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「私を含めた庶民というものが、いつの間にか一つの巨大な権力化した怪物になっていた、ということも事実だと思う」

白い遠景
(著:吉村昭)
2015.08.04
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「随筆集は、書く者の自画像に似たものだが、自らが描いた自分の顔をあらためてながめまわしてみたいものだ」
とあとがきに記された吉村さんの2作目の随筆集です。

「過去六年半にわたって戦争を背景とした小説を書いてきたが、私は、それを一種の歴史小説として考えてきた。ただ一般に言われる歴史小説と異なる点は、史料(記録)以外に証言者の声をきくことができたことにある。(略)記録は、人体にたとえれば骨格に似ている。それに肉をつけ血を通わせるのは、生存者の肉声しかない」
このような吉村さんの考え方こそが事実とはなにか、真実とは何かを追求する強い姿勢となって作品に現れているのだと思います。

証言者の話を聞くということは、時に思いもかけぬ生存者のご家族の反応を引き起こすこともありました。家族の姿がそのまま小説の情景にもなりそうな『元海軍大佐P氏のこと』でそれが描かれています。
それは開戦以前にマレー沖での英海軍(プリンス・オブ・ウエルズとレパルスの2大戦艦)の「行動を阻害するために(略)二隻の機雷敷設艦を出動させた」、その艦長の聞き取りの時のことでした。宣戦布告前の行動だけに隠密裏に、しかも一切の攻撃をしてはならないという軍令下での行動でした。敵(といってもまだ宣戦布告前でしたが)の警戒行動の目をくらましてなんとか機雷敷設をやりとげたP大佐にとってそれに象徴される海軍での日々はある種の“栄光の時代”でもあったのでしょう。吉村さんの取材に嬉々として答えるP大佐。……ふと吉村さんは大佐のご家族の視線に気がつきます。それは決してこの“家長”を誇っているようなものではありません。
「P氏の体験談に辟易している家族は、私の来訪がP氏を増長させることを恐れているように思えた」のでした。

過去の、歴史の真実を追っていった吉村さんが見た、“現在の真実”の姿であったのでしょう。けれど、戦時には家族にとってP大佐は誇らしいものであったのかもしれません。けれど時の流れはそんな感情を押し流してしまったのでしょう。
吉村さんはこのようなことも記しています。
「戦争は、やはり男のものであった。戦争の悲しみは、男にしかわからぬものであった、と私は、胸の中でつぶやく」
さらに戦時中を振り返り
「私を含めた庶民というものが、いつの間にか一つの巨大な権力化した怪物になっていた、ということも事実だと思う。(略)軍部に踊らされた、欺されたという言葉は、私にとってあまりにもむなしい。その言葉の中には、幼稚な責任転嫁の匂いをかぎとる。私に関するかぎり、戦時中の自分をはっきりと見きわめることから出発があり、戦争そのものに対する考察は、必然的に自分の内部に分け入ってくる。人間の持つ驚くほどの順応性──それが、戦争から得た私の悲しい発見であり、その先天的な機能の不気味さを知る上で、戦争は、かけがえのない格好な機会であった」
人間はなにものにも慣れる生き物だといったのはドストエフスキーですが、P氏の一家は、いつなにに慣れたのでしょうか……。

「戦争と私」「取材ノートから」「社会と〈私〉」「小説と〈私〉」と章立てされたこの随筆集に窺える吉村さんの「自画像」、それをどう感じ取るか、それはまた吉村さんの文学を知る大きな補助線になっているのではないかと思います。
そしてこの本には数多くの人の死が語られています。それら一つ一つが吉村さんに落とした陰をも感じさせてくる一冊でした。

レビュアー

野中幸宏

編集者とデザイナーによる覆面書籍レビュー・ユニット。日々喫茶店で珈琲啜りながら、読んだ本の話をしています。

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