは、統率77、武勇69、知略81、政務89、主義は革新という(ゲーム的にはそこそこ有力)な武将だ。そんな大友義鎮が、ヨーロッパの文献・絵画・版画等で多くの名を残しているという。なぜか?

大友義鎮はドン・フランシスコという洗礼名を持つキリシタン大名で、領内での布教活動を庇護した。それをイエズス会は、宣教師フランシスコ・ザビエルの功績として広くアピールしたかった。できれば改宗させたのは大名じゃなく、王様の方がキャッチーだ。そこで大友義鎮を豊後の王様だということにした(まぁ嘘じゃないし、その効果は絶大だった)。一方の大友義鎮は、布教活動の庇護と引き換えにポルトガルと外交チャンネルを繋ぎ、交易を行った。つまりは、お互いが両手の人差し指と中指を曲げて「ウィンウィンで」という関係を築いたわけだ。
※ちなみに豊後は今の大分県。大友義鎮は一時、北九州の6ヵ国(今の長崎・佐賀・福岡・大分)を治めたが、後に薩摩の島津義久との戦いを経て没落していく。

中国を中心とした外交・交易が行われてきた東シナ海という舞台に、16世紀後半、ポルトガルやスペインが参入する。本書は、その時代と舞台を地域国家の支配者としての戦国大名が、世界といかに外交関係を結び、交易を行ったかを明らかにする。日本統一に突き進む信長や秀吉と別のベクトルで、大陸に近いという地の利と水運の利を活かしてアジアに、ヨーロッパに食い込もうとした戦国大名たち。その外交意欲や商魂は、非常にエネルギッシュだ。

多少の無茶など気にしない!

海に囲まれた日本。島国根性の染み付いた日本人にとって、海は内と外を分け隔てる障壁になっている。しかし、16世紀は違った。

戦国大名による対外活動は、アジアの広範囲におよんでいた。特に、環東シナ海域の一角に位置する九州の大名にとって、目前に広がる海は決して「陸路」交通の妨げとなる壁ではなく、自領と他領をつなぐ文字通りの「海路」として認識されていた。

交易に関して、西国の戦国大名は「意欲的」というレベルではなく、「強引」「隙あらば」「ねじ込む」「転んでもただでは起きない」という言葉が似合う。

例えば周防(山口県)の大内義長は、実兄の大友義鎮と共に明に日本国王として朝貢を企てる。偽造した「日本国王之印」はバレなかったが、書類の書式不備で失敗している。
はたまた、明が海禁政策を緩和する(私貿易を許可する)というアナウンスを中国人倭寇*の首領から聞いた大友義鎮。彼は大喜びで「巨船」を建造し、明へ向かわせる。しかし、そのアナウンスは倭寇捕縛のための罠だった。船は炎上し失われるが、一行は彼の地で新しい船を作り、さらには中国沿岸を南下し福建省で商売をして帰ってきたという。
たくましいというか、やんちゃというか、手段を選ばない戦国大名たち。それぐらい、海の向こう側との交易はウマミがあったのだろう。
*倭寇=一般には中国・朝鮮沿岸を襲った日本人海賊、密貿易集団を指すが、後期倭寇には中国人のリーダーもいた。

そうした彼らのなりふり構わない外交や交易は、やがて結果を出していく。

大友氏はポルトガルのインド総督への使者をゴアへ派遣し、また、松浦氏はアユタヤ国王へ書簡と武具を贈答した。カンボジア国王との間では、一五七〇年代までに大友氏がその外交関係の締結に成功していたが、九州を二分する軍事衝突(豊薩合戦)以降は、軍事的優位に立った島津氏がその通交を遮断し、自らカンボジアとの善隣外交関係を構築しようとした。
さらに一五八〇年代になると、大村純忠や有馬晴信が主導して、ローマ教皇らに向けた書簡を携えた天正遣欧使節を派遣した。一五九〇年代の朝鮮出兵期には、加藤清正が有馬氏から買い取った大型貿易船をルソンに派遣して、二〇万斤(一二〇トン)の小麦粉や銀の輸出を目論んだ。そして、一七世紀初頭には、島津義久が琉球王国への介入を強めて出兵し、伊達政宗はメキシコ経由でヨーロッパに渡る慶長遣欧使節の派遣を実行した。

そんな戦国大名の外交努力を踏みにじったのが、豊臣秀吉の強行外交政策だ。「朝貢する」から「朝貢しろ」という政策転換からの朝鮮出兵。外交の裏も表も知り尽くし、世界と渡り合ったコスモポリタンな西国の戦国大名に比べ、秀吉のゴリ押し外交のなんとドン臭いことか。その反動からか徳川家康は朱印船貿易を活発に行うが、秀忠・家光の世代では外交・交易を長崎の出島に集中させ、情報と利益の独占に成功する。そうした天下統一というゴールを目指した武将たちと、アジアからヨーロッパまで俯瞰してビジネスを目論み、地方国家を運営しようとした武将たち。
本書を読むと、後者の方が「断然面白そうじゃん!」と思うのだが……、NHKの大河ドラマ*にならないかな、大友義鎮。
*2003年のNHK正月時代劇で一度ドラマ化はされている。主演は松平健。

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『世界史の中の戦国大名』書影
著:鹿毛 敏夫

ポルトガルインド総督に使節を派遣した大友氏。アユタヤ国王との接触を図る松浦氏。カンボジアとの「国交」樹立を目論む島津氏。さらには天正遣欧使節や伊達政宗による慶長遣欧使節。あるいは、その本拠地で花開いた国際色豊かな「コスモポリタンシティー」──国の「王」として、狭い冊封体制の枠組みを越え、東南アジアから南アジアへ、そしてヨーロッパへと、対外活動を地球を俯瞰する広範囲へと拡大してゆく戦国大名たち。日本史の文脈を越え、世界史のコンテクストの中から見えてくる、戦国大名のこれまでとはまったく異なった新たな姿を提示する。

レビュアー

嶋津善之 イメージ
嶋津善之

関西出身、映画・漫画・小説から投資・不動産・テック系まで、なんでも対応するライター兼、編集者。座右の銘は「終わらない仕事はない」。

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