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「行くのも地獄、残るも地獄」だった沖縄戦前夜の悲劇

対馬丸
(著:大城立裕)
2015.08.20
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戦時国際法にはこう書かれています。(「ウィキペディア」より)
「軍事目標として識別される敵国の船舶はまず海軍に所属した軍艦と補助船舶であり、これに対しては攻撃または拿捕することが可能である。また商船も直接攻撃や機雷敷設などの敵国の戦争行為に従事している、または敵軍の補助を行っているならば軍事目標である。また軍事物資の輸送作戦の従事などの戦争遂行努力(War effort)に組み込まれた敵国商船も軍事目標となる。ただし敵国の船舶であっても、病院船や沿岸救助用小型艇、などの非軍事的な任務を担う船舶は特別の保護を受けているために攻撃・拿捕が免除されている」

太平洋戦争末期、1944年(昭和19年)8月22日1隻の貨物船がアメリカ海軍潜水艦の魚雷攻撃で沈没しました。乗船者1661名、800余名が沖縄から本土への学童疎開の児童でした。生き残った児童は50名あまりでした。戦時中は厳しい箝口令がひかれたこの事件を詳細に追ったドキュメントノベルともいえるのがこの本です。

この悲劇はなぜ起きたのでしょうか。そもそもなぜ沖縄の児童の集団疎開が強制(といってもいい指導)をされたのでしょうか……。

「集団疎開の目的として、戦時中といえども少国民の教育にさしつかええないようにするため、というほかに、「県内食料事情ノ調節ヲ図ラムガ為」とあり、これがさらにひとつの深刻な事情をあらわしていた。つまり、沖縄はもやは住民のための島というより、戦争のための、軍隊の島」となっていたのです。「兵隊の進駐が一〇万人。もと三〇万という島の人口が、いっきょに四〇万を超した」のです。

追い詰められた日本軍部は沖縄を一大決戦場とするべく、兵站を含めその態勢をとるように現地沖縄に指令を出したのです。その中で児童の集団疎開が実施されました。ここには食料等の確保と同時に、あるいは将来の皇軍兵士、銃後の婦人としての児童の成育を見越していたのやもしれません。

この事件にはもう一つの悲劇のもとがありました。生徒たちを送り出す教師たちはこう考えたのです。
「軍艦だということがはっきりすると、疎開をすすめるのも、し甲斐があるというものです」
と。ここには戦時国際法への理解がなかったことが示されています。「軍艦のほうが安全」というのは大きな誤解でした。
戦時国際法は「「非戦闘員」を攻撃することを禁じており(略)「軍艦」がむしろ危険であったには違いない。そして、対馬丸には、わずかながら軍人と軍需物資を載せていたことが、皮肉な不運といえた」ことになってしまったのです。

対馬丸の悲劇は、沖縄戦の準備、国際法を知らしめることのなかった教育態勢、事件後の情報隠匿・操作・情報統制を行った政府・軍部に大きな責任があることはいうまでもありません。国策の過ち、国家権力がもたらした人災という面をぬぐえない悲劇なのではないでしょうか。

この対馬丸の悲劇は避けられたのでしょうか……。大城さんのある章はこうタイトルを付けられています。
「行くのも地獄、残るも地獄」
と……。この事件の7ヵ月後に始まった沖縄戦に思いをいたすと、この言葉が私たちに教えてくれることがいかに多いのかということを痛感させる1冊でした。

レビュアー

野中幸宏

編集者とデザイナーによる覆面書籍レビュー・ユニット。日々喫茶店で珈琲啜りながら、読んだ本の話をしています。

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