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近代日本最大のジャーナリストが残したもの、それは独自の戦争責任追及でした
(著:徳富蘇峰)
明治・大正・昭和と論壇ジャーナリズムを主導した近代日本最大のジャーナリスト徳富蘇峰。彼が敗戦後に残した日記5巻を集めたものです。日記と言っても日付のある論説というほうがふさわしいと思います。蘇峰が追求したのは、なぜ大日本帝国はやぶれたのかであり、大東亜戦争とは何だったのかという問いです。蘇峰自らも、自身にも敗戦の責任があることを認め、そのことを踏まえ、敗戦責任追及の矛先は東条英機等の戦時中の軍部・政治家という指導者だけでなく、時に昭和天皇にも及んでいます。
「愈々敗戦の原因に立入りて吟味せんに、数え上ぐるば山ほどある。しかしその主となるは一は、戦争に一貫した意思の無きことである。言い換うれば、全く統帥力無きことである」
蘇峰は大東亜戦争を侵略戦争とは考えていませんでした。あくまで防衛戦争だと考えていました。「日本は自然の勢に放任すれば、とても自給自足はできぬ」国であるとし、資源にも乏しく、活路を海外へと求めざるを得なかったにも拘わらず、欧米列強の干渉によりやむを得ず矛をとった、と主張しています。ですから蘇峰にとっては満洲も「三十七、八年戦役によって、条約上得たる所の権益を、そのまま実行せんとしたるにほかならない」ということになります。そして続けて敗戦後の日本指導者への仮借ない批判にまでいたります。
この蘇峰の思想は大東亜戦争肯定論の典型のように見えます。しかし……
「日本の勝つべき戦争に敗けた大なる原因は、この戦争が国民から全く遊離したる事である。(略)この戦争が、事実は国家的国民的戦争であったにも拘らず、全く国民から遊離して、軍閥官僚の戦争と見ていたからである」
この「国民から遊離」したという指摘に蘇峰があまたの大東亜戦争肯定論者と蘇峰を分かつところがあるように思えてなりません。
蘇峰とはどんな人だったのでしょうか。熊本バンドから同志社へ進み、『将来之日本』の出版によって一躍その名を全国にとどろかせます。この『将来之日本』には跋文を新島襄や田口卯吉がよせており、そのころの蘇峰が自由民権思想、平民主義に強く惹かれていたことがうかがえます。馬場辰猪の影響が強かったそうです。
その後上京し民友社を設立し、月刊誌『国民之友』を発行することになります。さらに国民新聞社を設立して『國民新聞』を発行します。
この蘇峰の平民主義というが大きく変貌するのは日清戦争後のロシア・ドイツ・フランスの三国干渉からでした。列強の干渉に対抗できなかった時の明治政府に絶望し、強い国家を作り上げる必要があると考え始めたのです。
蘇峰は『國民新聞』で日露戦争体制への協力を訴えます。けれど、日露戦後のポーツマス条約に賛成したために社屋が民衆の焼き討ちにあうといった事件に遭遇します。
その後、政界に入るも旺盛な言論活動を続けて敗戦にいたります。
平民主義から国家主義、さらには皇室至上主義と大きな振幅をみせている蘇峰ですが、自身もその振幅の広さを公言していたようです。「維新以前に於いては尊皇攘夷たり、維新以降に於いては自由民権たり、而して今後に於いては国民的膨張たり」(ウィキペディアに転載された「日本国民の活題目」、『国民の友』第263号より)
時に変節漢とすら批判された蘇峰ですが、彼の中にはなにか一貫したものが流れていたように思います。
それは石川啄木が『時代閉塞の現状』で主張した言葉、
「我々は今最も厳密に、大胆に、自由に「今日」を研究して、そこに我々自身にとっての「明日」の必要を発見しなければならぬ。必要は最も確実なる理想である」
という“必要”という思考なのではないでしょうか。
藩閥政権の時代には民衆の覚醒をめざすために平民主義が“必要”とされ、日本が近代国家に形を整えた時には、日本の国力不足に直面し国力充実のために強国化が“必要”とされたのです。ポーツマス条約賛成でも、それが日本の国力不足から講和が“必要”とされたからではないでしょうか。昭和の戦争期も同様です。混迷する国際情勢、腐敗を極めている内政をただす“必要”として皇室至上主義を唱えたように思えるのです。
では、この日記の頃の蘇峰にはなにが“必要”だったのでしょうか。畢生の大著『近世日本国民史』にかけた思いがそれを語っているように思います。西南戦争の前後の木戸孝允の死そして大久保利通の暗殺でおわるこの大著は、あたかも『将来之日本』の前史にも思えるのです。
蘇峰は平民主義に回帰したのでしょうか。
「勝敗は強弱の問題である。正邪は善悪の問題である。何人も勝者常に正しく、敗者常に邪であるという者はない」
「我等は日本の過失を、自覚するに吝かではない。過失ばかりではない。更に一歩を進んで、罪悪を犯した事さえも、今日の場合、遺憾ながら認めざるをえないものがある」
「日本人の所謂戦争犯罪人なるものは、聯合諸国に向って、罪を犯したばかりでなく、日本国民に向って、罪を犯したものである」
至極合理的な蘇峰のこの思考にもまた“必要”という観念が見てとれるのではないでしょうか。なにに対する“必要”か……それは蘇峰の脳裏にある(脳裏にしかない)独自の国民国家、天皇制国民国家というものではないかと思います。
なぜ私たち(蘇峰)は間違ったのか。間違った日本の道を歩むことになったのでしょうか。それもまた“必要”という観念だったのではないでしょうか。ここには“道具的理性”というものに近いものを感じさせます。
啄木は先の論文にこう記しています。「我々は今最も厳密に、大胆に、自由に「今日」を研究して、そこに我々自身にとっての「明日」の必要を発見しなければならぬ。必要は最も確実なる理想である。
我々全青年の心が「明日」を占領した時、その時「今日」のいっさいが初めて最も適切なる批評を享うくるからである。時代に没頭していては時代を批評することができない」と……。“必要”を求めるには「時代に没頭していては」いけないのです。啄木と蘇峰が紙一重で分かれた道がここにあるように思えます。
“必要”はいつも時代的要請や、現実的要請からやってきます。しかし、それゆえにこそ“必要”は現実(という観念)から逃れることはできません。現実的対応という“必要”はそのままでは「時代に没頭」、現実というものに溺れるだけなのではないでしょうか。啄木のいう“必要”とは「「明日」の必要」、未来の、理想からやっている“必要”なのです。現実というものから強いられた“必要”を求めたところに蘇峰の悲劇があったのではないでしょうか。そして現実からのみの“必要”を求めているだけではこの蘇峰の悲劇を繰り返すことにしかならないと思います。ただし喜劇として……。
レビュアー
編集者とデザイナーによる覆面書籍レビュー・ユニット。日々喫茶店で珈琲啜りながら、読んだ本の話をしています。
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