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【直木賞候補作】江戸の浮世絵、絶頂から終焉に至る狂気のドラマ

ヨイ豊
(著:梶 よう子)
2016.01.15
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変わり行く時代と、時の美学を描いた小説です。著者は『一朝の夢』で松本清張賞を受賞し、時代小説の旗手として支持されている梶よう子氏。主人公は絵師。錦絵の世界の大看板であった三代歌川豊国の、その弟子であった清太郎。

彼は、歌川一門だけはなく、当時の江戸の娯楽産業そのものまで引っ張るほどの存在だった偉大な師匠の、婿となり義理の息子となる。国貞という師匠の前の画名ももらった。師匠がついに絵師として現役のまま亡くなった後、後継者として四代目を継ぐことを目される立場でした。

版元たちもそれを期待する。四代目襲名ともなれば、それを話題として盛り上げ、絵を売ることができるからです。しかし清太郎には、自分が師匠の後を襲う気にはなれませんでした。人望はある。絵も手堅い。しかしそれだけだ。後輩の八十八がのぞかせるような天性の目はない。つまるところ、天才ではない。

彼とて幼いころから絵の才能を周囲から褒められ、職業絵師になろうとして門を叩いた人物。その後も厳しい競争を勝ち抜いてきただけに平凡ではありません。
しかしそれだけに師匠や八十八のような人間だけが持っている、狂気と裏腹の輝きが自分にはないことを、清太郎自身が一番よく理解していました。

時代は長く続いた江戸がようやく終焉を迎え、幕末の動乱が訪れる。作中で描かれる絵師の世界は、江戸期がただの古い時代ではなく、ひとつの鮮やかで、溢れんばかりの活気に満ちた文化であったことを伝えます。
弟子と共同して製作するというと、西洋の世界の工房に近いような気もしますが、その成り立ちはずいぶんと違う。貴族や教会がパトロンになるのではなく、江戸の絵師たちはあくまで商業。人々とともにありました。高尚な自負とは無縁で、芸能ともがっちりと手を携え、当時の出版社である版元の依頼にこたえて、人々を楽しませる。

なんだか、現代のグラビアと出版社の関係を彷彿とさせられますし、写実ではなく抽象であり、自然には存在しないはずの輪郭線を用いて人物を描くというと、現代の漫画を強く連想してしまいますが、教会を飾る宗教美術どころか、場合によってはふすまの破れ目に貼られるもの。しかしそこにこそ、当時の絵師たちの真骨頂がありました。ヴィジュアル表現が、町の人々に向けた娯楽産業としてこれほど隆盛していた歴史は、世界史の中でも稀有だと感じます。

ただ、そうした活気ある世界だけに、堅実なだけでは渡って行くことはできない。いや、個人としてならばやっていけても、歌川という大ブランドを背負い、一門を率いる。ひいては江戸の娯楽そのものも盛り上げる。そのためには、時には世間の大向うを張るような演出も必要でしょうし、人物そのものにも、今風に言えば「カリスマ性」が要求される。清太郎はそのことを思うと、版元たちの言葉に乗って、四代目の看板を張る気分にはどうしてもなりませんでした。
なんと言っても、すぐ近くに八十八がいる。その画が目に入る。素行の定まらない彼はしょっちゅう揉めごとを起こして、彼の家に転がり込んできますが、そんな八十八を面倒に思う一方で、その画に惹き込まれる自分もいる。

しかし時代は移ろいき、幕末の動乱を迎え、やがて明治の世が訪れる。絵師たちの描くものも変わりますが、そもそも世の中の成り立ち自体が変わってしまう。
八十八は思い切った手段に出て、清太郎をなじり「腕は自分のほうが上だ」と言ってはならぬ言葉をついに口にする。
八十八と縁を切って、清太郎はついに、明治の世で自分が四代目となりました。しかしその決断が、人々の興味に間に合ったのか、どうか。すでに版元たちも、西洋式の機械を導入し、次々と商売替えを行う時代になっていました。

『ヨイ豊』

この一風変わった題に惹かれて本書を手にとった人は特に、読み進めるうちにある疑問が大きくなっていくことでしょう。その疑問がついに明かされる時、ある男の姿に胸を突かれることになると思います。

狂気にも様々な形がある。偉大な師匠は勘で感じていたのかもしれません。いつまでも同じ時代が続くわけなどない。いつかは終わる。ひとつの時代が終わり、機を見るに敏な人々はあれこれと目移りする。そうした時代にこそ燃える狂気もある。たとえ時代に火をつけることはできなくとも、遠い未来に向けて、灯し続ける狂気もある。そのことを知っていたのかもしれません。

当時の芸能の世界がどれほど直接、現代の出版界に接続されているか。本書を読むとそれを実感しますが、しかしそれ以上に痛切に感じることは、現代もまた、20世紀のどこかに確かにあったものが忘れ去られ、古い価値観として、むしろ軽蔑され、新しいものが最先端としてもてはやされる時代であること。
新しさを否定するわけではありません。しかし過去は過去として断絶しているわけではなく、過去の美学、いや「心意気」は、今とも直接つながっている。守りぬく志さえあれば、あり続ける。
先代のように名を知られることはない清太郎の絵師としての生涯は、しかし決して無意味ではかった。自分も輝きなどはこれっぽっちも持たない私などは、そのことに強く感動を覚えます。

レビュアー

堀田純司

作家。1969年、大阪府生まれ。主な著書に〝中年の青春小説〟『オッサンフォー』、現代と対峙するクリエーターに取材した『「メジャー」を生み出す マーケティングを超えるクリエーター』などがある。また『ガンダムUC(ユニコーン)証言集』では編著も手がける。「作家が自分たちで作る電子書籍」『AiR』の編集人。近刊は前ヴァージョンから大幅に改訂した『僕とツンデレとハイデガー ヴェルシオン・アドレサンス』。ただ今、講談社文庫より絶賛発売中。

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