「軍隊は胃で動く」
ありとあらゆる「その人が何を食べていたか」はドラマになる。どんなメニューで、どんな味わいで、栄養は足りていたのか、そしてそもそも選択の余地はあったのか。どこをスライスしても人間が見えてくる。
『鉄血のキュッヒェ』の舞台は第一次世界大戦。ドイツ兵たちのある日の献立は、具のないスープ、コチコチに固いパン、塩漬けタラの干物をそのまま(塩漬けタラは水で戻してマッシュポテトと一緒にコロッケにするとおいしいのに……)。油脂が乏しそう。少なくとも、美味しいものを食べている顔ではない。
そして栄養面でも課題だらけだった。タンパク質やビタミン以前にカロリーが足りない。
一日に2100kcalだなんて令和の女性会社員が摂るカロリーだよ、前線のドイツ兵のカロリーとしてはあまりに少ない。
美食なんて夢のまた夢……そんな戦場の食事を変えようとした男たちがいる。
栄養にやたら詳しい変人中佐と、一流の料理の腕を持つ生意気なコック。彼らはやがて、「鉄血の台所(キュッヒェ)」と呼ばれることに……!
このままじゃ負ける
“ヴァイス”は戦場の炊事部隊に駆り出された料理人だ。もともとはフランスの一流店でスーシェフ(そのキッチンで二番手のシェフ)だった彼は、今の自分の環境に不満タラタラ。
食材もないし、兵士たちはマズそうな顔して食べてるし、なんなら怒号が飛び交う。やる気なんてなんにも出ないよ。
そんな彼のもとに、“ゲルプ中佐”という人物が視察にやってくる。陸軍省の健兵課という部署に所属している彼は「食」に非常にうるさいのだという。
ヴァイスとゲルプ中佐とのファーストコンタクトはこんな感じ。ゲルプ中佐が道端に這いつくばって雑草をモグモグ食べていたところを、ヴァイスがウッカリ踏んづけて「やべっ、死体かな?」と思ったら生きていた……というわけだ。踏んづけられてもあまり怒っていないところを見ると、ゲルプ中佐は変わった人物のようだ。
ゲルプ中佐はヴァイスを連れて前線の様子を見に行く。
そこでヴァイスが見たものは……?
その日の朝にヴァイスに向かって「パンが固い」「スープに具がない」と怒っていた兵士たち。ヘロヘロだ。
そう、これじゃ力が出ないし死んじゃうし負けてしまう。兵站(へいたん)の重要性がよくわかる。
食材がない戦地で、兵士の気力と体力を養うような食事を作るにはどうすれば?
まず栄養。ゲルプ中佐が「今あるもので代用していく」として選んだのは……、
ルタバガは豚の飼料のカブラ。豚がいなくて放置されていたものだ。さすが雑草食べちゃう中佐。
「オレがルタバガを美味しくしてみせます」
さてこのルタバガ、もちろんまったく美味しくない。
本作の作者、中島三千恒先生は実際にルタバガを調理して食べてみたことがあるらしい。なのでルタバガの美味しくなさが私にもめちゃくちゃリアルに伝わる。
で、栄養こそすべてのゲルプ中佐はルタバガを味などお構いなしで兵士に食わそうとする。そんなのを黙って見ていられなかったヴァイスは、一流シェフの意地でルタバガを美味しく料理しようと試みることに。
あ、いい線いってるかも。この試行錯誤が楽しい。
ただ、さすが飼料でしか出番のなかったルタバガ。もう全然美味しくならない。
トライアンドエラーを経て完成したのが……、
ルタバガのパン! こちらも中島三千恒先生は実際に作って召し上がったことがあるそうで、巻末にコラムがあるのでぜひ読んでほしい。ひさびさに見るフカフカの焼きたてパンに色めき立つ兵士たち。さあルタバガパンのお味は?
どんな状況下でも「料理」を
料理人であるヴァイスが一番気にするのは「食べた人の反応」だ。だから、茹でただけのルタバガを食わされる兵士を見ていられなかった。で、ルタバガパンはというと……、
「大丈夫です」! 作ったごはんの感想として一番聞きたくないやつ! ルタバガの青臭さはどうしても残ってしまうようだ。さらに、ルタバガ料理の試作品「ルタバガのニョッキ」入りのスープも兵士が飲むことに。パンよりも青臭くてダメだった失敗作なのに!
「やめてー食べないでー!」とヴァイスは思うが……? (なお、変人中佐は不味さなど気にせずスープをガブガブ飲んでいる)
兵士たちはどこかうれしそう。そう、誰かが自分のために作ってくれた「料理」が持つ力って、あるんだよなあ。
こうして兵士の士気も上がり、戦局は好転。食材もなけりゃ文句ばっかり言う兵士なんて最低の客だと思っていたヴァイスは、どんなところでも料理はできると手応えを感じる。「作ってくれてありがとう」って、うれしい言葉だ。
そして何かを確信した人物がもう一人。
カロリーを摂るだけが食事ではないし、ただ高級な食材とキラキラした場所で口にするのが最高の食事ってわけでもない。そして料理は人を動かす。このコンビが戦線でどんな料理を披露するのか楽しみだ。
レビュアー
ライター・コラムニスト。主にゲーム、マンガ、書籍、映画、ガジェットに関する記事をよく書く。講談社「今日のおすすめ」、日経BP「日経トレンディネット」「日経クロステック(xTECH)」などで執筆。
twitter:@LidoHanamori