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日中戦争が私たちに教えてくれているものはなにか? これはきわめて現代的な課題を提起した戦争論なのです
(小林英夫)
「国際法上の都合から宣戦布告なしに始めたこの戦争を、当時の日本人は「北支事変」「支那事変」と矮小化して呼んだ。戦後も「日支事変」「日華事変」などと呼称される期間が長く続いた。それらは、八年間におよそ百万人もの兵員を中国に動員して二十万人近い死者を出した近代日本最長の戦争を定義するには、不釣り合いに軽い言葉だったといえるだろう」
小林さんはこの一文に続けて日中戦争についてこうも記しています。「日本人が昭和の戦争を振り返るとき、その関心の度合いは一九四一年から始まる太平洋戦争に比べればはるかに低い」と
ではこの日中戦争とはどのような戦争だったのでしょうか。通説では1937年7月7日を開戦日とされているこの戦争ですが、小林さんば日本政府が「中国に対し「支那軍の暴戻を膺懲」する声明を発表」した8月15日こそが開戦日と考えるべきではないかと記しています。そして戦争戦略を分析してふたつの類型を抽出します。そのふたつとは
「短期的な決戦をめざす殲滅戦略による戦争と、長期的な持久戦をめざす消耗戦略による戦争の二類型に分類される。そして日中戦争とは、日本の殲滅戦略と、中国の消耗戦略との激突であった」
というものです。この本はこの視点で分析された日中戦争史です。
中国この戦略はどのような発想から生まれてきたのでしょうか。蒋介石は「かなり早い段階から、強力な軍事力と産業力を有する日本と戦うためには、中国は道徳的優位性で勝負する以外に方法がないと考えていた」のです。この「道徳的優位性」とは精神性のことではありません。むしろ敗色濃くなった日本でこそ精神性が叫ばれました、“大和魂”と呼ばれて。
では蒋介石のいう「道徳的優位性」とはなんだったのでしょうか。それは「政治力や外交力、さらには国家の文化的な魅力をも含むソフトパワー」というものなのでした。
この日中戦争とは、日本が行使した「軍事力や産業力などの、いわばハードパワー」と中国のソフトパワーの争いだったのです。ハードパワーゆえに短期決戦型の殲滅戦を狙った日本、ソフトパワーゆえに長期戦型の消耗戦でそれに応戦したのが中国でした。そしてその結果は歴史が証明しています。
「戦争とは国と国との取り引きの一つの手段にすぎない。だから負け戦でを五分か七分で食い止めるのも戦さ上手なのだが、日本の軍人は戦争と個人どうしの果たし合いを混同して、どしらかの息の根が止まるまで戦おうとした」
これは「ソ連軍の侵攻をまえに崩壊寸前となった満洲国にあって、当時、国務総理のポストにあった張景恵」の言葉だそうです。
この戦争の中に現れた戦略性の差、それは戦争観の差であり軍ノン特性でもありました。この差を蒋介石は的確に捉えていました。
日本軍側の長所とは「子ざかしい事をしない。研究心を絶やさない。命令を徹底的に実施する。連絡を密にした共同作業が得意である。忍耐強い」
短所は「国際情勢に疎い。持久戦で経済破綻を生ずる。なぜ中国と戦わねばならないのか理解できていない」
対して中国軍側というと、長所は「国土が広く人口が巨大である。国際情勢に強い。持久戦で戦う条件を持っている」
短所は「研究不足。攻撃精神の欠如。共同作戦の稚拙。軍民のつながりの欠如」
と実に的確に指摘しています。
『孫子』にあるように「彼を知り己を知れば百戦殆からず。彼を知らずして己を知れば、一勝一負す。彼を知らず己を知らざれば、戦う毎に必ず殆し」をそのまま地でいったのが日中戦争だったように思えます。
この蒋介石の日本分析について小林さんはこう続けています。
「日本軍の長所は兵士や下士官クラスに老いて発揮されやすいものであり、彼らはよく訓練されて優秀だが、士官以上の将校レベルになると、逆に視野の狭さや国際情勢の疎さといった短所が目立って稚拙な作戦を立案しがちであることを喝破していた。こうした日本軍の性質は、局面が単純な短期決戦向きといえるだろう」
張景恵が指摘したとおり、日本軍の戦争観は「果たし合い」、そうでなければ“関ヶ原”とでもいったのmのでしょう。もっとも徳川家康は関ヶ原戦争を殲滅戦ではなく、水面下の外交戦、謀略を駆使していましたから、ある種の消耗戦略による戦争とも考えていたように思えます。
考えて見れば日本は総力戦であった第一次世界大戦には欧州の死闘を体験したわけではなく、日本にとって日中戦争の直前の大戦は日露戦争でした。この日露戦争は、誤解をおそれずにいえば“総力戦体制”をもたらす前にアメリカの仲介によって講和がもたらされました。総力戦体制とは消耗戦略による戦争を支えるものです。日露戦争は総力戦体制の要素をもっていたにもかかわらず、そのことに気づいたした政治家や軍人は少なかったのではないでしょうか。日本が日露戦争から学んだものは旅順攻略と日本海海戦という殲滅戦の記憶だけだったのです。奉天大会戦で国力の限界に達したことに気づいた時、そこに総力戦=消耗戦という大きな壁があったことに気がついた政治家・軍人の記憶が一般化されることはなかったのです。皮肉なことに満洲事変を起こした石原完爾はこの消耗戦略による戦争ということに気がついていたように思えます。だからこそ満洲事変の首謀者であったにもかかわらず日中戦争の拡大には反対していたのではないでしょうか。
この日本軍の殲滅戦を好む性質はどこへいったのでしょうか。戦後の日本人にも実は現れているのです。
「外交などを駆使した長期的・大局的な国家戦略は英米など超大国に委ね、みずからはその僕として短期的・局所的な勝利の追求を国策とする明治以来のこのような日本の体質は、かたちを変えて戦後も立派に引き継がれている。ハードパワーの両翼のうち軍事という翼はもぎ取られたものの、もう片方の産業という一翼を異様に突出させて、超大国アメリカの僕としてこれに依存しつつ、自国の経済発展を追求したのである。それは手段こと変わってはいるものの、殲滅戦略戦争の再現にほかならなかった。この構想を戦後の比較的早い時期から積極的に描き、推進した人物が(略)岸信介であった」
けれどこの日本の経済的殲滅侵略戦争は行き詰まりをみせてきました。「悠久の歴史に培われた独自の外交力、文化力を磨き続けて世界に冠たるソフトパワー大国となっただけでなく、現在は軍事、産業などのハードパワーも急速に強化している中国の台頭である。近代アジア史上で初めて、ソフト、ハードの両パワーを備えた超大国が出現」したのです。この超大国中国、さらに現在の国際情勢の中で「今後、われわれはどう生きるべきかを考える前提としても、七十年前の日本が日中戦争を通じて経験した殲滅戦略戦争の破綻と、消耗戦略戦争とかしたこの戦争の本質を見ていくことの意義は大きい」のです。
この本の特長として「検閲月報」の分析があげられます。いかに言論が封殺されてきたか。言論統制や間違った情報、時の権力に都合のいい恣意的な情報のみが公開されることがかえって現実的な対応力を鈍らせ、また日本国内でしか通用しない“常識”を生む一因にもなっているのです。
「いま日本が抱えているさまざまな問題は、一点集中は得意だが国際的に孤立しやすいハードパワー体質からくることが多い。これを改めソフトパワーを強化するためには、やはり情報の公開と発進が不可欠である。情報の規制は短期的な効率を高めはするが、その状態がつづくほど国の外には不信を、内には退廃を生みだして、結局はその国の力を減退させるのである」
“特定機密保護法”と“安保法制”に突き進む安倍政権はこの“同じ轍を踏んでいる”ようにしか思えません。ひとたびは捨てた軍事の翼を取り戻して……。
殲滅戦と消耗戦との考え方はこんなことを感じさせました。アメリカは太平洋戦争後は、その教訓を生かさずに殲滅戦をしているのではないかと。朝鮮戦争、ベトナム戦争、中東でのすべての戦争、また対テロ戦争も。(これは旧ソ連のアフガン侵略も同様です)
殲滅戦に疲弊したアメリカ(とその同盟国)の肩代わりしようとしていうのがいまの“特定機密保護法”と“安保法制”のように感じてなりません。
この本は単なる戦史研究ではありません。きわめてアクチュアルな問題提起をしているように思えました。
レビュアー
編集者とデザイナーによる覆面書籍レビュー・ユニット。日々喫茶店で珈琲啜りながら、読んだ本の話をしています。
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