「誤解」は物語の大いなる母である。決裂と和解、ラブストーリー、不条理な復讐劇など、あらゆる展開を可能にし、その先の劇的起伏を約束する万能のギミックだ(その使い勝手の良さゆえに、取り扱いには細心の注意が必要だが)。本作もまた、ある小さな広告代理店を舞台にした、驚きの誤解から始まる物語である。
大企業のギスギスした職場に疲れ、小規模だが和やかなムードの会社「キキミミ企画」に転職した木槻くん。ところが、彼の研修指導を担当することになった上司・浦原さんは、社内で「パワハラの化身」と恐れられる問題人物だった……かと思いきや、怖そうなのは顔と目つきと全身から発する威圧感だけで、それ以外の(他人にはまったく見えない)部分は、感情表現が不器用すぎるピュアなスイーツ男子だった!
どういうわけか、木槻くんにはそんな浦原さんの心の内が見えてしまう。しかも、浦原さんのハートを埋め尽くす大量のウサギさんたちの姿も込みで。かくして、あまりにも外見と内面のギャップがありすぎるウラハラ上司の浦原さんと、図らずも彼の魅力を誰よりも知る存在になってしまった木槻くんという、相性ぴったりのコンビが人知れず誕生したのだった……。
誰からも好かれる20代の爽やかイケメン・木槻くんと、他人を絶対に寄せつけない孤高の陰キャ(に見えるだけの)上司・浦原さん。見た目こそ不釣り合いながら、ふたりは早くも心と心で結ばれ、ほとんど相思相愛の関係になる(あくまで上司と部下として、だが)。木槻くんは自分が「気づいている」ことを浦原さんに悟られないように努め、浦原さんは自分の内面がダダ漏れであることを全然知らないまま、という設定ラインを注意深く守りながら物語は進んでいく。
可愛いウサギさんがおじさんの内面から無限に湧いて出てくるというビジュアルアイデアが何しろ素晴らしい。ジト目で眉間にしわを寄せた浦原さんの体の上を、ウサギさんたちが飛び跳ねる光景に、誰もがほっこりせずにいられまい。その破壊的にキュートな超常現象を目撃しながらも、感情を必死に押し殺そうとする木槻くんのリアクションもおかしい。
無論、浦原さんの真の姿……コミュ症だが他者への思いやりは人一倍厚く、上司としても人間としても魅力的な一面は木槻くんだけが知っていて、周囲の同僚は誰も知らない。その優越感と秘密の関係性は、ほとんどラブストーリーの核に等しいものである。その一方で、木槻くんには「彼の魅力をわかってほしい」という気持ちもある。これまで周りに誤解されて生きてきた浦原さんのことをみんなにも理解させたい、という素直な「推しの心」が、さらに強度を増していくのか、それとも変化していくのか。今後の展開における大きな注目ポイントだろう。
そういう意味で秀逸なのが、ふたりがメッセージアプリのIDを交換し合うエピソード。普段、職場で浦原さんの本心をダイレクトに目の当たりにしている木槻くんが、浦原さんにメッセージを送信するとき、ケータイ越しでは彼の心が見えないことに気づく。通常のコミュニケーションでは当たり前のことだが、そこで初めて彼は浦原さんの反応を必死で想像し、身悶えるのだ。これがラブストーリーでなくてなんだというのか、と思わず鼻息を荒げてしまう名場面である。
現実には、上司によるパワハラ、セクハラ、モラハラなどが常態化している会社組織は、まだまだ存在している。これだけ社会全体で問題意識が高まったとはいえ、いろいろな報道や世間の声などに触れると、まだ残っているところにはしぶとく残っているのだろうなと痛感せざるを得ない。そんな現実に対するファンタジーとしての理想像も、浦原さんのキャラクターには込められているのではないか。
実は高圧的でもないし、もちろん性差別的でもないし、支配的でもない。むしろ女性的、いや乙女と言ってもいい、気遣いの人。それが浦原さんだ。ハッキリ言って男性社会においては非常に稀有な存在である。だからすべての男性が「誤解の免罪符」として浦原さんを例にとることなどできない、とは強く言っておこう。
同時に本作は、真に「誤解されたまま、それを訂正する機会もなく、孤独に生きている人」に対して、ささやかな救いを与える作品でもあると思う。そして、そういう存在を見出したとき、助けになってあげたいと思う人にとっても、背中を押す作品になるのではないだろうか。ニッチな題材にフォーカスしているように見えて、実は普遍的な魅力にあふれた、尊さいっぱいの職場ドラマである。
レビュアー
ライター、ときどき編集。1980年東京都生まれ。雑誌や書籍のほか、映画のパンフレット、映像ソフトのブックレットなどにも多数参加。電車とバスが好き。