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女学生鉄道員、死体の中を運転──原爆投下3日後の広島、決死の復旧

チンチン電車と女学生 1945年8月6日・ヒロシマ
(著:堀川惠子/小笠原信之)
2016.08.06
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──寄宿舎から広電本社まで、女学生たちは並んで行進する。いつしか、道すがら声を合わせて歌うようになった。軍歌が多かった。(略)このときの彼女たちは、まちがいなく「軍国少女」だった。電車乗務を通じて国を守っているのだという自覚が、日に日に強まっていった。──

女学生は広島電鉄家政女学校の生徒たちです。この学校は広島電鉄が国民学校高等科を卒業した女子に乗務を目的とした教育を行うために作られました。男たちが召集され、「運転士、車掌らの人手不足が深刻化していた。その穴埋めに女性の乗務員を養成しようとして」作られたのです。「勉強をしながら給料がもらえる」ということで、貧しさなどの家庭の事情から女学校行きをあきらめていた少女たちが入学してきました。

難しい運転技術の習得、実技試験では「停留所を全部通過する」ことすらあった彼女たちでしたが、やがて乗員業務に着く日がやってきました。彼女たちの運転する電車は「出征兵士や見送りの家族を運ぶ大事な輸送機関」だったのです。

慣れない乗員業務、停留所の名をおぼえるのも大変でしたが、その名をお客にいうのも大変だったようです。生徒だった市川さんと羽場さんにはこんなことがあったそうです。
──乗客にとっても若い娘の車掌は物めずらしいらしく、ことに男子学生らが車掌の周りを取り囲んだ。そして、停留所名を大きな声で告げるたびに笑うので、市川さんは顔を真っ赤にした。一方、羽場さんは、原因不明だが、一ヵ月くらいにわたって声が出なくなったことがある。そのときには、乗客が代わりに「次は○○です」と停留所名を言ってくれた。市川さんが「専売局前」を「八丁堀前」とまちがえて言ってしまったときも、文句を言う人はいなかった。どうやら少女車掌たちは、市民に愛される存在になろうとしていたようだ。──

銃後の青春と呼べるような日々は長くは続きません。悪化する戦局、空襲警報は鳴ってもなぜか広島に爆撃はありませんでした。
──広島市にまったく空襲がなかったのには、大きな理由があった。当の米軍が、広島市に対して通常爆撃を禁止する命令を出していたからである。(略)爆撃が禁止された四市(広島、京都、小倉、新潟)は、原爆の投下目標にされた町だったのである。──

そして8月6日午前8時15分、原爆「リトル・ボーイ」が投下されました。

爆風は、爆心地から2.7キロ離れた広島電鉄家政女学校の寄宿舎を襲い、一挙に廃墟に変えてしまいました。それだけではありません、市内で「三〇九人の女学生のうち二〇〇人ほどが勤務中だった」のです。

電車の中で閃光を浴びた生徒は、なにが起こったのか分からず、自分がミスをして事故を起こしたのかと思った人もいました。けれど、そう思ったすぐ後、周囲を見て目に入ってきたのは……「地獄絵のような現実が展開されていた。向こうから歩いてくる人がみんな、からだ中の皮膚をダラーッと下げながら、ぞろぞろとあるいてくるのだ」。そんな世界だったのです。

終末を迎えたかのような世界、けれど彼女たちの“戦争”はまだ終わっていませんでした。誤解をおそれずに言えば、彼女たちのもうひとつの“戦争”が始まったのです。それは破壊からかろうじて残された車両を動かして市の復旧に加わることでした。

「一番電車を走らせる」という彼女たち、そして市民たちの強い意志は「被爆からわずか三日後の八月九日に」、2キロに満たない距離とはいえ、電車を走らせることができました。もちろん乗務したのは女学生でした。市民に大きな励ましを与えた電車が走る光景、それは「線路の脇には死体が転がり、顔もお腹もパンパンに腫れ上がっていた。煙と死臭がくすぶっていた。ここにも、そして、どこにも、地獄絵が広がっていた」。その中を走行したのです。

廃墟の中を走る電車、それは市民にも彼女たちにもまだ勝利への道があるという夢を抱かせるものだったのかもしれません……。けれどその願いも空しく8月15日がやってきました。
──「おかしいな。日本は負けないはずなのに。神風はまだ吹いていないのに」(略)すべてが終わったのだ。衝撃的なことだった。負けるはずのない神国・日本が負けたというのだ。少女たちの青春は、お国のために捧げられていた。すべては日本が戦争に勝つためにあった。──

そして突然の廃校……。彼女たちはさまざまな思いを胸に秘めたままちりぢりになっていきました。大けがをしたまま「ほぐり出された(放り出された)」人、敗戦を受け止めきれず呆然とした心を抱えた人、もちろん開放感を持った人もいました。

彼女たちはどのような戦後を過ごしたのでしょうか。ある人の思いが語られています。
──どう言うていいか……。大ケガをした人とか、道路へ倒れて親の名前をよんでいた人とか、ウジが湧いていた人とかね。そういう人(友だち)を一人でも看てあげたかったと思いますね。それは思うんですよ。私が一人増えるだけでも、いいんだからね。看護してあげたらよかったのにね、って。──

国策に翻弄されながらも必死に生きた生徒たちの姿が浮かんでくるようです。なにひとつ罪をおかしたことのない彼女たちに起きたことはなんだったのでしょうか。誰が、なんのために起こしたことだったのでしょうか。彼女たちの願いや信じた心を利用し、踏みにじったものはなんだったのでしょうか。

やりきれなさと共に彼女たちの素晴らしさにうたれ、何度も読み返したくなるノンフィクションです。著者の熱い思いが伝わってきます。

──戦争はいつの世も、平和や正義を守るためといった、誰も逆らえないような正論を掲げて始まります。そして独裁的な政権の後ろには必ず、メディアや市民による厚い支持があります。いったん抗えない空気が醸成されると、反論の声はいつの間にか掻き消されてゆきます。平時は家族を持ち、平凡な暮らしをしている良き父、良き息子といった市民が、同じような相手を殺しあうのが戦争の現場。その残酷な結末を引き受けるのもまた、市民です。──

彼女たちのかけがえのない日々の犠牲の上に今日も広島の路面電車は走っています。そのことの意味もまた考えさせてくれる感動の1冊です。

レビュアー

野中幸宏

編集者とデザイナーによる書籍レビュー・ユニット。日々喫茶店で珈琲啜りながら、読んだ本の話をしています。政治経済・社会科学から芸能・サブカルチャー、そして勿論小説・マンガまで『何でも見てやろう』(小田実)ならぬ「何でも読んでやろう」の二人です。

note
https://note.mu/nonakayukihiro

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