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日本の「一党独裁」組織、化け物になった大政翼賛会の真相

2015.12.28
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この本は、戦前、一国一党を目的として成立した大政翼賛会、全体主義の代名詞とも目されるその組織の成立にいたる歴史を「復古(反動)─進歩(欧化)」という軸と「革新(破壊)─漸進(現状維持)」という二つの対立軸をもとに政党、政治家、軍部等の動きを精緻に追ったものです。

この時期の日本はファシズム期と呼ばれ、大政翼賛会の成立を「日本ファシズムが体制として成立した」と記されることが多いようですが、伊藤さんはあえてファシズムという用語を用いずに叙述していきます。なぜなら「ファシズムという用語が、歴史分析のために必要な共通の最低限の定義づけをもっていないこと、この用語にはイデオロギーがからみついていて歴史の新しい側面の発見に役立たないこと、近年その内容は歴史的な現実から遊離して、「悪」そのものとほとんど同義語と化しつつあることなどから」この用語を用いるとかえって厳密さを欠くことになるからです。そして大政翼賛会へいたる道が史料等を縦横に駆使して厳密に、実証的に描き出されています。

「世界は今、ご承知の通り、大動乱、大転換の真只中にあります。これは、フランス革命後の思潮であった自由主義、民主主義を背景として、いわゆるイギリス的秩序で発展し、又固められていたところの世界が行きづまって、新しい哲学、新しい世界観に基づくところの世界、即ち結論的には通俗にいう全体主義的な世界になりつつあるのです」。

これは『新体制早わかり』というパンフレットに書かれているものですが、この認識(危機意識)が旧来の体制を見直されなければならないという動きを日本中の各層に生んでいったのです。目指されたのは「世界新秩序」というものでした。それは「ベルサイユ=ワシントン体制──それは自由主義的資本主義世界支配の枠組であった──から、世界の四大ブロック化への移行」というものに対応するものでした。

生き残るには日本が大きく変わる必要がある。「自由主義を背景とした資本主義体制が今日飛躍すべき日本の桎梏となっている」。なにより肝心なことは「日本の産業の飛躍的な発展」であり、その目的を達するためには「統制経済」ということが必要であると考えられました。さらに、この「統制経済は、経済に対する政治の優位によってのみ達成しうると主張」されました。その帰結として出てきたものこそが、「打倒すべきは財閥を中心にして、その政治的代弁者である既成政党であり、彼らの輩下にある旧官僚であり、新しい状況を認識しない軍官僚=軍閥であり、天皇をとりまく宮廷官僚である──という」ものでした。それが「新体制論者のほぼ共通した認識」となったのです。

この新体制は「新たなる「党」によって指導され(略)国家機関自体もこの「党」の指導の下におかれ、党の最高指導者は天皇に対する唯一の輔弼(ほひつ)者となる」というものを目指していました。すぐわかるように「こうした体制のモデルはソビエト共産党であり、ナチス党であり、ファシスト党であり、中国国民党であった」のです。

では、実際の大政翼賛会はこの目的を達することができたのでしょうか。伊藤さんはこう記しています。「「革新」派の企図は失敗に終わったとはいえ、大政翼賛会は戦中にかなり有効な機能を果たした」と。これは政党としては結実しなかったが、一種の「国民運動」としては成立したということを意味しています。それはどういうことなのでしょうか。

もともと、この一国一党運動は統一された強い意志のもとに進められたわけではありませんでした。転向左翼、革新官僚、軍部等それぞれが異なった思惑を持ちながら「革新」というスローガンでまとまっていただけなのです。時に呉越同舟(転向左翼と軍部)であり、同床異夢といえるのが実態でした。共通していたものといえば「旧来の体制のすべてが見直されなければならない」という内容の「革新」というスローガン、そしてそれ以外では近衛文麿を首班にするということでしかありませんでした。

この「革新」派の動きに対して「現状維持」派の巻き返しが起こります。中心になったのは「財界と観念右翼」です。この「観念右翼」とは「挙国一致党、又は一国一党」というものは「一君万民、万民輔翼の政治原理に於ては、とうてい許されぬ」という考えに代表されるものです。不磨の大典である大日本帝国憲法は天皇親政を旨とするものであって、首相を指導者とした一国一党組織は国体に違反すると主張したのです。さらには統制経済に反対する財界グループの巻き返しによって「革新」派は追い込まれていきます。一見、議会主義に反しているかのように思われがちな「観念右翼」こそが、一国一党という政治体制に反対したのです。

後の東条英機政権が東条幕府と呼ばれたように、この大政翼賛会も「現状維持」派からは近衛幕府のように見られたのでしょう。昭和天皇に親しく、また公家筆頭という家柄の近衛はそのような〝汚名〟を被ることは耐えがたいことだったのかもしれません。一時は自らを日本のヒトラーと擬していた近衛もその「現状維持」派の動きに抗することはできませんでした。

性格的なものでしょうか、優柔不断とも思えるふるまい、妥協に走りがちな政治姿勢をとる近衛をどうしても担がざるを得なかった。この「一国一党」主義の最大の弱点は近衛に頼らざるを得なかったことにあったのです。

大政翼賛会は政治団体(政党)としては実を結ぶことはありませんでした。けれど〝挙国一致〟というスローガンを精神的なものとすることによって、かえって〝国民運動〟として戦争遂行に大きな影響力を持ったのです。大政翼賛会の歴史は私たちに日本のファシズムと呼ばれたものが実際はどういったものであったのか、そもそもファシズムと呼べるようなものであったのか、さらには戦前の政党がなぜ自ら解党して統合されていったのか、その原因・動機を明らかにしています。と同時にこの日本中を巻き込んだ〝国民運動〟というものが持つ危うさをも明らかにしているように思えるのです。

レビュアー

野中幸宏

編集者とデザイナーによる書籍レビュー・ユニット。日々喫茶店で珈琲啜りながら、読んだ本の話をしています。

note
https://note.mu/nonakayukihiro

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